第2話「ボクの身体なんだけど」

 ボクは身体の自由を奪われたまま、ほぼ一日を過ごした。時々、数分だけ身体の感覚が戻ることはあるけど、具体的にどうすれば身体の自由を奪い返せるのかはわからない。昨日みたいに「やめろ!」と強く念じてみてもダメだ。

「随分と抵抗するんだね。でも、人間ごときじゃ私には勝てないよ。生きてきた年数が違うから」

「死んでるんじゃないの?」

「そんなツッコミを入れる余裕はあるのね。変な子。普通の人間は私を怖がるものなんだけど」

「ボク、幽霊は信じないタチなんで」

「じゃ、今の状況は何だって思ってるのかしら?」

 確かに説明できない状況だった。はっきりと女の声が聞こえるし、会話だって成立してる。そして、ボクの意思を無視して身体が勝手に動いている。こんなこと、人に話したら精神障害を疑われてしまうだろう。むしろ、そうだったらいいのに。治療できる分だけ、訳の分からない悪霊に取り憑かれてしまうよりはマシだ。

「わからないから困ってる」

「わかった所で状況は変わらないんだけどね。この身体はもうすぐ完全に私のものになっちゃうんだから」

 確かに、この状況をどうにかしないと取り返しがつかないことになってしまう。明日は病院で本格的な身体の治療の方針を決める日だった。身体を乗っ取られたままだと、本当に女の子にされてしまう。

「せめて、女の子になるのはやめてもらえませんかね?」

 一応、説得を試みる。

「嫌よ。私は女だもの。それに、この身体はすごくいい女になれそうだし。どっちみち、あなたは消えちゃうんだから、そんな心配してる場合?」

 それもそうだ。でも、自分の意識が消えるなんて言われても、あんまりにも現実感がなくて、怖さを実感できていなかった。

「ボクが消えるって決まったわけじゃないでしょ?そっちが消えるかもしれないし」

 二つの魂が一つの身体に共存できない、っていう話だったらボクが消えるって決まってるわけじゃない。

「いやいや、消えるのは間違いなく冴だよ。魂の強さが全然違うもの。あなたの未熟な魂が、百年以上悪霊やってる私に勝てるとでも?」

「悪霊って自覚はあるんだ?」

「本当、呆れるわ。あなた、自分の存在が消されようとしてるのに、どうしてそんなに冷静でいられるの?」

「身体を乗っ取られてるから取り乱したり泣き叫んだりできるわけないし」

 確かに、自分でも不思議なくらいにボクは冷静だった。昔から楽天的な性格ではあったけど、こんな状況になってもなんとかなる、なんて考えている部分があった。

「あなた、結構面白いかも。消しちゃうのがもったいない位だわ」

「じゃ、消さないで。ボクから出てってよ。そしたら、時々あの井戸に遊びに行ってあげるから」

「三十年も待ったんだし無理。前に乗っ取った身体が滅んでから三十年あんな所で待ってたのよ?私の気持ち、分かる?」

 わかるわけがない。ボクはまだ十七歳だし。このまま消えてしまったら享年十七歳か。でも、身体は生きてるんだから、それも違う。本当に妙だ。

 ボクだって恐怖を感じないわけじゃない。今まで、何度も心から怖いと感じたことがある。今だって十分に怖い状況なのに、それを感じられなかった。

 そこで、気付いてしまった。ボクはこの女に乗っ取られたことで、一部の感情が消えかかっているんだ。この女の言ってることは、多分正しい。ボクなんかの弱々しい魂じゃこの悪霊には勝てない。

 ここで、やっとゾッとした。身体の感覚はないのに、背筋が凍る。

「やっと気付いたみたいね。もう、あなたには勝ち目はないの。せいぜい最後に自分の身体が女の子になっていくのを眺めてなさい」


 翌日からは完全に身体の感覚が戻ってくることはなかった。意識ははっきりとしているのに、何もできない。完全に無力だった。

 いきなり、ボクが女の子として生きて行くことを選んだので、両親は驚いていた。でも、悪霊は言葉巧みだ。結局、両親も同意の上で、ボクは女の子を選択し、治療を受けることになった。

「そういえば、冴って女の子っぽいところあったものね」

「確かに女々しいよな。女の子の方が合ってるだろ」

 両親はそんなことを言ってるくらいだ。全然頼りにならない。改めて絶望する。


 治療はすぐに進められる。でも、いきなり外科手術とは思わなかった。あっさりボクの男のシンボルは取られてしまった。あっという間に男の子じゃなくなってしまった。これからボクの身体は女の子へと成長して行くんだ。身体の感覚がないから実感はあまりなかったけど。いいか、どうせボクは消えてしまうんだし。

 悔しいし、悲しいのに涙も出ない。それどころか、ボクの顔は笑顔だ。いや、これはボクの顔じゃない。あの女の顔だ。


「ボクっていつ消えちゃうの?」

「多分、女として完成した時じゃない」

「どういうこと?」

「初潮が来たら、あなたは消える」

 医師の説明だと、二ヶ月くらいで初潮が来る可能性があるということだ。


 そして、その時を迎えてしまった。相変わらず、身体の感覚はないんだけど。

「これでさよならだね」

 ボクはぼんやりとしていた。これが意識が消える感覚なのか。覚悟してたからなのか、それとも消えかけてるからなのかわからないけど、何の感情も湧かない。

 なんてことはなかった。ボクの意識は相変わらずはっきりしていた。それどころか、身体の感覚が戻ってくる。久々の自分の身体で感じたのは生理痛だった。確かに、感じたことがない痛みだ。でも、ボクは生きてるらしい。じゃ、もしかしてあの悪霊が消えた?そんな期待を抱いた瞬間、頭の中で声が響く。

「あなた、なんで消えないの?」

「そっちこそ、なんで消えてないの?」

 身体の感覚が久々に戻って来たことで、なんとなくこの悪霊に勝てるような気がしてきた。ボクの魂って、実は結構強かったのかもしれない。

「私の身体返しなよ」

 どうやら、うまくボクの身体を乗っ取ることができなくなってしまったみたいだ。このまま自分の身体を取り返しことができそうだ。急に希望が湧いてくる。

「ボクの身体なんだけど」

 同時に、股間の違和感で女の子になってしまったことを思い出した。取り返しても、女の子か。

「ね?女の子の身体なんて嫌でしょ?私に譲りなって」

「お断りだ」

 こうなったら、女でもいいから生きてやる。絶対この悪霊を追い出して生き抜くんだ。

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