第25話

 男の人はもう一度会釈すると、職員さんに向き直った。


「私の連れはもう着いていますか? ここで落ち合う手筈なのですが」

「はい。まだいらっしゃってはいませんが……」


 職員さんが首を振ると、その人は表情を曇らせる。


「そうなのですか……やはり、大学に直接迎えに行くべきでした。今からでも、私が向かって――」

「あ……いえっ、直にいらっしゃいます! こちらに送迎車のご依頼がありましたので。先ほど、無事に車に乗られたと運転手から連絡が――」


 踵をかえし、センターから出ていこうとする彼を、職員さんが慌てて引き止めていた。


「……あっ」


 ぼんやりと一部始終を見てしまってから――ぼくは、ハッとする。

 こんな、立ち聞きみたいなことしたらあかんっ。慌てて、その場を遠ざかる。


――でも、いいなあ……あんなに心配してくれるの……


 つい、わが身と比べてしもて、ため息をつく。

 よそはよそ、うちはうち。比べちゃだめ――そうは思うものの……素敵な光景を見たからかな。

 もうちょっと、ぼくを心配してくれてもええやろ、陽平のアホ~って気持ちが湧いてくる。


「やっぱ、話し合いせな……! 負けとったらあかんっ」


 脳内で陽平にパンチを食らわせつつ、ぼくはソファに腰かけた。

 ここなら、事務所の戸が見えるから、涼子先生が出てきたら、すぐにわかるはず。


「よいしょっと……」


 ひと息つくと……唐突に眠気がやってくる。

 大きな窓から振り込んでくる陽射しのせいやろか――瞼がうとうとと重くなってきた。


「ふあ」


 ひとつ、あくびが出る。

 暴力的な眠さに耐えかねて、腕に抱えたカバンに片頬を乗せた。


――なんやろ……なんか、めっちゃ眠い……


 寝坊までしちゃったのに、何でやろ。気持ちが怠けてるんやろか……?

 何にしても、公共の場で寝るなんてだめ。不用心。頬の内側を噛んで、眠気に抵抗するんやけど――


「……すぅ」


 ぼくは、いつしかウトウトと眠り込んでしまった。



**



……バスから降りると、見たこともない町並みが広がっていた。


「……っ」


 ぼくは勇気を奮い立たせるよう、ランドセルの肩紐をきゅっと握りしめる。


――ここに、いるんや。ぼくの……


 不安と、喜び。

 その二つの感情を、どきどきと壊れそうな胸に抱えて……見知らぬ町に足を踏み出した。




**



「……はっ!」


 新しい風が建物に入ってきた気配で、ぼくは目を見開いた。

 覚醒の瞬間、見ていた夢は霧散してしまい――硬いカバンの感触が、頬に戻って来る。


「ぁ……寝ちゃってた……?」

 

 ぼくは頬を押さえながら、恥ずかしくなる。こんなとこで寝ちゃうなんて……もう、子どもちゃうのに。

 きょろきょろと辺りを見回すと、受付にはすでに誰もおらんくなってた。

 それもそのはずで――壁にかけられた時計は、あれから三十分後の時間を指している。


「そんなに経ってたなんて……」


 かなり眠り込んでたみたいで、ちょっとびっくりする。外でこんなに寝ちゃうなんて、初めてや。

 ぼんやりしていると、ゲートを潜り、こちらに向かってくる人影が目に入った。


「!」


 ぼくは、ひゅっと息を飲む。

 っていうのも……今、会ったらマズイ人やったから。慌てて腰を浮かしかけたけど――


「よう、成。一人か?」


 それより早く、宏兄がぼくの前に立った。

 にっっこり。

 そんな感じの笑顔で、首を傾げる宏兄が怖くって。


「あ、あはは……」


 出来ることなら、もう一回眠りたいなあ、って思った。


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