第54話

 ――ヴー、ヴー……

 

 低いバイブ音が、頬から伝わってきて、目が覚めた。

 

「……はっ!」

 

 ぼくは、がばりとベッドから身を起こす。寝ぼけ眼で、うす暗い部屋を見まわせば――枕の上で、スマホが震えていた。

 着信中の画面には、『宏兄』の文字が点灯してる。

 

『――もしもし、成?』

 

 受話器を上げると、宏兄の穏やかな声が聞こえてくる。ぼくは、目をこすりながら頷く。

 

「うん、ぼくやで……」

『あ……悪い。寝てたのか』

「ううん、だいじょうぶ。どうしたん?」

 

 焦ってる宏兄、ちょっと不思議。首を傾げてると、宏兄は言う。

 

『いや……な。体調はどうかと思ってさ。目眩とか、大丈夫か』

「……!」

 

 ぼくは、目をぱちりと開く。

 

 ――宏兄、わざわざぼくを心配して……

 

 気持ちが弱ってるからか、物凄く温かい。ぼくは笑って、スマホをぎゅと握り直した。

 

「えへ……ありがとう、大丈夫やでっ」

『本当か? 無理してないだろうな』

「ほんまやって。ほんまに元気やから……」

 

 嘘やない。陽平の匂いのするお布団で眠ったおかげで、元気は戻ってきてた。

 やっぱり、フェロモンが一番の薬ってことなんやねえ。

 しみじみ考えてると、宏兄はほっとため息をついた。

 

『よかった……電話に出ないから、焦った。これで出なかったら、お前のところに行くとこだったよ』

「ええっ」

 

 そんないっぱい、電話してくれてたんや。ぼくは、ベッドの上で正座して、ぺこっと頭を下げる。

 

「ごめんね、心配かけて」

『馬鹿だなあ、それは俺の勝手だろ。ところで――今日は、ずっと家に居たのか?』

「えっ、うん……何で?」

 

 あ、やばい。

 咄嗟に、頷いてしまって冷や汗が出る。

 

 ――どうしよ、咄嗟に嘘が。

 

 陽平の家に行ったのに、また会えへんかったこと言うの辛くて、つい……

 宏兄の反応をこわごわ窺ってたら、「そうか」と応えが返った。

 

『無理してないか、気になっただけだよ。ちゃんと家に居たなら良かった』

「う……うん。ありがとうね」

 

 納得してくれた宏兄に、罪悪感が湧く。けど、言わんくてすんでホッとしたのも事実で、複雑な気持ちで笑った。

 ――それから、ぼくらは少し話したん。お仕事のこととか、新しく出来たパン屋さんのこととか……体調や、悩みに関係のない話が嬉しかった。

 安心したら、また眠気が来てしまう。うとうとしたのがバレたのか、宏兄が言う。

 

『――お、眠そうだな。そろそろ寝な』

「えっ、もう?」

 

 名残惜しくて、子どもみたいに引き留めてしまう。宏兄は、くっくっと喉の奥で笑った。

 

『病み上がりなんだから、無理するな』

「うん……」

『また、明日も話そう。な』

「っ……うん! また明日ね」

 

 約束の後、通話を切る。ぼくはスマホをそっと胸に押し当てる。

 

「宏兄、ありがとう……」

 

 バッテリーが熱をもってるのか、あったかいスマホが心強く思えた。

 安心して、ふあと欠伸が出る。

 ぼくは、ホカホカした気持ちで、お布団に潜り込み――また、ぐっすり眠りこんでしまった。



 

 

 眠い眠いとは言えども――次起きたら、夜中なのは驚いた。

 

「うそおっ」

 

 どんだけ寝るの、ってくらい寝ちゃったやん! 布団からがば、と身を起こす。


「……あれ?」


 体が、しゃきしゃき動く。肘を持って腕を伸ばしても、ぎしぎししない。


「んー……めっちゃすっきりしてるかも……?」


 じゃあ、よく寝て良かったってことにしとこ。うん。

 ぼくは、ベッドから下りて、真っ暗い部屋に電気をつける。廊下も真っ暗で――わかってたけど、陽平はいないみたい。

 ダイニングへの道すがら、電気をつける。


「よし……お茶漬けでも食べようかな」

 

 まず、お腹を満たして。それから、やるべきことをしよう。……そういう気力が、戻ってることに安堵した。

 

 ――おうちに帰って来たときは、最悪の気分やったけど……もう大丈夫。

 

 結局、陽平に会えずじまいで。お義母さんには怒られるし、蓑崎さんはいるしで、踏んだり蹴ったりやったけど。宏兄と話して、ぐっすり寝たから……もう、元気や。

 ぼくは、スマホを握る。ほんまに、一人じゃなくて良かった。

 

 

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