第181話 じゃれ合いの後で

 とりあえず桜彩を止めて怜の上から降ろす。

 そこで怜はやっとこの地獄から解放された。

 いや、確かにくすぐり自体はホントに地獄だったのだが、それでも可愛らしい猫モードの桜彩を見れたことは予想外の役得ではあったのだが。


「……ひどい目に遭った」


「えーっ、でも楽しそうだったじゃん!」


 仰向けの状態からソファーへと座り直した怜に、ニヤニヤとした笑みを向ける蕾華。

 楽しかったのは事実だから否定も出来ずにむくれる怜。

 一方で桜彩は、今しがた自分が何をしていたのかを遅まきながらに理解して顔を真っ赤にして俯いている。


「ほらほら! これ見てれーくん! 猫モードのサーヤ!」


 先ほど撮った桜彩の姿を表示させたスマホを怜へと差し出す蕾華。

 そこには桜彩が猫の物まねをしている姿がはっきりと映っている。


「ちょ、ちょと、蕾華さん!」


「ほらほらほら。可愛いよね、サーヤ」


「まあ、やっぱりその……可愛いとは、思う……」


「え……」


 怜が蕾華の言葉に照れながら、しかしはっきりと肯定の返事を返すと桜彩もそれを嬉しく感じる。


「それじゃあはい。今の動画、ちゃんと送るね」


 そう言った蕾華がスマホを操作すると、怜達のスマホにメッセージが届いたと表示される。

 中身を開いて見ると、言葉通り先ほどの桜彩の姿がはっきりと映っていた。


「う……」


 これが怜のスマホに保存されているという事実が桜彩にとって本当に恥ずかしい。

 これで怜は今の自分の恥ずかしい姿をいつどこでも好きな時に見ることが出来るということで。

 思わず隣に座る怜の方を見ると、クスリと笑みを浮かべて送られてきた動画を眺めている。


『私のことを食うルだなんて言えなくしてやる……にゃ!』


 怜の頬を引っ張ったり体をくすぐっている時はそれが楽しくて、自分がどのような顔をしているか想像すらしていなかった。

 それがこの動画でははっきりと映っている。

 楽しそうに怜の頬を引っ張ったり、食うルと言われて怒ったり、反撃されて焦ったり、画面の中の自分の表情がコロコロと変わっていく。

 まさかこのように喜怒哀楽をはっきり表現して、それがまた恥ずかしくて。 

 なにより怜にこんな自分を見られていたと思うともう恥ずかしくてどうしようもない。


「うぅ……」


 もう耐えられなくなった桜彩が思わず自分の顔を両手で覆ってしまう。

 そしてその指の隙間からふと隣を見ると、やはり怜は楽しそうに、しかし恥ずかしそうにスマホを見ていた。


(うぅ……れ、怜に見られちゃってるよぅ……。は、恥ずかしくて顔から火が出そう…………)


 一方で怜の方も


(……なんかもの凄く恥ずかしいな)


 そんなことを思いながら送られてきた動画を保存した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「うぅ……。凄く恥ずかしいところを見られちゃった……」


 それからしばらくして多少なりとも回復した桜彩の口からそんな言葉が漏れる。

 なんだかもう人前では絶対に出来ない事を言ったりやったりしてしまった気がする。


「まあ気を落とすなって。そういうこともあるからさ」


「うぅ……そりゃあ怜は良いよね……」


 怜の慰めにも桜彩はどんよりとした口調でうつむいたまま答える。

 もっとも桜彩の言う通り、怜としても今のじゃれ合いは(多少なりともひどい目に遭ったことは確かだが)とても楽しかったし、その様子を収めた動画を手に入れたのは恥ずかしいとはいえとても嬉しい。


「はあ……ダメダメだなぁ……」


 再び両手で顔を覆ってしまう桜彩。

 髪の間から隠れて見える耳は未だに赤く染まっている。


(……ぶっちゃけそういったところも可愛らしくはあるんだよな)


 今の姿もスマホに収めておきたいな、などと思わないでもないが、そんなことをすれば桜彩がもう正気を保てなくなるだろう。

 そんなことを思いながら、丸くなっている桜彩を微笑ましく眺める。


「いやー、堪能したーっ!」


 一方で元凶ともいえる蕾華はニマニマとした目で怜と桜彩を眺めている。


「うぅ……」


 その言葉が耳に届いたのか、桜彩が再び唸り声をあげてしまう。


「うんうん、眼福眼福!」


「いい加減にしろって」


「イタッ!」


 さすがにこれ以上はまずいと思い、立ち上がった怜が蕾華の頭を軽くはたく。

 叩かれた蕾華は後頭部を押さえながら恨みがましい目を向けてくる。

 が、それは正直自業自得だ。


「りっくーん。れーくんがひどいことするよー」


 そんなことを言いながら陸翔の方へと歩いて行き、その胸の中に飛び込む蕾華。


「おい怜。蕾華に酷いことするんじゃねえよ。おー、よしよし」


 胸の中の蕾華を抱きしめながら怜に叩かれた後頭部を優しく撫でる陸翔。


「えへへーっ。ありがとね、りっくん」


「おう。蕾華はオレが守るからな!」


「…………人をダシにいちゃつくんじゃねえよ」


 そんな二人を見て呆れ顔になる怜。

 現状、このボランティア部の部室内にいる四人の内、桜彩はへこんでおり陸翔と蕾華はこれ見よがしにいちゃついている。

 正常なのは自分一人ではないかと思わないでもない。


「ていうか、桜彩がこうなった原因の半分以上が蕾華なのは間違いないからな」


「えへへーっ。だってサーヤが可愛いんだもんっ! れーくんだってそう思うでしょ?」


「…………」


 まあ桜彩に関してはご愁傷さまとしか言いようがないが、怜としてはそんな桜彩を可愛く思ったのも事実だ。

 その沈黙を肯定と受け取った蕾華がニマニマとした笑みを向けてくる。


「うぅ……蕾華さん、ひどいですよ……」


「あはは。ごめんって」


 少しだけ顔を起こして恨みがましい目を向ける桜彩に歩み寄った蕾華がその肩をポンポンと叩く。


「いやー、でもサーヤってさ。焦ると結構余裕なくすよね」


「あ、それオレも分かる」


「う……そ、それは……そう、ですけど……」


「それに付け込んで煽ってんじゃねえっての」


 蕾華と陸翔の言葉にツッコミを入れておく。

 そもそも焦った桜彩に色々と煽ってさらに状況をおかしくさせているのは目の前の二人だ。

 この二人が桜彩を色々と煽るせいで、結果桜彩が暴走し、正気に戻った後でこのように恥ずかしがるのが最近のテンプレと化している気がしないでもない。

 具体的には怜が風邪を引いた時に『あーん』で食べさせたり、バーベキューの時に指を舐めさせたり、今のようにくすぐらせたりと。

 ちなみに蕾華と陸翔としては自分達が楽しむためにからかっているわけではなく(それも理由の一つではあるが)、怜と桜彩を恋愛的な意味でもっと意識させることが主目的であるのだが。


「あはは。ごめんごめん。まあまあ結果としてこう可愛いサーヤを撮ることが出来たわけだしさ」


「だから追い打ちをかけるんじゃねえっての」


 蕾華のその言葉により再び桜彩が恥ずかしさから俯いてしまう。


「ホントごめんって。……あ、そうだ。ならサーヤ、お詫びにれーくんの秘蔵写真送るね」


「え?」


「何ッ!?」


 その言葉に顔を上げる桜彩と驚く怜。

 そんな二人を気にせずに蕾華がスマホを操作すると、桜彩のスマホが着信を告げる。

 ロックを解除して蕾華からのメッセージを確認しようとする。

 怜としても何を送ったのか確認したかった為桜彩と並んでスマホを見ると、そこには猫耳を着用した怜の姿が表示されていた。


「えっ!?」


「なっ!?」


 驚いた二人がスマホから蕾華の方へと視線を向けると蕾華がニヤッと笑い返す。


「サーヤ、どう!? 超貴重な猫耳れーくん!」


「わぁ……素敵です!」


「おい待て! 何を送ってんだ!」


 そんな抗議を華麗にスルーして桜彩の隣へと移動した蕾華が説明を始める。


「これね、去年幼稚園でやる出し物でコスプレしたれーくん! どう!? 可愛くない!?」


「はい。とても可愛らしいです。やはり怜には猫が似合います」


「だよね、だよね!」


 たちまち機嫌が直った桜彩が蕾華と仲良く写真を眺める。


「おい待て! 怜に似合うのはこっちだ!」


 するといきなり陸翔の声が聞こえ、一瞬遅れて桜彩のスマホから再び着信音が聞こえた。

 確認すると、今度は犬耳を着用した怜の姿が表示されている。


「猫耳も確かに似合う! だが怜に似合うのは犬耳だ!」


「はあ!? 何言ってるの、りっくん! 犬耳も良いけどれーくんに似合うのは猫耳だから!」


「いや、犬だ!」


「猫!」


 今度は怜と桜彩をそっちのけにして犬猫論争が始まってしまった。

 一方で桜彩はそんな怜の写真を楽し気に眺めている。

 もうこうなっては収拾がつかないなと諦めた怜は、自分のスマホを起動して先ほどの桜彩とのやり取りを昼休みの終了まで眺めることにした。

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