第9話 豊かな森
エマを森で拾ってからさらに数か月。
肌寒いというぐらいの気温が更に下がり、ついにはサラサラと降り積もった雪が枯れた森の木々に実っていた。
「……雪凄い」
「ここは雪が降りやすい地形だからね。……お、あそこの木の根元、巣穴があるよ」
「ほんとだ。ちょっと見て来る」
木に開いた穴に向かってエマがトコトコと駆け寄り、その姿を追いかけつつ獣道より多少マシという程度の荒れた道を進んで山を下る。
少しすると木の前でしゃがみ込んでいたエマがパッと立ち上がり、またトコトコとこちらに戻ってくる。
「
「冬眠かな。この森は餌が豊富だし、無事に越せると良いね」
エマは足場の悪い雪に囲まれた山道を、そんな雑談をしながら平気な顔で進んでいく。
エマを連れて街に降りるのは初めてではない。
体調が安定してから一度街に出た事があるが、その時は人に酔ってしまい直ぐに退散した。
ただ屋台で買ったスイーツが美味しかったらしく、最終的には好印象だったらしい。
エマは体内の魔力器官が優秀なだけあって、数か月かけて魔術の行使や魔力の運用方法を覚えてからは運動能力がかなり上がっている。
実は見た目からは想像できない程力持ちだ。
とは言っても、ガタガタになっている山を軽快に駆けおりる事が出来る程体術を身に付けている訳では無いので、僕の魔術で地面の起伏や道を塞いでいる草木などを退けている。
そのまま進んでいると、近くの草むらががさがさと動きウサギがぴょこっと顔を出した。
「ここの子達、寒くなっても皆元気」
赤い瞳のウサギが白い体を軽快に跳ねさせ、雪の上にしゃがみ込んだエマの前に近づいて来た。
ウサギの自然で育ったにしてはとても綺麗な毛並みを撫でながら、夏に採取して保存していたラズベリーをちまちまと与える。
「エマは動物に好かれるね」
「……ゼノの方が好かれてる気がする」
エマはそう言いながら半ば呆れたような視線を僕、というより家を出てからずっと僕の肩に乗る鳥に向けた。
大きさはエマに与えられたラズベリーを食べているウサギと同程度で、色は雪に紛れるような白色。冬に向け蓄えられた脂肪もあり、ふんわりと体が大きくなっている。
「この子は昔からの知り合いだからだよ。自然との親和性ならエマの方が高いんじゃないかな?」
「鳥って知り合いとか覚えてるの?」
野生動物としての警戒心は何処に行ったのか、ウサギはエマに抱っこされたまま山道を下りながら、一緒に僕の肩に乗っている鳥を見る。
ウサギの赤い目とエマの黒い目に見つめられ、僕の肩に乗っている鳥は「クルゥ?」と首を傾げた。
「この子は幼いけれど魔獣なんだ。だから動物より賢い。見た目だけだと簡単には分からないけどね」
肩に手を伸ばして鳥の首を撫でると、今度は「クルゥ♪」気持ちよさそうな声を上げた。
その間もジーっと、エマは頭の上の鳥を凝視している。
「……本当に魔獣? 出てる魔力は普通の動物と変わらない」
「鳥型の魔獣は隠密が得意な種類が多いんだ。アーヴィスからも魔力を感じなかっただろう?」
ちょこちょこ家に遊びに来る魔鳥、アーヴィスとはエマもよく会っている。
初めて見た時に目を輝かせていたから、多分動物が好きなのだろう。
「原理が不思議。私も出来る?」
「ちょっと練習すればすぐ出来ると思うよ。向こうに泊ってる間に教えようか」
そんな風に話しながら、二人と二匹で山の麓付近まで下りてきた。
「そろそろ帰してあげよう」
「うん。……バイバイ、ウサギさん」
僕の肩から近くの木の枝に飛び移った魔鳥と、エマから撫でられ心地よさそうにしているウサギと別れ、木々の合間を縫って近くの街に繋がる整備された道へ出た。
「……この前街に来た時も思ったけど、綺麗な道を歩くとちょっと不思議な感じがする」
「野生児みたいな感想だね」
「ずっと山に居たから、同じようなもの」
デフォルトの環境が山の凸凹とした地面なら、体もそっちに適応してしまうのもわかる。ここ数か月の間、外と言えば山道だけだったはずだ。
無論家の中と魔術などの訓練場は整備してあるから、歩くのが辛いという訳では無く気分的に不思議な感じがするだけだろう。
「……ゼノ」
「ん? なんだい?」
「本当に、私が付いてきて良かったの?」
遠くの城門を目指して歩きながら、手袋を付けた手で僕のコートの裾を掴みながらエマがこちらを見上げて口を開いた。
表情も声音もいつもと同じ冷静な雰囲気だが、そこには微かな不安が見て取れた。
「おや、随分勢いが無いね。あれだけ必死だったのに」
「あ、あれはちょっと焦ってた……」
こちらが微笑みながら言うと、エマは軽く頬を染めながら恥ずかしそうに顔を伏せる。
その姿が愛らしく、背景の雪とは対照的な黒髪に手を乗せる。
「ん……」
「大丈夫だよ。言っただろう? 気にする必要はない」
先ほどのウサギよりも気持ちよさそうな顔で撫でられ続けるエマを横目に、こうなった経緯であるエマの言葉と表情を思い出す。
『私も、連れて行って。——お願いします』
僕がしばらく友人の所に行ってくるといった時、エマは頭を下げてそう頼み込んできた。
その時に、エマの本質の一部分をなんと無く感じ取れた気がした。
まぁ、だからと言ってどうする事も無いけれど。
「寒くない?」
「大丈夫。……これ暖かい」
「それは良かった」
エマは首に巻いた白いマフラーに触れ、小さく口元を綻ばせる。
「……ゼノの魔力、感じる」
「魔力が切れたらまた注いであげて。そうすればずっと暖かいから」
「自分の魔力より、ゼノの魔力がいい」
道に出てからずっと掴んでいるコートをクイクイと引っ張りながら、小さな我が儘をつげてくる。
「良いよ。手袋もそうする?」
「うん、お願い。……ゼノはこのマフラーとかつけないの?」
先ほどから話しているマフラーや手袋には、魔力を通すと生物の体温に丁度いい程度に熱を持つ性質の魔物の素材を用いている。
どれだけ魔力を込めようと高温になりすぎるということも無いし、一度繊維に魔力を込めれば半日程度は持つ。
そんな便利な物だが、エマは使っていても僕は使っていなかった。
「この程度の寒さなら、ただのコートとマフラーで十分」
「……もしかして、これはゼノが使ってたやつ?」
「ん? まぁ去年使ってたけど。……え、臭う?」
そう聞くとエマはふるふると首を振って否定してくれる。
「ゼノの匂いは良い匂い。でも、私が使ってたらゼノは寒くないの?」
「あぁ、そう言う事か。……手を出して」
「……これで良い?」
「うん。……ほら、冷たくないだろ?」
申し訳なさそうな声で言うエマにそう言って、片手だけ手袋を外させてその手を繋ぐ。
エマの手は発熱する手袋を付けていたから当然暖かいが、僕の手も外気に晒されているのに大分暖かい。
「山道を歩くとき、エマも魔力で身体能力を上げたり重心を変えたりしてるだろう? それを応用した技術で、こんな風に体温を調節することもできる」
「……そう、なんだ」
エマの懸念が無くなったと判断して手を放そうとすると、その手がギュッと小さな力で掴まれた。
「エマ?」
「……繋いだままが良い」
マフラーに口元を埋め、赤みを帯びた耳を髪の隙間から覗かせていた。
「いいよ。手が冷たくならないように、僕の魔力を少しエマの手に流すね」
「! うん、それが良い。ずっとしてて」
「街ではぐれない様にこうしておこうか」
「そう。はぐれたら危ないから」
念を押す様にエマがそう言い、がっしりと手が掴まれた。
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