第83話

 二時間後――ぼくは、宏兄とセンターへ行くために、身支度していた。

 

「成。本当に大丈夫なのか?」

 

 ドアを隔てて、宏兄が心配そうに問う。

 ぼくは、シャツにもぞもぞと腕を通しながら、苦笑した。

 

「うん。先生たちには、ぼくからも話したいから……」

 

 宏兄と、結婚すること。先生たちには、ちゃんとご挨拶したかった。お見合いのことだって、お断りするにしても……きちんとお礼したい。

 

「そうか……成らしい」

 

 宏兄は、和やかに呟いた。ぼくは、大きいシャツの袖をくるりと巻き上げて、かっこうを整えた。

 

「ううん……これでいいかな?」

 

 最後にスカーフを巻き、着替え終わったことを伝えると、すぐにドアが開いた。今日はぱりっとしたスーツを纏った宏兄が、ひょいと姿を見せる。

 

「成……」

「おまたせしました……どうしたの?」

 

 宏兄は、何故かドアを開けた格好で、目を丸くしている。じーっと見つめられ、落ち着かない。

 

「えと……な、なんか変やった?」

 

 たくし上げた袖を、持ち上げる。――出かけようにも、ぼくの服が無くて……宏兄が貸してくれたんよ。大柄な宏兄の服は、ぼくにはとても大きくて。

 

 ――頑張って、工夫したつもりやけど……だめかな。

 

 不安になっていると、宏兄が動いた。大股で、ベッドに歩み寄ってきたかと思うと――腕に閉じ込められる。

 

「ひゃっ?」

「やばいな……すごく可愛い」

「え!」

 

 突然の甘い言葉に、どきりとする。

 宏兄は、ぼくの肩に手を置いて、眩そうな目で見下ろしていた。

 そんな風に見られると、なんだか面映ゆい。

 

「そ、そうかな?」

「ああ。成は可愛いから、何着ても似合うな。それに……」

 

 宏兄は言葉を止め、悪戯っぽく目を細める。

 

「俺のものって感じで、ときめく」

「……!!」

 

 かあ、と頬が火照った。

 

「もう! からかわんといてっ」

「あはは。悪い、悪い」

 

 ぽか! と広い胸を叩く。宏兄は笑い声を上げ――ぼくをひょいと抱き上げた。

 急に目線が高くなって、ぼくは驚く。

 

「わっ」

「じゃあ、行くか。そろそろ、送迎車も来る頃だろう」

「あっ……うん!」

 

 歩き出した宏兄に、慌てて頷く。落ちないよう、肩に掴まると――宏兄は嬉しそうに笑った。

 

「今度、成の服も買いに行こうな」

「……!」

 

 明るい笑顔に、胸が詰まる。なんとか笑み返し、肩に顔を埋めた。

 ……これでいいのかな。

 

 ――先生達に、話したら……もう、後戻りは出来ひん。

 

 ぼくが、宏兄の人生を縛ってしまう。

 本当にこれでいいのか、わからへん。でも……

 

「ありがとう、宏兄」

 

 今は……今だけでも、そばにいて欲しい。

 ぎゅっと肩にしがみつくと、宏兄は抱き返してくれた。

 

 


 

 

 センターにつくと、職員さんたちが待ち構えていた。 

 

「野江様、お待ちしておりました」

「こんにちは。今日もお世話になります」

 

 丁寧なあいさつに、宏兄はにっこりと返し、車を降りた。

 みんな、宏兄とは親しいのに、今日は少し緊張してるみたい。スーツの宏兄が、いつにも増してゴージャスなせいやろうか。

 ぼくも後に続いて、頭を下げる。

 

「こんにちは。お迎え、ありがとうございますっ」

「あっ……こんにちは、成己くん。ええと、元気そうで良かった」

「馬鹿、元気なわけないでしょ。大変だったね」

 

 そっと気づかわし気に、口々に声をかけてくれるみんなに、ぼくは笑顔で頷く。


――本当に、いつ来てもあたたかい。


 笑顔のまま車を下りようとして――宏兄に、ひょいと抱きあげられそうになり、ぎょっとした。

 

「ひ、人前やからっ。ちゃんとさせて」

「体調悪いんだから、気にしなくていいのに……」

「だめっ。恥ずかしい」

 

 不服そうな宏兄をなんとか説得し、腕に掴まるというので、許して貰った。

 さすがに、仲のいい職員さんたちの前で、抱っこは居たたまれない。みんなは神妙な面持ちで、ぼくと宏兄のやり取りを見ていたけれど――すぐに「ご案内しますね」と笑みを浮かべた。

 セキュリティゲートを抜けたとき、慌てた様子の中谷先生が、階段を駆け下りてきた。

 

「野江さん、成己くん……!」

 

 

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