第二話
あっという間に夏季休暇に入ったアリーチェは、最近になって新しく首元で光るようになったネックレスをぼーっと眺める。
他の生徒たちのうち、貴族子女はそのほとんどが実家に帰省している。
寮内に残っているのは、実家より寮のほうが快適だと言い張る平民や、アリーチェのように訳ありの貴族だけだ。
自室が一人部屋なのは、はたして良いことだったのか、悪いことだったのか。
アリーチェは、咎める者がいないことをいいことに、一日中ネックレスを眺めることもあった。
それは、初めて人から贈られたものだ。
レイビスと一緒に王都へ出掛けて、勉強を頑張ったご褒美に魔術書を買ってもらった日。
学園に着いて、門のところで解散しようとしたときのこと。
『アリーチェ、もう一つ褒美をやろう』
『もう一つですか? さすがにそんなにもらうのは……』
『そう言うと思ったが、これは魔術事故の原因を突き止めた褒美ってことにしろ。ただのネックレスなら不要だろうが、魔術道具ならおまえも好きだろ』
そう言って、レイビスがシルバーのネックレスを首元につけてくれる。アリーチェが素直に受け取らないことを見越してだろう。さすがにつけてもらったものを外して突き返せるほどの度胸はアリーチェにはない。
長方形のプレート型ネックレスは、まるでレイビスのピアスとお揃いのような形だ。先端にはアリーチェの瞳と同じオリーブ色の宝石が埋まっている。
『次はその魔術書の感想、聞かせろよ』
颯爽と去っていくレイビスの後ろ姿を、アリーチェはぼんやりと見送った。まともにお礼も言えなかったと気づいたのは、ぼーっと寮に帰って食事をしてお風呂に入ってベッドに潜り込んだときである。
あとからなんの魔術が付加されているのか鑑定してみたら、なんと身につけている者が負傷した際に回復魔術が展開されるものだった。怪我の具合にもよるだろうが、軽傷なら五回ほど使用できる効果があるらしいと知る。
知ったアリーチェは、もちろん返品のためにレイビスを突撃した。
しかし結局言いくるめられ、こうしてネックレスはアリーチェのものになったというわけである。
そんな彼も、夏季休暇中は公務のために王宮へ帰っているという。
(ぅあ~~~~! やっぱだめ! だめだ! ネックレス見るたびに殿下を思い出してむずむずする……!)
受け取ってしまったなら、さすがに身につけないのは失礼だろう。そう思って毎日ちゃんと首から下げているが、服の中で揺れる存在を自覚するたび、レイビスのことが頭に浮かんでしまう。一緒に出掛けたあの日の屈託ない笑顔まで浮かんできて、でも実物のレイビスの顔はまともに見られない日々が続いた。
放課後のマナーレッスンがアンヌ=マリーだけなのは救いだった。
(いい加減他のこと考えよう! ずっと殿下のこと考えてても仕方ないし!)
そこで夏季休暇中の予定でも整理しようと思ったけれど、アリーチェの予定は空白ばかりだ。
夏季休暇の後半にアンヌ=マリーと実践を兼ね備えたお茶会レッスンがあるのを除けば、一番目の魔女からの呼出しがあるだけ。
(そういえば、なんの呼出しだろ。手紙には特に書いてなかったけど……。まあ、なんでもいっか! 久々に師匠に会える。また魔術のこと、いっぱい教えてくれるかな)
――なぁんて、余裕をかましていた数日前の自分を、アリーチェは今すぐ殴りたくて仕方ない。
場所は王宮。宮廷魔術師含む魔術省の人間が勤めている魔術棟の、一番目の魔女の執務室にて。
「もっ、も、もう一回、い、言ってもらって、いい、ですか……っ」
あまりに衝撃なことを説明されたアリーチェは、身体全体の震えが止まらない。そのせいでいつにも増して嚙んでしまう。
一番目の魔女――カミーユが苦笑しながらもう一度同じことを繰り返した。
「今度ノートルワール学園で行われるインターンに、隣国の公爵子息がいらっしゃるので、その護衛の任にあなたにも就いてもらいたいのです、十三番目の魔女アリーチェ」
「ほ、ほ、ほほほ本気ですかっ……」
本気と書いて「正気」と読ませたい。それくらい信じられない話だった。
ちなみに、アリーチェは宮廷魔術師の中ではカミーユにだけ吃ることなく話せるが、今だけは別だ。
「わた、わたし、人見知り……!」
「あ、心配しているのはそこなんですね」
こくこくと何度も頷く。護衛に関しては、当然だが、最初にアリーチェ一人だけではないと聞いていたのでそこまで心配はしていない。
「でしたら大丈夫ですよ。護衛は基本的に話しませんし、対象に近づくのも危険が迫ったときくらいでしょう」
「そうなんですか?」
「ええ」
それなら、とほっと息を吐いた。自己紹介だけでもしろと言われたらどうしようかと思ったところだ。
「アリーチェは知っているかわかりませんが、実は我が国は魔術の最先端国家なのですよ。しかも歴史上初の〝黒の魔導書〟を行使する者が現れたというのは、世界中に広がったニュースです」
「え゛っ」
「今回の公子もそうですが、夏季休暇中の短期留学生として他国の魔術師見習いが来ることはそう珍しくありません。ですから本来は護衛などつけないのですが、まあ、隣国の王家の血を引く方なので、我が国で問題があっても困るでしょう?」
「そんな高貴な方なんですね……」
「そうですね。他にも理由はありますが」
なるべく離れた位置にいようと内心で固く誓ったアリーチェである。
「それもあって、本当は十二番目の仕事だったのです。ですが体調を崩してしまいましてね。それであなたにお願いすることにしたのです。それに、あなたも少しずつこちらの仕事に慣れておいたほうがいいと思いましたので」
「そうですよね、はい。大丈夫、です。十二番目の魔女さんには、お大事にとお伝えください」
「いいえ、その必要はありません」
「え?」
あれ? とアリーチェは口角が引きつった。カミーユの穏やかな微笑に、なんだか黒いものが差し込んだ気がする。
「もともと酒癖の悪い人なのです。失恋からのヤケ酒だそうですよ。あとできっちりとお仕置きしておきますから、どこか殴っておいてほしい場所がありましたら受け付けましょう」
「あ、いえ、ないです」
「そうですか? それは残念です」
実は前々から思っていたが、カミーユは何気に悪魔よりも悪魔な気がする。他の宮廷魔術師とはあまり交流がないアリーチェだけれど、なんとなくみんなが〝一番目の魔女〟を怖がっている雰囲気は感じとっていた。
(それにしても、体調不良って失恋からのヤケ酒のせいだったんだ……)
失恋ということは、恋に破れたということだ。つまり振られたということ。好きな人に。
アリーチェはこれまで恋愛の〝れ〟の字も関わったことがないので、そういう話は未知の世界である。
(でも、リーシャは憧れてたなぁ)
それも白馬の王子様を。たまたまゴミ捨て場で拾った本の中に、そういうヒーローが出てくる物語があったのだ。
お姫様のピンチを救う、かっこいい王子様。
いつか悪い病気を退治してくれる王子様が現れて、自分にプロポーズしてくれたら嬉しいなと頬を染めて話していた。
(それで『お姉ちゃんと一緒に、何不自由ない生活を送るの』だっけ。王子様どこ行っちゃったのって、あのときは笑ったなぁ)
「――……チェ、アリーチェ。それでよろしいですか?」
「えっ、はい!」
「ふふ、それなら良かったです。あなたには一番嫌がられるかもしれないと思ったのですが、快諾いただけて安心しました。では、頼みましたよ」
「え、あ、はい?」
たらり、と冷や汗を額から流す。
今さら「すみません聞いてませんでした」と返すには、勇気の足りなかったアリーチェだった。
*
インターンとは、ノートルワール学園の魔術科と騎士科で行われる参加自由型のイベントのことである。
両科合同で開催されるのだが、ようは『魔物を実際に倒してみましょう』という社会体験会だ。
ノートルワール学園の魔術科と騎士科を卒業すると、進路はおもに就職か進学で分かれることになるが、一番多いのが就職で、その出世コースとも言われるのが王宮勤めらしい。
このインターンでは、王宮に勤める官僚や騎士たちが見学に来るのが通例だと聞いた。
理由は一つ。将来有望な生徒の発掘のためだとか。
つまり、このインターンで自分がいかに優秀かを示すことができれば、王宮に勤めている現職の官人からスカウトが来る可能性が高くなるというわけだ。
よって、参加自由型のイベントといえども、どちらの科も三年次生はほぼ全員が参加するほど重要なイベントとなっている。
そして今回の護衛対象と同じ短期留学生にとっては、あの魔術先進国に留学した、という一種のステータスが付くのが重要らしい。というのも、サンテール王国への留学は、長期だろうと短期だろうと、その分野における一定の水準を上回る実力がなければ認められないため、留学できる時点でそれなりの実力者だと認められたようなものだからだ。国によっては、それを就職の条件に組み込むようなところもあるらしい。
(おおお、お、お、恐ろしすぎる……!! 誰か助けて!)
そんな重要イベントの当日。
これまで何度も共に作戦会議を重ね――アリーチェは端っこで聞いていただけだが――、隣国との境界に位置する関所まで一緒に移動してきた仲間からでさえ色んな視線をもらったアリーチェだったが、関所で迎えた隣国の公子というのが、さっきから仲間以上の熱視線を向けてくるのだ。
今は入国のための審査を随行の使者が行っているようで、サンテール王国側は待機している状態だが、その熱い視線が怖すぎてアリーチェはローブの下で震えていた。。
このあとは、共にインターン先であるノートルワール学園へ向かう。本日中に到着する予定なので、アリーチェは早く向かいたくて仕方がない。
馬車の中から自分を見つめてくる眼差しは、獲物を狙う猛獣のようだ。瞳の色が金色だからそう思うのだろうか。髪の色も瞳と同じ金色で、ライオンを彷彿とさせる美丈夫である。
アリーチェは、相手の視線から自分の身を守るように、左手でフードの先を下に引っ張った。
なんなら背中でも向けたいところだが、さすがに護衛対象から目を離すわけにはいかないだろう。
(聞いてない……あんな、あんなっ、護衛なんていらなそうな人だなんて、聞いてないー!)
けれど、アリーチェの「聞いてない」は、これで終わらなかったのである。
「――初めまして、ようこそノートルワール学園へ。サンテール王国第一王子、レイビス・ド・サンテールだ。この一週間、あなたの案内役を承った」
「こちらこそお初にお目にかかる。レヒナー公爵家長男、ブルクハルトだ。お会いできて光栄だ、レイビス殿下」
そう、この任務は、ノートルワール学園で開催されるイベントでの仕事。
ということは、その魔術科に通う〝彼〟が登場してもなんらおかしなことではない。
むしろその可能性をすっかり頭から抜け落としていた自分が信じられない。
(わたし、試験の点数が良くて、調子に乗ってたのかな……こんなにポンコツなのに……)
「光栄ついでに、いいかな、レイビス殿下」
「なんだ?」
「私の護衛についてくれたあちらの小さな魔術師は、さて、貴国の誇る宮廷魔術師たちの何番目の魔女だろうか?」
(ひぃっ!?)
なんでこっちを指差すの! とアリーチェの内心はパニック寸前だ。
「ああ、あれは――」
「貴国の騎士に訊いたところ、どうやらかの有名な〝十三番目の魔女〟だということだが、本当だろうか?」
今すぐ首を振りたい。横に振りたい。ちぎれるほどに振りたい。
チラリとこちらを見たレイビスが、静かに答える。
「……仮にそうだとして、うちの魔術師に何か用か? 今回のインターンには関係ないと思うが」
「確かにそうだ。だが、私はより強い者を求めている。せっかく黒の魔導書を行使できる者を前にして、その実力を目にしたいと思うのは自然なことだと思わないか?」
獰猛な瞳がレイビスを見据える。
背の高さは二人ともそう変わらないけれど、ブルクハルトのほうが体格がいいため、レイビスが今にも喰われそうに見える。それを周囲はハラハラと見守っていた。
なのに、レイビスは臆するどころか挑発的な瞳で相手を見返した。
「残念だが、貴重な魔術師をいたずらに消費させるわけにはいかないな」
バチバチッと、両者の間で見えない火花が散る。
(ま、待って。なんでそんな……この場合、わたし、どっちを守ればいいの……!?)
最初からなんでこんな難易度の高い任務なのかと、アリーチェは危うく気絶するところだった。
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