第79話

「え……」

 

 ――け、結婚って。宏兄と、ぼくが……?

 

 言葉の意味を飲み込んで、ぎょっとする。

 

「ええっ、うそぉ……!?」

 

 口をぱくぱくさせていると、宏兄は真剣に言う。

 

「本気だ。こんなこと嘘で言わない」

 

 灰色がかった瞳が、真っ直ぐにぼくを射抜いてくる。宏兄は……こんな目で、嘘をつく人じゃない。

 

 ――じゃあ、本当に……?

 

 頬が、かあっと熱くなった。

 

「で、でも……だって……!」

 

 狼狽えて、はげしく頭を振る。

 だって――ぼくと宏兄は、ずっと幼なじみで。宏兄は大人で、ほんとのお兄ちゃんみたいに、親しんできた人なんやもん。

 その宏兄にプロポーズされるなんて、考えたことない……!

 

「そ、そんな、急に言われても……っ!?」

 

 動揺して身動いだ拍子に――ベッドに着いていた手が、ずり落ちた。

 

「ひゃっ!」

「成!」

 

 落ちる!

 そう思ったとき、からだが温かなものに受け止められた。

 

「……大丈夫か?」

「!」

 

 米神に、さらりとした髪が触れる。

 目を開けると……宏兄が、しっかりと抱きとめてくれていた。温かな胸についた片頬から、ドクドクと速い鼓動を感じた。

 

「あ……」

 

 びっくりして、ドキドキする心臓が、ますます煩くなる。

 宏兄は、ぼくを抱きかかえたまま、心配そうに問う。

 

「どこか痛いのか?」

「あっ。へいき、痛くないよ」

 

 ぼくは、慌てて首を振った。胸に手をついて、体を離そうとして……目を見開く。

 

「……ひ、宏兄?」

 

 いつの間にか、宏兄の膝の上に、座らされていた。

 背中にも、がっしりと長い腕が回ってて……ぜんぜん、身動きもできない。

 

 ――ぬ、ぬいぐるみみたいに、抱えられちゃってる……!

 

 おろおろしていると、宏兄が囁く。

 

「成。逃げないで」

「……っ、それは……んっ」

 

 ぎゅっと抱きしめられて、息を飲む。鼻先を、芳しい木々の香りがくすぐった。

 いつもはとても安心する、宏兄のフェロモン。けど……なにか違う。胸がそわそわするような、未知の匂いがする。

 

 ――どうしよ……なんか、恥ずかしい……!

 

 熱る頬を俯けていると、そっと頭を撫でられる。

 

「なあ、一緒になろう」

「ひ、宏兄……」

「俺はそこの奴ら――いや。世界の誰より、成を幸せにすると誓う」

 

 耳に吹きこむように、甘く囁かれた。低くて、蜂蜜みたいに甘い声。

 

 ――宏兄、どうしちゃったの……!?

 

 わああ、と叫んで突っ伏したい気持ちを堪え、ぼくはなんとか、言葉を紡ぐ。

 

「えと……あ、ありがとう」

「成! じゃあ――」

 

 笑顔で乗り出した宏兄を遮り、慌てて叫ぶ。

 

「ち、ちが……! ぼく……宏兄と、結婚は出来ません!」

 

 ぼくの返事に、宏兄は眉を顰めた。

 

「何でだ」

「あの……気持ちは、本当にすっごく嬉しいです。でも――宏兄は、ぼくのこと心配して、そんな風に言うてくれてるんやろ?」

 

 弟と思って来たぼくが、婚約破棄されて。なんとかしてあげようって、お兄ちゃんごころで、プロポーズしてくれたんよね。

 でないと……宏兄が、ぼくなんかに結婚を申し込む理由がないもん。

 

「……ほう?」

「ぼく……ほんまに嬉しかった。宏兄も、先生たちも……ぼくのこと、たくさん想ってくれてて……」

 

 胸の内で、ぽんぽんと暖かい花が咲く。

 陽平にふられて、どん底やったけど……みんなのおかげで、一人やないって、思い出せた。

 ぼくはにっこり笑って、宏兄を見上げた。

 

「やから、大丈夫。ぼく、ちゃんとお見合い、がんばるから! 宏兄は、ほんまに好きな人と結婚して――」

 

 そう、言いかけて――ぼくは、最後まで言えなかった。

 ぼふ、と背中の下で、お布団が弾む。一瞬のうちに、天井を見上げていて、ぼくはきょとんとした。

 

「……え?」

 

 ――ぼく、ベッドに寝てる。いつの間に……?

 

 ぼんやりしていると、顔の横に宏兄が手をついた。ぎし、とマットが沈む。

 

「はは。本当に、まったく気づいてないとは……さすが、成だ」

 

 宏兄は、低い声で呟いている。ライトが逆光になっていて、どんな顔をしているのかよく見えなかった。

 大きな手に、頬を優しく撫でられて、ぼくは狼狽する。

 

「あっ、あのっ……どうしたの、宏兄?」

「いや? ま、鈍いとこも可愛いよ」

 

 おろおろと声を上げると、宏兄はちょっと笑ったみたい。

 

「俺の本気は、今から――わかって貰えばいいことだしな」 

 

 そう言って、宏兄は両手で頬を包んで、ぼくを仰のかせた。

 

 

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