第11話

 三宮は考えた。

 これはどれだけやっても当たらない。当てられない。こちらがダメージを受けないので負けはないが、勝ちもない。体力が尽きたところで終わるだけだ。ではどうするか?

(ち。あれをやるか)

さすがに息も上がってきた。こんな相手に搦め手を使わなければならないのは業腹だが、このまま引き分けなど、もっと耐えられない。三宮はいったん動きを止め、太郎から離れた。太郎が怪訝な表情を三宮に向ける。

「おい、ちっちゃいの」

あえて挑発を入れて呼びかける。

「なんで手を出してこない? 勝つ気がねぇのか」

「……言ったでしょう。ぼくは喧嘩しに来たわけじゃない」

「喧嘩じゃねぇと言ったぜ」

「指導だと言い張るならそれでもいいですけど。ぼくはこのまま続けてもらっても」

実際、太郎にとっては喧嘩テクニックの良い指導になっていると言っても過言ではない。しかし三宮はそれでは困るのだ。

「ふん。ちと指導方法を変えたくてな」

「変える、とは?」

太郎が興味を持ったと感じた。乗ってくるか。三宮はにやっと笑う。

「バウンサー方式ってやつを知っているか?」

「バウンサー方式?」

ギャラリーがざわつく雰囲気を感じた。しかし太郎が知るわけがない。なにせ三宮のいたチーム内で代々伝わる、喧嘩ルールのことであるからだ。元ネタはどうやら著名な格闘マンガらしいというが、詳しい事情を知るものは誰もいなかった。ただルールだけが伝わっている。

「やり方は簡単だ。相手の攻撃を、絶対に避けずに一発ずつ殴り合って、耐えきれなくなった方が負け。それだけさ」

バウンサー、つまり用心棒。決して相手の攻撃から逃げず、避けず、そのうえでなお殴り勝つ職業タフネス。そんなところから来たルールらしかった。太郎はちょっと考えて応えた。

「それって、先に殴る方が絶対に有利ですよね?」

「そうだ。だから先手はおまえに譲ってやる」

チーム内ルールでも、先手は格下からと決まっていた。もし同格同士がやるときは、コインか、なければじゃんけんで先手を決める。使うときはそれも含めて、ルールを承知したということになっていた。太郎は唸って考えている。避けてはいけない、ということは、純粋にパンチ力と耐久力で勝負が決まる。つまり。

(軽いおまえでは、おれには勝てねぇんだよ)

三宮は先手を譲っても、自分の勝ちは動かないと踏んでいた。このルールは、さらに根性も試される。パンチ力、耐久力、根性、そのどれ一つとっても、太郎に負ける要素などないと考えた。

 ギャラリーの反応はさまざまだった。

 これで三宮の勝ちは決まった、と単純に喜ぶものもいれば、おおっぴらに口にはしないが、このちびっこ相手にそこまでするのか、ちょっとえげつないのでは、と批判的な視線を向けるものもいた。この場にいる中学生はバウンサー方式を知らないもののほうが多かったが、外山は知っていた。

(受けんなよ、穂村。……おまえ、自分に不利なルールだってちゃんとわかってんのか?)

太郎と三宮では、もしかしたら体重差は20キロでは効かないかもしれない。絶望的なウェイトの違いであった。下手にアドバイスをすれば、三宮からあとで締め上げられるのが明らかであるため、口は出せない。しかし、必勝を期した三宮の罠に、太郎が引っかかるのは嬉しくなかった。

(ん? なんでおれ、穂村の心配をしてるんだ?)

自分はどっちの味方なのか。というか、どっちに勝って欲しいと思っているのか。外山は、太郎が少なくとも次に自分とやるときまでは、誰にも負けて欲しくはないと思っていることに気がついた。三宮に対しては抱かなかった気持ちであったが、では太郎に勝って欲しいのかと問われれば、そこも素直に頷けないというのが正直なところだった。


 太郎はしばし考え込んだ。

 このまま三宮との勝負を続けても、おそらく当分のあいだは決着しない。外山のときのような、偶然に頼った終わり方は期待できないだろう。決着がつかないうちは、帰してもらえそうにない。いまの身体の体力がどこまでもつのかは、太郎にもわからなかったが、ひとつ確実なのは、太郎は既にお腹が空いている、ということだった。

 ここでそのバウンサー方式とやらに乗れば、いまより簡単に勝敗が決まるだろう。つまり、帰ってごはんが食べられる。問題は、殴っても大丈夫かどうか、である。

 殴り方は、もう覚えた。外山のパンチ、三宮の拳打、どちらもすっかりものにできた自信があった。状況次第でどんなパターンでも、何通りでも繰り出せるし、当てるところに応じた選択や、スピード重視なのか破壊力優先なのかといった目的による選択も、適切にできると思っている。ただ、太郎の頭には、簡単にぶち抜いてしまった学校のコンクリート塀の穴が焼き付いていた。さすがにあれを食らって平気な人間は、世の中にいたとしてもそう多くないだろう。

 太郎は一つ質問してみることにした。

「あのう、殴るの以外は禁止ですか?」

「ん?」

三宮はまさかそういう反応があるとは思わず、返答に困った。

「……殴らなくてどうするんだ?」

「あ、いや拳で殴る以外のことをしたら、ルール違反なのかな、と思って」

ああ、と三宮は納得したようだった。

「まあ、本来は殴るしかないんだけどな。いいぜ、今回のおまえに限っては、殴る以外も認めてやる。金的、目潰し以外なら、蹴りでも頭突きでも体当たりでも、好きにしろや。ただまあ、打撃には限らせてもらうがな。絞め技とか投げ技とか、関節はなしだ」

ありといわれても、太郎にそれらの技はない。どうやら殴るよりも威力の大きな攻撃をしたかったと誤解されたようだが、言質はとった。攻めに回ることはしたくなかったが、この勝負を終わらせるためには仕方がない。もう空腹に耐えられない。

「わかりました、ならそのバウンサー方式でよいです」

太郎の返答に、そばの外山が目を剥いた。

「おお、いいんだな? あとから止めたいと言っても聞かないぜ?」

「かまいません」

ごはんのためである。帰してもらえないなら、帰ってもよいようにしなければならない。

 三宮が、勝ちを確信した顔になった。


 太郎と三宮が向かい合って立つ。

 太郎がちら、と横を見ると、理由はわからないが外山は妙にイライラした顔をしているし、ギャラリーの何人かは、携帯端末をこちらに向けている。動画を撮ろうとしているらしい。

(記録が残るのは、いやだな)

そう思ったが、言って聞く相手ではないだろう。止める手段はなかった。

 始める前に、なぜか太郎が、ちょっとだけ場所を変えたいと言い出し、二人は数メートルばかり移動した。何のためなのかは見当が付かないものの、三宮にとっては同じ結果と考えていた。


 「さぁ、先手だ。どっからでもいいぜ?」

三宮は、身長差と太郎のリーチから、おそらくボディ狙いで来ると読んでいた。顔を殴るには相手との間合いが遠い。もちろんそれで来てくれるなら、太郎にとって力が入りにくい位置のはずで、なお助かるが、先ほどの質問から、パンチではなくキックか体当たりではないか、と思っていた。キックであればなおのこと、太郎では三宮の顔まで足が届かないだろう。

「じゃあ、行きます」

太郎がすっと右手を、振りかぶりもせず無造作に前へ出した。何をするつもりなのか、と三宮がいぶかしんだ瞬間、その右手が消えた。

「!」

三宮の身体を、すさまじい衝撃が襲う。気づいたときには、後ろに吹き飛ぶ浮遊感があった。え、飛んでるのか? と思った直後に、背中から地面に落ちていた。想定しない勢いに身体のコントロールが効かず、受け身どころではなかった。ダン! と勢いよく身体が跳ね、再び小さく落下する。

「がっ! はっ!」

肺から一気に空気が飛び出す。呼吸ができなかった。

 かつて一度だけ、バイクで事故ったことがあった。数メートルは吹っ飛んだものの、かろうじて九死に一生を得たのだが、あのときとよく似た、だがもっと強烈な全身の痺れがある。動けなかった。

 そのまま、三宮は意識を失った。


 三宮本人だけではなく、立ち会ったものたちにも、何が起きたのかまったくわからなかった。

 太郎が、三宮に向かって右手を伸ばすところまでは見ていた。すると、次の瞬間には三宮の姿が消えたのだ。どすんという落下音と、くぐもったうめき声がしたのは、始めに三宮が立った位置から遙か後方の地面だった。太郎は、ただ手のひらを広げて腕を前に突き出した格好で、立ち尽くしていた。

(突き飛ばした? のか?)

太郎の様子を見る限りでは、そうとしか考えられない。

 しかし、手で突き飛ばしたくらいで、ひと一人がトラックに撥ねられたような吹き飛び方をするわけがなかった。まして相手は、太郎より体重ではるかに勝る三宮である。外山も口をあんぐり開けたまま、目の前の光景が信じられずに呆然と立っていた。

(なんなんだ、いまのは)

太郎にとくべつ力を込めた様子は見られなかった。ただ一瞬、腕が消えた気がした。その直後に、三宮はいなくなっていた。これが太郎の仕業だとしたら、もはや人外の領域である。

(おれのときにこれをやられていたら……)

そこで外山ははっとなった。あの学校の塀の穴。あれはやはり、太郎が開けた穴なのではないか。コンクリート塀をぶち抜くパンチの持ち主であれば、その力で突き飛ばしたら、人間を交通事故みたいに吹っ飛ばすことも、あるいは可能なのかもしれない。

(いやいや、まてまて、そういう話かこれは?)

外山の冷や汗が止まらない。目の前にたたずむ同級生のはずの男をじっと見つめる。こいつはほんとうに人間なのか。


 太郎は自分でも驚いていた。

 加減はしたつもりだった。その前に、そもそも突き飛ばすと決めるまでにも、目いっぱい考えて考え抜いた。拳で殴るのは、最初から除外だと思った。何の気なしにやっても、コンクリート塀に穴が開くのだ。人間相手に使って良い拳ではない。ではどんな方法なら、ほどよい手段となるのか。

 平手打ち。……加減をミスると、首がねじ切れるかもしれない。

 デコピン。……額に穴が開くかも。そもそも相手のおでこの位置が高いので加減しにくい。

 キック。……パンチより強いのだ、外山の放ったような前蹴りなら相手の腹がなくなるだろう。

 体当たり。……相撲気分で当たったら、相手が人工衛星になりかねない……はさすがに大げさか。

 いずれにせよ、首より上に手を出すと、加減を間違えたらほんとうに死んでしまうかもしれないと思ったので、ボディ狙いと決めた。この点については、理由はともかく、三宮の読みも間違ってはいなかったのだ。あとは、なるべく威力を分散させて、となると、手で叩くか押すしかなかった。

 三宮の攻撃の中に、手のひらの付け根で叩く掌打が何度か混じっており、それは覚えたのだが、いずれもボディに向けてではなく顔、より正確にはあご狙いであったため、太郎には応用ができない。残るは技でも何でもなく、ただ力で相手を突き飛ばすことだけだったのだ。しかし、こんなにも遠くまで飛んでいくとは思わなかった。さらに二人にとって想定外の事態を招いたのは、太郞がボディと言っても腹ではなく胸に当てたことだった。ほんの一瞬だが、衝撃で三宮の心臓が止まったのである。太郞自身も狙ってやったことではないとはいえ、三宮にとっては心臓発作に等しいダメージがあった。

 太郎は気を取り直して、倒れた三宮のそばに駆け寄った。

 気を失っているものの、脈はあったし呼吸もしていた。頭を打ったかどうかまではわからないが、血などは流れていない。

 いちおう、どこまで飛んでしまうかわからなかったので、地面が土のところへ移動してもらったのが功を奏したようだ。放置された雑草が生い茂り、それなりにクッション効果があったと思われた。下がコンクリートやアスファルトでは、落ちたときに頭を打つ危険が大きい。落ち方次第とはいえ、致命傷リスクを少しでも下げようと、太郎なりに考えたのである。

「救急車、呼びましょう」

太郎がそういうと、おそるおそる集まってきたギャラリーが顔を見合わせた。彼らには、三宮本人に無断で救急車に乗せていいのかという迷いがあった。

「あれ? 呼べますよね?」

太郎が不審に思って周りを見回すと、かすれた声がした。

「ま……て。やめ……」

三宮であった。意識を取り戻したようだ。

「三宮さん!」

「大丈夫ッすか?」

「生きてます?」

物騒なかけ声も混じる中、現金なもので、意識があるとわかった途端に、太郎を押しのけるようにして取り巻きが三宮を囲む。力はあっても体重が軽いのは変わらない。太郎は見る間に人の輪から弾かれ、外へ追い出された。不良どもが口々に三宮の名前を呼びつつ、倒れた一人に取りすがる様はなかなかに異様で、妙な迫力があった。それもそのはず、彼らは誰一人として、これまで倒れ伏した三宮を見たことがなかったのだ。喧嘩のあと、それが一対一でも、一対多でも、最後に立っているのは必ず三宮であって、ほかの誰かではなかった。喧嘩無敗の伝説を作ってきた男が初めて敗北したとき、それを目にした後輩たちは狼狽し、取り乱していた。

 カリスマ墜つ。

 その瞬間を作り出した男は、所在なげに不良たちの輪から離れたところで突っ立っていた。

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