第20話「頭痛のタネ増加中」

 鼻が真っ赤になるまで泣いてスッキリしたのか、聖女は冷やした布を顔面に当てていた。

 人型スライムはセバスから貰った服が濡れたことに微妙な表情を浮かべている。その水分まで吸収を試みたら止めようとしたが、スライム曰く「グルメだから」とのこと。

 慌てた騎士に呼ばれた若い侍女が、氷水が入ったタライに新しい布を浸している。甲斐甲斐しい様子に、魔導騎士は声をかけてみる。

 

「勤続年数と名前は?」

「今年から働いております、エリでございます」

 

 静かに頭を下げると、馬の尻尾のような艶のある黒髪がさらりと揺れた。

 見上げてくる瞳も黒で、自然な化粧で清潔さを維持している。所作から気品を感じ、爵位の低い貴族の出だろうと当たりをつける。

 王宮や王城で働く使用人となれば身元の証明などが求められる。子沢山で養えきれない貴族などが、末子などを働かせるのだ。

 

「新人なんだ。私の周囲おばさんしかいないから、そういうもんだと思ってた」

 

 若い少女からの強烈な一言。壁際で護衛をしている騎士の一人が、突如咳払い。肩の震えが誤魔化しきれていない。

 急に話しかけられた若侍女は背筋をぴーんと伸ばし、頬を桃色に染めている。

 

「聖女様のお世話は経験豊富な侍女長様達が担当されておりますので!」

「うん。経験豊富すぎて、マナーがなってないとかうるせーの」

 

 相当鬱憤が溜まっていたのか、聖女の口が悪くなっている。

 そのことに焦る若侍女だが、気軽に批判も肯定もしない。自らの立場を理解し、適切な態度で黙することを選んでいた。

 

「聖女様。学びの機会は与えられていたと存じますが?」

「うっ……今度から真面目にやりまーす」

 

 ケイジの鋭い言葉に、聖女は苦笑いを浮かべた。

 言語は一部を除いて意味まで通じる。だからこそ第二王子も含めて、思惑はあれど聖女に教育を施すことができた。

 しかし聖女は興味がなさそうに別の話に飛びつき、結局は予定が狂うことも少なくなかった。ケイジは特に苦労した側である。

 

「……うん。恋愛しに来たんじゃないもんね」

 

 椅子の背もたれに寄りかかり、首を上げて天井を見つめる聖女が呟く。

 褒められた所作ではないが、姿勢を正した時には瞳に宿る感情の質が変化していた。

 妖精のようなボブヘアが揺れる。髪も目も栗色な少女は、護衛の騎士へと早速駆け寄る。

 

「私が最初に着てた服!あれと同じデザインを第二王子に作らせてください!」

「え!?それは聖女様自らが告げた方が……」

「じゃあ手紙を書くので渡してください!あの人、忙しいみたいで相手してくれないんです!」

「ど、努力いたします……」

 

 冷や汗だらけの護衛騎士に同情しつつ、ケイジは机に戻ってきた聖女の筆跡を眺める。

 丸い。ただ不思議なのは聖女は止まることなく書いており、ケイジ達が使う文字と全く同じなのだ。

 しかし人型スライムだけが不可解そうな視線で、手紙の文字を追っている。

 

「これは何だ?」

「日本語。書いたら読めてるみたいなんだけど、ライムさんは文字が駄目なの?」

 

 瓶の底に書かれていた文字を読めていた。人型スライムは少なくとも文盲ではないのに、聖女が書く文章が解読できない。

 しかも聖女は元の世界で使っていた文字を使っているらしい。だがケイジが何度見ても、この国で使われる一般文字である。

 気になったのか、若侍女や冷や汗騎士も手紙を覗き込んでいた。すると文字の幼稚さが恥ずかしくなった聖女が、書面を手の平で隠してしまう。

 

「まじまじ見ないでよー!」

「私は難なく読めますが、侍女殿は?」

「同じく。もしかしてライム様は修学の経歴がないのでは?」

「必要なのは初期設定してもらったが」

 

 わけのわからない単語を使う人型スライムのせいで、冷や汗騎士や若侍女は混乱を深めてしまった。

 

「俗世から離れて占術を学んでいた変人だ」

 

 それだけで二人は納得したが、人型スライムは不満そうに魔導騎士を睨む。

 怪しい占い師という出まかせが、ここまで活きてくるとはケイジ自身も予想外だった。しかし利用しない手はない。

 聖女もそれで納得したのか、書き終えた手紙を不思議な折り方で手紙にしてしまう。便箋もなしに、小さな封書が完成した。

 

「聖女様、今のは一体どんな魔法を?」

「折り紙だよ。授業中にこっそりやってたの」

 

 手の平にのる小さな封筒に、若侍女は感動したように目を輝かせている。

 オリガミという手法は異世界独自のものだ。ケイジ達が授業中にやるとすれば、魔法で浮遊や転移である。それ以外は辞書に畳んだ便箋を挟むのだ。

 手渡された冷や汗騎士が、視線で魔導騎士に助けを求めてきた。聖女に見つからないよう、背中で受け取る。

 

「ケイジさん、魔法の授業を毎日入れてください!」

「困る」

 

 いつの間にか敬称が変わっていることよりも、突如として渡された要望に拒否の姿勢を取る。

 ただでさえ隊長としての業務をいくつか放り投げての特別措置である。

 仕事は溜まっていくばかりで、最近の婚約問題のせいで洒落にならない量が執務部屋に積み重なっている状態だ。

 これ以上聖女関係の仕事を増やされたら、ケイジが過労で倒れてしまう。ただでさえ人型スライムについても頭を悩ませているのに、聖女まで追加されたら頭痛薬が必要だ。

 

「だってライムさんがここに来るには、ケイジさんが一緒じゃないと無理じゃないですか!」

 

 今でさえお情けと偶然の重なりで許されているだけで、人型スライムは気軽に王宮に出入りできる存在ではない。

 実際に横切る騎士達は嫌悪を露わにするが、文句を言わないのは聖女のお墨付きと魔導騎士団第二隊長が監視しているからという理由だ。

 人型スライムが単体で王宮に入るのは不可能。まず経歴や出自など調べられたら、ケイジにまで被害が及ぶ厄ネタである。

 

「ハルカがこいつの職場に来ればいい」

「お前、もう少し敬いを覚えてこい」

 

 思いっきり指差して「こいつ」呼ばわりしてくる人型スライムの顔面を、片手で掴みながら少しずつ力を込める。

 慣れたように腕がペチペチと頼りない指先で叩かれた。ある程度のところで離してやれば、痛そうに頭を両手でさすっている。

 頭蓋骨の感触はある。だがその中身を確かめる好奇心は魔導騎士にはなかった。

 

「第二王子が許可を出さないと……」

 

 ちらり、と冷や汗騎士に視線を送る聖女。

 冷や汗の量が倍増し、今にも頭から倒れそうなほど顔色が悪い。

 若侍女も気の毒そうに見つめているが、口出しできないと賢き沈黙を選んでいる。

 

「か、かしこまりましたぁっ!!」

 

 涙目の少女に負けた冷や汗騎士は、十分後に魔導騎士へと縋りつくのだった。

 

 終業の鐘が鳴った後の廊下を歩く。曲がりくねった、王宮独自の防犯対策。

 赤い日差しが石の廊下を照らしているが、寒さが忍び寄る時期のせいで底冷えしている。

 人型スライムが背後からついてくることを意識しつつ、手の中にある小さな封書に視線を落とす。

 

 手紙を渡すついでに仕事が増えることになった魔導騎士は深いため息を吐くが、もしも聖女が騎士団の詰め所に来るならば悪くない。

 王宮と魔導騎士団の詰め所は王都の中心と結界の壁近く。その距離は三つの街を横断するので、往復だけで体が鍛えられてしまうほどだ。

 

 問題は聖女の安全性や、魔導騎士が魔導学会派閥であることなど。またもや解決しなければいけないことが山積みになっていく最中――。

 

「ようやく話せそうだね」

 

 魔導騎士と人型スライムが振り返った先に、粘つくような笑みを浮かべた第二王子が立っていた。

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