第12話

 外山は、三宮を取り巻く輪に入って行けなかった。

 憧れの喧嘩の頂点、いつか追いつきたいと願った頼れる先輩。そのはずだったのに、倒れた三宮よりも、倒した太郎の側に残ってしまった。なぜ自分はあちらにいなくて、ここにいるのだろう。わからなかった。いま、太郎は外山の隣りで、じっと三宮のいるあたりを見つめている。周りを囲む不良少年たちのために、三宮本人の姿は見えない。たった一発で伝説の喧嘩屋をノックアウトしたちび助は、一体何を考えているのか、外山には想像できずにいた。

 やがて、三宮がよろけながらも立ち上がった。一人では立てず、リーダーを譲った暴走族の後輩の肩を借りていた。取り囲む人の輪がさっと開き、太郎はまた三宮の正面に立った。

「おれの……負けだ」

ぼそっと三宮が言った。

「三宮さん!」

「ダメです、まだ負けてない!」

「三宮さんは最強です! これは何かの間違いだ!」

「そうだ! 三宮さんが負けるわけがねぇ!」

周りの不良たちが口々に、三宮の敗北を否定する。そして太郎に矛先が向く。

「てめぇ、このちび! どんなきたねぇ手を使いやがったぁ!」

「許さねぇ! ぶっころす!」

「よくも三宮さんを!」

いまにも集団で飛びかかりそうな勢いだったが、三宮の「よせ」の一言でぴたりと動きが止まる。

「しゃべるのも……しんどいんだ……余計なことして恥、かかせんな」

「す、すんません、三宮さん!」

足を踏み出しかけたものも、みなさっと引き下がった。

「穂村……だったか、すまねぇな」

太郎は静かに言った。

「救急車……いいんですか、呼ばなくて」

「へっ」

三宮は小さく笑う。

「好きで喧嘩やっててよぉ、負けて怪我したからって、救急車で運んでもらおうってのは……虫がよすぎる。そう思わねぇか?」

「さあ、ぼくにはわかりません」

「そうか。……まあ、おれも……こんなのは初めて、なんだが、な。……なんとか、自分で歩く、さ」

「……はい」

「それより……な。悪かったな。見た目だけで、覇権は無理だ、なんて決め……つけ、ちまって。ゴホッ」

「三宮さん! しっかり」

「もうしゃべらないでください!」

周りが気遣うのを、咳き込んだ三宮は一睨みで退ける。

「……るせぇな。おれが……しゃべってんだ。黙ってろ」

「……三宮さん」

ぐすっと鼻をすする音。ついにすすり泣くメンバーまで出始めていた。

「いや、すげぇ、一発だった、よ。これだけ……の、力がある、なら。そりゃ……もっとでけぇこと考える、よ、な?」

「……はぃ?」


 太郎はひたすら待っていた。

 もうお腹がぺこぺこだった。早く家に帰りたかったのだ。勝負がつき、相手も意識がもどったのなら、早々に解放して欲しかった。考えているのは、ごはんのことばかりだった。

 それなのに、なんだか死出の旅の遺言みたいな雰囲気になっており、「じゃあこれで帰ります」とは言いづらくなった。仕方なしに話に付き合ったのだが……。

(なんか、妙な方向へ行ってない?)

三宮が、自分をあっさり打ち破った太郎に、なにか大きな野望のイメージを付与させようとしている気がする。ちゃんと否定しておかないと、もしかしてこれはまずいのではないか?

「おれに、勝ったんだ……穂村……おまえが、この街の、全中の、てっぺんだ……」

「……え! いやいやいや!」

なんだ、てっぺんって? この人、何を言い出すの?

「おまえなら、よ。こんなちっぽけな、街じゃなく……もっとでっけえところ、でだって……てっぺん……とれる」

「はぁぁぁ?」

「な、そう思うだ、ろ? おまえら」

おお! と取り巻きから賛同の声が上がった。外山と険悪だった谷口までもが、涙を流してうなずいている。そして太郎は知らないことだが、この場には南部中、西部中、北部中、中部中のそれぞれの番格が、全員そろっていたのだ。それらがみな、三宮の言葉に聞き入っていた。つまり、この場で合意ができてしまえば、太郎の東部中も含めて、市内五中の総意と言って差し支えないのだった。

「あ、ちょっと、何言ってるんですか?」

「こいつ……と、でっけぇ夢、みようじゃ……ね……か」

はい! とてもよい返事が、工場跡地に大きく響き渡った。

「話聞いて! 勝手に決めないで!」

もう誰も太郎のほうを見ていないし、聞いてもいなかった。再び、三宮を中心に人の輪ができあがっている。太郎はその輪の外にいる。唯一、達観した顔の外山だけが、太郎の隣りに立っていた。

「いこう、ぜ、でっけぇ……てっぺん、へ……」

おおお! 野太い不良たちの鬨の声がさらにこだました。もはや盛り上がりは絶好調だった。

「ま、まって! ちょっとまってぇ」

「……あきらめろ」

外山が、無事な左手を太郎の肩に載せた。

 その後、三宮が言いたいだけしゃべってまた失神したり、それを見た取り巻きが大騒ぎしたり、なぜか太郎が不良少年の集団から胴上げされそうになったりと、いろいろあって、太郎が精神的にも疲れ切って家に帰ることができたのは、ずっとあとのことだった。空腹は限界で、もはや常人なみの動きも危うくなっていたが、何とかごはんにありつくことができた。

 京子も最近は太郎の食事量に慣れ、以前の三倍は普通に用意してくれるようになったのだが、それでもその日はあらためて京子が呆れるほどに、太郎はよく食べた。


 三宮は、宣言通り自力で病院まで行った。

 診断の結果は、全身の打撲と、肋骨のヒビ。頭は打たずに済んだようで、とくに異常は見つからなかった。ただ、医者からは「こんな怪我の仕方……クルマにでもはねられたのか?」と事故を疑われ、二階から落ちたことにしたのだが、ごまかすのには苦労した。そして診断した医者と、三宮自身も驚いたのが、胸に残った手のひらのあとであった。

 太郎の右手のあとがくっきりとしたあざになり、三宮の胸に刻まれていた。三宮は食らったときのことを思い出して戦慄したが、さしもの医者も、人間が突き飛ばした痕跡であるとは想像できず、手の跡に見えて気味が悪いと考えただけだったようだ。

 検査のためにいちど入院した三宮は、見舞いにやってきた後輩たちから、妙な話を聞かされる。

「動画が、撮れていないって?」

「ウス。誰も」

バウンサー方式を始める際、何人かが携帯端末でその様子を撮影していた。結果があまりにも予想外であったことから、そのときは誰も思い出さなかったのだが、あとから「そういえば」と動画を見ようとしたものが、どこにも録画ファイルが残っていないことに気がついた。てっきり自分の操作ミスもしくは端末のエラーであろうと、ほかに撮影をしていた仲間に連絡を取ったところ、全員が撮影に失敗していたことがわかったのだ。

「そんなことがあんのか」

「いやぁ、理由はわかんないんすけど……」

試しに新たな動画を撮ってみると、きちんと撮影できている。機械が故障しているようには見えなかった。通信不良や基地局の障害であれば、全員の端末に影響するのも不思議ではないが、個々の端末自体の機能である動画撮影で、メーカーも機種も異なる携帯端末が、一斉に撮影に失敗する理由はわからなかった。


 キャンプ以降、変化だらけの太郎の毎日であったが、三宮とやり合ったあと、学校生活にもこれまでとの違いがあらわれた。外山と、しばしば話をするようになったのだ。これは、太郎とことりの組み合わせよりも、いっそクラスメートにとって意外極まるものだった。

「おはよう、外山君」

「……よぉ、てっぺん」

あの日から、外山はずっと太郎をこう呼ぶ。太郎が本気で嫌がっているために、いまだギプスのとれない外山にとってはちょうどいい意趣返しなのである。

「そういえば、谷口となか中の芹田、あと北中の佐藤さとうに、西中の権藤ごんどうからも、おまえの連絡先を教えろってうるせーんだが、教えていいか?」

「ぜったい止めて」

三宮の呼び出しにいつ応じるかの相談で、外山と交換した連絡先は、すでに三宮には外山から流されていた。「訊かれたら逆らえねぇ」というので事情は察するが、太郎にとっては、地元最大の暴走族の元リーダーから直接に連絡がくる可能性など、悪夢でしかない。さらに市内の不良少年どもからじゃんじゃん連絡された日には、携帯端末を変更せねばならない。

「だけどよ、てっぺんとしちゃ、連中に呼びかけて、定期集会とかやらないとだめなんじゃねぇのか」

「やらないよ!」

嘲るような笑いや脅しの笑みではなく、太郎をからかって心底楽しそうに笑う外山など、クラスメートの誰もが見たことはなかった。あれ以来、真中の授業もおとなしく受け続けており、教員側からはあまり事情にまで踏み込んで来ないが、生徒らの雰囲気から、どうやら太郎が外山のコントロールの要になったようだ、という認識ができていた。これは生徒指導の面からも、きわめて異例な組み合わせの結果として受け取られた。

 太郎としては、クラスメートにせよ教師にせよ、外山に話があるときになぜか直接ではなく、自分を通して連絡しようとするものが増えて、面倒なことこの上なかったが、頼まれれば渋々ながらも、都度橋渡しをするのだった。

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