第8話

 「うん、ぼくも訊きたいことがある」

太郎は、ことりの思い切りの良さに感心しながら頷いた。自分よりよほど男前だと思った。

 とはいえ、この場でできる話ではなかった。どこへ行こう? といっても定番の校舎屋上は、普段施錠されていて立ち入ることができない。校内に、生徒が使えるような個室などあるはずもない。結局、太郎は二日連続で体育館裏に行くことになった。幸い、ほかに昼休みの密会を企てた生徒はいなかったようだ。

「穂村君、ほんとに外山君に勝っちゃったんだ?」

真っ先にことりが訊いたのは勝負の結果だった。向き合うと、太郎のほうがことりを見上げる形になる。

「あー。うん、まあ勝ったことにはなるのかな?」

逃げ回っただけなんだがなぁ。太郎は若干の後ろめたさを感じつつ答えた。

「ごめんね? 勝手に名前出しちゃって。びっくりしたでしょ」

「……うん。した」

「ほんとごめん」

「いいよ、まあ結局は大丈夫だったし」

「すごいのね。どうやったのか知らないけど。だから亜佳音ちゃんも助け出せたのね」

いきなりことりが核心に切り込む。まっすぐに太郎を見つめて訊いた。

「教えて。昨日じゃなく、一昨日、何があったのかを」

やおら亜佳音の名前を出され、太郎は混乱した。いったいことりはどこまで知っている?

「……世羅さんは、亜佳音ちゃんを知っているの?」

「ええ、従姉妹なの」

なんと! 校区内のこととはいえ、世間が狭すぎるだろう。いやまて、確かにあのとき警官は「世羅夫人」と言っていたではないか。ことりとの血縁に思い至らなかったのはうかつだった。さて、どうしたものか。太郎は思案する。

「亜佳音ちゃんの件で、世羅さんが知っていることをまず教えてもらってもいいかな?」

ことりはちょっと考える素振りを見せ、頷いた。

「いいわ。じゃあ……」

未だ捜査中の事件であり、誘拐犯の正体も行方も不明。そのためことりの家族に知らされている情報は、以前に父の幸夫と話したときから大きく変わってはいない。太郎にどこまで話してよいものか、ちょっと迷いもあったが、結局ことりは自分が知っていることをすべて伝えることにした。

 はじめに接触した女性が母親でないのは太郎も承知だったが、犯人の手のものだったとは、なるほど片棒担がされたとはそういう意味だったか、と腑に落ちた。謎の少年が亜佳音を抱っこして現れたところまでを話し、ことりは訊いた。

「で、それって穂村君なんでしょ?」

「どうしてぼくだと?」

「だって、この目で見たからよ。穂村君が亜佳音ちゃんを抱っこしている姿」

ことりはクルマの中から二人を見かけたことを最後に明かす。

 太郎にとっても、それで話がすべてつながった。そうか、あのミニバンは、ことりの家族のクルマだったのか。うーん、ほんとうに世間は狭すぎる。さて、ここからが肝心なところだった。ことりが見たのは、亜佳音を助け出したあとだけなのか。それとも、もっと前から目撃されてしまったのか。黙り込んだ太郎に、ことりがさらに話を続ける。

「わたしは、穂村君が亜佳音ちゃんを連れ戻してくれただけじゃなく、誘拐犯から助けてくれたんじゃないかと思っているの。違うかな」

それで、誘拐犯とやりあえるのなら、外山も抑えられると考えたのか。いや、いくらなんでも短絡的過ぎるでしょ、と突っ込みたくなった。だがどうやら、ことりには太郎の決定的な超人行動までは直接見られていないようだ。そうであるなら、このままごまかし切ることも不可能ではないと思った。……思ったのだが。

 話している間、ことりはずっと、太郎から視線を外さなかった。その真摯な目が、太郎にはちょっと眩しくて辛かった。いや、ずっと見上げてたから首が疲れたとかでは決してない。

 ことりは言葉を切って、太郎の返答を待っている。

 太郎はふう、と息を吐いた。

「えっとね。いまから話すことは、きっとめちゃくちゃすぎて、すごく信じにくいと思うんだ。でも、それでもぼくの言えることは嘘でもでたらめでもないんだよ。だから、もし信じてもらえなかったとしても、それはそれで仕方ないと思ってる」

「そんな、わたし……!」

声を上げることりを手で制し、太郎は話し始めた。それは、キャンプの朝の違和感から始まる、長い話になった。


 亜佳音を多佳子に渡し、警官を振り切って家に帰ったところまで話し終えると、太郎は一度ことりの反応を伺った。ことりは黙って太郎を見つめている。が、ちょっと様子がおかしかった。ぼーっとして、目の焦点が合っていない感じである。

「……世羅さん?」

「あ、ごめん、ちゃんと聞いてるよ?」

いやそりゃ真面目に聞いていられないよねこんな話、と内心で太郎は思った。自分だって、我が身に起きたことでなければ、何をばかなと一笑に付しただろう。太郎はちょっと諦めたように笑う。

「こっちこそごめんね、変な話して。そろそろもどろうか。昼休み終わっちゃう」

「え? あ、違うよ? いや時間は違わないけど、ああそうじゃなくて、ええっと」

いきなりことりがわたわたと焦りだした。

「えっとね、信じるってこと! いまの穂村君の話、わたしちゃんと信じてるから!」

「え?」

太郎のほうが怪訝な顔になる。信じられるの? いまの話が。それって……。

「世羅さん、あたま大丈夫?」

「大丈夫! ……って、それいくらなんでもひどくない? まさか穂村君こそ、作り話でわたしを騙そうとしたとか言わないよね?」

「いや言わないけどさ。ぜんぶほんとの話だよ。でも信じられるの、いまのが」

「だから信じるわよ。だって、そうじゃなかったら亜佳音ちゃん戻ってこなかったんだもの!」

いやまぁ、そう言われるとその通りではあるが。

「穂村君、ありがとう。わたしの大事な従姉妹を助けてくれて。ほんとうにありがとう!」

きらきらと目を輝かせたことりに迫られ、太郎は外山よりもよほど強い圧力にたじたじとなった。

「いや、どういたしまして……で、ほんとにそろそろ戻らないと、授業始まるよ?」

「あ、そうね、急がないと!」

二人は教室目指して急ぎ足になる。歩幅の関係で、まともに歩くとことりのほうが速い。

 戻り際、一度だけことりから尋ねられた。

「ねえ穂村君」

「ん? なに」

「あそこの塀に、あんな穴って前から開いてたかしらね?」

ギクッとしたのをおそらく感づかれたと太郎は観念した。なんというカンの良さであろうか。

「……ハイ。昨日ぼくがやりました」

嘘ばっかりと言われるか、それとも非難されるかと思いきや、ことりがうふっと笑う。

「先生には内緒、だね」

太郎はあっけにとられていた。

 これがぜんぶ自分をからかっているのでないなら、ことりはほんとうに太郎の話を信じてくれたらしい。太郎にはわからなかった。もし逆の立場だったとしたら。自分はこんな話、無条件で信じられただろうか? ことりは、なぜ疑うことなく「信じる」といってくれたのだろう。

 始業ぎりぎりで滑り込んだので、教室には二人そろって入ることになり、案の定あちこちから冷やかしの声が飛んだ。だがことりはいかにも納得できましたという満足感にあふれた顔で、太郎は何かの思いにとらわれて気づかないという表情で、冷やかしをものともせずに席に着いたのだった。


 ことりは高揚していた。

 思った通りに、太郎が隠された力を持っていたことに、そしてそれを自分に明かしてくれたことに、例えようもないわくわく感があった。キャンプのテントで、見たことのないクモに噛まれなかったかとか、空からガンマ線を浴びたりしてないかとか訊いてみたくなったが、太郎本人もきっかけの心当たりはないようだ。

(ヒーローと秘密の共有って、なんかそれめちゃくちゃ嬉しい)

太郎が知ったら、「ヒーロー? 誰それ?」とキョロキョロしてしまいそうなことを考えていたことりは、つい思い出し笑いをしそうになり、あわてて表情を引き締める。

(秘密……秘密なのよね? あれ、もしかしてわたし、秘密の力をわざわざ暴露させそうなことしちゃった?)

唐突に、昨日の自分の行為がヒーローの不利にはたらくものではなかったのか、と思い至り、一気に体温が下がった。だが、よく考えれば昨日の時点でことりは太郎の力を知らなかったのだ、これはいわゆるノーカンというやつではあるまいか。しかし、秘密を知らされたいまとなっては、今後自重しなければならない。ヒーローの秘密はふたりだけのもの。ほかにばれることのないよう、自分がサポートしなくてはならないのだ。

 こころに決意のガッツポーズをつくることりは、授業中なだけあって極力気持ちを抑えていたものの、ことりをよく知る佳子や真理にとっては、感情ダダ漏れもいいところであった。

きっと何かばかな妄想をしているに違いない。二人は呆れながら見ていたが、そこまでことりを知らないほかのクラスメートにとっては、これはことりが太郎に告白し、OKをもらったという嬉しさを隠しきれないのではないか、いや、そうに違いない、という解釈をしたものが大部分だった。そしてその憶測は、また新たな謎と誤解を生んでいく。

 男女の人気で言えば、太郎とことりでは比較にならない。ことりが圧倒的な上位にいた。その背の高さから相手を選ぶと勝手に思われて、多くの男子ははじめから諦めていたが、それでも高い人気を集めていることには違いなかった。いっぽうの太郎は、勉強ができるという一点で、クラス内でもそれなりの立場と尊敬は得ていたが、女子からの人気の点では、下から数えた方が早かった。もちろん色恋沙汰は蓼食う虫も好き好きであるのだから、その成績の良さに惚れるというケースもあるだろう。しかしクラスメートの目から、太郎とことりでは明らかにのであった。

 したがって、太郎がことりを呼び出し、告白の末に玉砕する、という話であれば、みな納得がしやすいのに、このケースではことりが太郎を呼び出していた。さらに戻って来てから、ことりはどこか嬉しさを隠しきれない様子なのに、太郎と来たら妙に難しい顔で考えごとをしている。いくら太郎が普段から感情を読みにくいといっても、このバランスの悪さはなんなのだろう。

 そして生まれたひとつの仮説。

「穂村がさぁ、もしかして世羅にしつこく言い寄ってたんじゃないか?」

「え、どういうこと? だって世羅さんから声かけてたよな」

「つまり、あれは告白じゃなくて、いい加減にしろ! という最後通牒の話し合いで、世羅が説得できたんだよ、きっと」

「えええ!」

「なんだその飛躍!」

「意味わからん」

「いや待て、一理あるかも」

「説明求む」

「あ、わかったぞ。じゃあ前の日の外山は」

「そう、脅しだ」

「脅しって?」

「これ以上しつこくするなら、物理的排除も辞さない、ということだ」

「それで外山利用? 世羅さんめちゃ策士よのぅ」

「えー、ちょっと手段がえぐすぎないか」

「世羅さんがそんなことするかなぁ」

「でも、そうでなきゃ、あの状況で穂村の名前が出るか? そのくらいしつこく言ってきてたんじゃないのか? つまりストーカーだったんだ」

「だけど、排除には失敗した」

「うん、どうやったのか知らないけど、外山に穂村が勝ってしまった」

「で、翌日に仕方無しの最後の手段として、世羅さん自身の直談判になった」

「そういうことだ! どう思う」

「ばかだ」

「うん、ばかだな」

「そう、穂村もばかなやつだなと……」

「違う、おまえだよ」

「え、おれ? な、なんで?」

「あれ見ろよ」

話の輪を作る一人からあごをしゃくられ、仮説の主が見た先には、上機嫌で太郎と話すことりがいた。その場にはことりと太郎だけではなかったし、二言三言言葉を交わしてすぐに離れてしまったが、どう考えてもストーカー相手の態度ではなかった。

「な?」

「うー。いや、あれはきっと直談判に成功した念押しを……」

「いいかげんにしとけ、アホ」

佳子や真理など、本人に直接問いただしたクラスメートもいるにはいたが、ことりはもちろん、太郎からも話の中身を聞き出すことはできず、三年二組の教室は、しばらく二人のゴシップ系の話題で賑わった。ふだん空気の読めない太郎にもどうにか雰囲気でわかってしまうほど、周りがこうした話で盛り上がっていることは、太郎にとってきわめて居心地の悪い時間であったものの、ことりが嫌な顔をしていないことが救いで、何とか耐えることができた。ことりに自分の身体のことを黙っていて欲しい、と頼むのをうっかり忘れた太郎だったが、仮に話されたところで聞いた相手から正気を疑われるのが関の山だろう、と思い直してそのままにしていた。しかし、ことりははじめから他人に話をするつもりはなかったようだった。

 ただ、太郎とことりの噂話はおおむね二組の中だけで済んでいたのだが、外山との話は、それだけでは到底収まらなかったことに、太郎は気づいていなかった。

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