第3章「友人と買い物をする」
第一話
中間試験の騒動が収まり、無事にアンヌ=マリーの疑いが晴れたのは春も終わった初夏の頃のこと。
真犯人だったジニーがまさかの自主退学をしたのには当時飛び上がるほど驚いたけれど、日々は恙なく流れ、いつのまにか太陽の光が放つ熱が気になる時季がやってきていた。
なお、この間、アリーチェの友だちの人数に変更はない。
けれど、ふと思ったのだ。
どういう人間関係の状態が〝友だち〟に当たるのだろうと。
アリーチェがそんなことを考えるようになった原因の主は、アリーチェを広場にある木陰に押しやってから、どこかへと消えてしまった。
もうすぐアリーチェにとっては初めての夏季休暇がやって来るけれど、その前に約束の褒美をやるとレイビスに言われて、ようやく二人の都合があった本日、一緒に王都へと繰り出している。
寮規則のとおり外出の許可を受けて、唯一持っている外出用のワンピースを着て、待ち合わせの西門前に少し早く到着したら、なんとレイビスがすでに待っているではないか。王子様を待たせるわけにはいかないと思っての早めの行動だったのに、待たせてしまったと知るや否や、アリーチェはダッシュからの謝罪を決め込んだ。
なのに、派手すぎず地味すぎないシンプルな私服を着こなしたレイビスは、特に怒ることもなく、走ったせいで乱れたアリーチェの前髪を直すだけだった。
手袋越しとはいえ、彼の指が額に触れたときはなぜか鼓動が加速したが、アリーチェが気にしたのはもっと別のこと。
周囲をどれだけ見回しても、レイビス以外の
一応アランは知っているとのことで、何かあればアランが動いてくれるだろうと彼は軽く言ったが、アリーチェの心は冷や汗だらけとなる。
こうして、レイビスと二人きりで出掛けることになり、さらには何かあったら自分が守らなければというプレッシャーまで加わったことで、アリーチェは出掛けて早々にダウンした。
それでもちゃんと疲労を隠していたのだが、レイビスに目敏く見破られてしまい、今に至る。
「友だち、かぁ」
レイビスを待つ間、ぽそりと呟いて考える。
たとえば、一緒に勉強する相手がそうだと言うのなら、アンヌ=マリーはどうなのだろうと思った。
たとえば、こうして一緒に出掛ける相手がそうだと言うのなら、レイビスはどうなのだろうとも思う。
勉強も買い物も、どちらもリーシャが友だちとしたいと言っていたことで、アリーチェの目標でもあった。
となると、自分にとってアンヌ=マリーやレイビスは、どういう存在になるのだろう。
「難しい……」
「何がだ?」
「ひゃっ」
頬に冷たい衝撃が走ったと思ったら、どこかへと消えていたレイビスが戻ってきていたらしく、アリーチェの頬にカップを押し当てていた。どうやら氷入りの飲み物のようだ。そりゃあ冷たいわけである。
――ただ。
「殿下、もしかしてこの氷、殿下が?」
「暑さにやられたなら冷やすのが一番だろ」
当たり前のように言うけれど、ようはレイビスがアリーチェのために魔術を使ってくれたことになる。
白の魔導書を使えると知ってから、彼の魔術師としての実力は相当だろうとは思っていた。
けれど、こんなに軽く言っていいほど、青の魔導書の魔術は簡単ではない。なにせ白の魔導書に次ぐ難解な魔術式が刻まれている魔導書だ。
なんなら夏の暑い日、氷を売りに商売をする魔術師だっている。
つまり、レイビスのこれはお金を取れる行為なのだ。
「お、おいくらで、いきましょうっ?」
「は?」
「氷代です」
そう言うと、少しの間ぽかんとした彼が、次の瞬間には顔をくしゃっとさせた。
「体調の悪い奴から金を取るほど、俺は酷い男に見えるか?」
「まさか! とっても優しく見えます!」
「くくっ。それはそれで騙されてるがな。いいから、おまえは素直に受け取っておけ」
「で、殿下が、そう仰るなら」
今日は日差しが強いせいだろうか。レイビスがいつもより輝いて見える。特に微笑んだ顔がなんとも言えないほど綺麗で、胸がきゅうっと甘く痺れる。
(? 太陽って、そんな効果もあったっけ……?)
人の笑顔を輝かせるような、そんな効果が。そして人の心臓を振り回すような効果も。
「そろそろ回復したか?」
「あ、はいっ。もう大丈夫です……けど」
「なんだ」
「ご、ごめんなさい、殿下。わたし今気づきました。これ、わたしのために買ってきてくれたんですよね……。あの、遅ればせながら、ありがとうございます! ちなみにおいくらで――」
「だから、俺が勝手に買ったんだから気にするな。そもそも普通は氷よりも飲み物のほうが気づきそうなもんだが。やっぱり面白いよな、おまえって」
また彼が笑う。今度はちょっとだけ意地の悪い顔で。
でも、どんな笑顔も、やっぱり輝いて見える。不思議だ。
「行くぞ。空のカップ貸せ」
「えっ、いいです自分で持ちます」
「貸せ」
「…………はい」
そんな調子でお出掛けは再開されたが、本当は最初は、褒美に何が欲しいかと訊ねられたのだ。こうして出掛ける予定ではなかった。
ただアリーチェは、これまで贅沢とは無縁の生活を送っていたせいで、いざ〝欲しいもの〟を訊かれても答えが出てこなかった。
以前なら「食べ物」と答えていたかもしれないが、学園というのはとてもすごいところで、働かなくても朝昼晩とご飯が出てくる。最初にそれを知ったときは愕然としすぎて一食逃してしまった。
じゃあ食べ物以外で欲しいものは何かと考えてみたけれど、何も浮かばない。
困ったアリーチェに救いの手を伸ばしたのはレイビスで、今日のお出掛けは彼の提案だった。
出掛け先で欲しいものがあったら教えろ、と言われて王都へ来たのはいいものの、やはり何を見ても欲しいとは思わない。
「おまえ、それは遠慮なのか。それとも本当に物欲がないのか?」
「え、えへへ。どっちなんでしょう……」
正直、自分でもわからない。無意識に遠慮している可能性は否めない。
レイビスは女性の好きそうな雑貨店や服飾店、アクセサリー店まで付き添ってくれたが、アリーチェが反応したものは何もない。
「それより、殿下って王都に詳しいんですね。お店もたくさん知ってますし」
ちなみにアリーチェは、王都に来たのはこれが初めてのため、今自分がどこにいるのかさえわかっていない。とりあえず「王都に行く」と言われたから、「ここが王都」という認識しか持っていない状態である。
「まあ、頭でっかちな王にはなりたくないからな」
途端に声のトーンを落としたレイビスを、アリーチェは隣で歩きながら見上げた。
レイビスは顔の造形がはっきりとしているからか、それによって生まれる影が陰に見えて、急に彼が知らない人に見えてくる。
(なんだろう。さっきまですごく近かったのに、今は遠くに感じる)
でも、よく考えなくても、彼は『殿下』なのだ。こんなに気安く接してくれるけれど、彼は『第一王子』であり、本来ならアリーチェが関われるような人ではない。
(そういえば
自分に、できるだろうか。誰かを守ることなんて。妹さえ守れなかったのに。
(この顔は、知ってる。〝寂しい〟だ)
妹がよくしていた表情だ。寂しいのに、それを悟られまいと必要以上に大人びた顔をする。
アリーチェは何度、そんな妹を置いていっただろう。生きるために働く必要があった。ずっと一緒にはいられなかった。
妹は、そのせいで何度本音を飲み込んだのだろう。
そんな妹と似たような顔をする彼が、心配になる。
「大丈夫ですよ、殿下」
だから、妹には伝えられなかった言葉を、彼には届くようにと願いながら口にした。
「殿下には、ランベルジュ先輩がいますから」
彼がどうして寂しそうな顔をするのか、その理由はわからないけれど。
「ランベルジュ先輩なら、きっと何があっても、殿下のそばにいてくれます」
アリーチェは、人の観察が得意だ。そのおかげでこれまで生きてこられた。誰かの顔色を窺う人生は情けないものかもしれないけれど、意外と役にも立つ。
確信をもってこんなことが言えるのも、観察した結果だ。
だって、アラン以外の生徒会の面々に向けるものとも、遠目に見たクラスメイトに向けるものとも、近寄る女子生徒に向けるものとも違う、信頼しきった顔を、二人ともが互いに向けていたから。
「フッ。やっぱり変な奴だな、おまえは。そこは『わたしがいるから大丈夫』とかじゃないのか。せっかく俺を口説くチャンスだったのに」
「え!? 何言ってるんですか! 口説くなんてありえません! そもそもわたしなんかがそばにいたところで、何も大丈夫じゃないですよっ? だってすぐ吃るし、嚙むし、運動はできないし、自分で言うのも悲しいですけど、まあ、良いところがないので……」
「くくっ」
本当に言ってて悲しくなってきた。
「最近はこれにちんちくりんが加わりましたしね。さすがに三人にそんなようなことを言われたら、わたしだって自覚します……ちんちくりんなんだって」
「ぷ、はははっ」
レイビスが声を出して笑う。なんて珍しい。くしゃっとした顔がかわいいと思ったのは内緒だ。
視力も魔術道具で良くなっているはずなのだから、ずっとそうして笑っていればいいのにとも思う。
(そうしたらもっといっぱい人が寄ってきて、たくさん殿下の味方ができるのに)
彼のような人が王になるなら、きっと国はもっと良くなるのではないかと漠然と思った。
できれば自分のような孤児が少ない未来がいいけれど、そこまで口にするのは憚られる。
(こういうのはちゃんと、嘆願書に書かなきゃね。いきなりそんなこと言われても、殿下だって困るだろうし)
王子様とはいえ、彼も同じ人間だ。個人の願いを全て聞けるわけもない。
「アリーチェ」
「? はい」
名前を呼ばれて振り仰ごうとするより先に、レイビスの手が頭を撫でた。
「俺は、ちょうどいい」
「何がですか?」
「おまえの頭の位置」
「え……。それはどういう――」
意味ですか、と続くはずだった言葉は、レイビスがアリーチェの頭に置いた手で無理やり顔の向きを左へ変えさせられたことによって止まる。
固定された視線の先には、今にも潰れそうな雰囲気の店があった。しかしその店が吊り下げる標章には本の絵が描かれており、さらにその表紙に杖まで描かれているとなれば、ここがどういう店なのかは一目瞭然だ。
魔術師なら、珍しい魔術書を探し求めて誰もが通うであろう、魔術書専門店である。
「おまえ、好きだろ? 魔術」
「すっ、好きですぅ……!!」
――ハッ。
言ってすぐ我に返る。
「いや、ちがっ、間違えましたっ。今のナシで……っ」
「好きなの買ってやるよ?」
「えっ」
思わずときめいてしまう。
「で、でもわたし、別に、ちが……ちがっ……」
違うんです、と言いたいだけなのに、口がそのとおりに動いてくれない。
これまで魔術書専門店なんて来たことがなかったので、本音の本音は、憧れの専門店に入りたくて仕方がない。
一方で、正体バレを防ぐためにはあまり魔術に関わらないほうがいいこともわかっているので、アリーチェは本能と理性の狭間でものすごく揺れた。
ただ、ここで気づいてしまう。
「で、殿下?」
「何を意地なんて張ってる。好きならそう言え」
「いえ、そのぉ、そうじゃなくてですね? なんでわたしが、魔術を好きだと知ってるのかなぁと」
誰にもそんな話をした覚えはないのだが。
「そんなこと、おまえを見ていればわかる。隠そうとしていることもな」
「え゛っ」
「まあ、養子とはいえ貴族の娘が魔術好きを公言できないのは理解できる。女は結婚こそ幸せだと言われているからな」
「そ、そうですね?」
アリーチェの場合はそんな理由ではないけれど、ここは乗っておくことにした。
「だが、女だろうが男だろうが、好きなものは好きでいい。押さえ込むのはもったいない」
レイビスはアリーチェの腰に腕を回すと、さりげなく入店を促すようにエスコートしてくれる。
「おまえの人生は一度しかないんだから。隠して楽しめないのは嫌だろ」
カランカラン、と扉に付けられたベルが鳴る。
店内は古書の匂いに満ち満ちていた。静かな空間の中には店主が一人だけいて、来客に一瞬だけ目線を上げる。
しかしすぐに読んでいた新聞に目を戻して、特に愛想良く接客する素振りもない。
アリーチェは狭い店内をぐるりと見回した。
見える背表紙のタイトルだけでも気になるものがたくさんある。
「……殿下」
「気になったものがあったら持ってこい」
それだけ言って、レイビスは右の棚に消えていく。きっと選ぶのに時間がかかるだろうと思っての配慮だろう。なんて気配り上手な人だ。王子様のくせに。
(隠さなくていい、か)
それはまるで、彼自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえたのは気のせいだろうか。
人生は一度きりなのだから、隠さず楽しみたいと、彼は何かに対してそう思っているのだろうか。
それはもしかすると、魔術なのかもしれない。
だからこんなにもアリーチェの心を読んだような配慮をしてくれるのだろう。同じ魔術好きとして、同情してくれた可能性は高い。
(殿下は、隠さないといけないのかな。もしかして、本当は魔術師になりたかった?)
彼が魔術を好きであることは、魔術科に通っている時点で隠しているものではないはずだ。
となると、アリーチェで考えられるのはそのあたりだが、正解はわからない。
(わたし、何も知らないんだな)
友だちになってくださいと言っておきながら。
本に書かれたアドバイスをなぞるだけで、相手のことを何も知ろうとしていなかったことに今さら気づく。
(それで友だちって、本当に言えるのかな)
どこからが〝友だち〟で、どこからがそうでないのか。
レイビスのことをもっと知りたいと思うこの気持ちは、どういう感情から来るものなのか。
アンヌ=マリーに向けるものともなんだか違うように思えて、余計に困惑する。
力になりたいという思いは、どちらに対してもあるのに。
もっと知りたい。もっと色んな表情を見たい。そう思うのは、レイビスにだけだ。
(初めて学園でまともに喋った人だから……?)
大好きな魔術書を前にしているのに、アリーチェは結局、レイビスに頭を小突かれるまで彼のことを考えていた。
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