第16話「告白対決」
貴族街の噴水広場は住宅街と違い、静かな場所である。
貴族に待ち合わせというものは基本的に不要だ。事前に連絡を入れてどちらかの屋敷に向かうか、お茶会や社交会の日取りを決めるのだ。
買い物も商人が屋敷に向かうことが前提で、移動は馬車が基本。ケイジが歩いて移動しているのは騎士として体を鍛えているからだ。
貴族の令嬢や子息は常に身の危険を覚えるべきであり、その危機意識が大人になっても染み付くことで安全を勝ち取るのである。
では何故、噴水広場というものがあるのか。
交通整理と景観保持のためである。
馬車で貴族が移動するとなれば、道路幅が一定以上求められる。しかしすれ違うような直線道では、事故や身分差による譲り合いについて問題になる。
うっかり爵位が低い貴族の馬車が、爵位の高い貴族の馬車とすれ違う。もしくは先に道を渡ってしまうと――屋敷へ直々の苦情が飛んでくるのだ。
そこで円環状道路が必要になる。馬車の速度制限、合流の際に状況把握、ぐるりと回る構造はどちらが先かを曖昧にする。
円環状道路の真ん中に噴水を置くことで水流音のせせらぎによる癒しや花壇で感じる季節、また反対位置にある馬車内部の覗き防止に繋がる。
これにより貴族同士の諍いや苦情が大幅に軽減し、貴族街のあらゆる場所に噴水広場が建設された。
あまりにも乱立されたせいで、使われていない噴水広場ができあがった。直線道も大幅に減少し、まっすぐいけば早いのに、円環状道路でぐるぐる回る羽目になる。
複雑な道路事情にも関わらず安全が確保されているのは、王宮騎士団による巡回が素晴らしいからだ。
王宮騎士団の新米はまず貴族街の地図を頭に叩き込むことから、仕事が始まる。地図を覚えて、先輩に頼らず歩けるようになれば一人前だ。
木枯らしが吹く時期になれば新米は一人前になり、半人前でしかなかった者は別の職を探す。
一人前になって覚えるのは貴族の関係性だ。
歴史から王朝初期から存在する貴族を覚え、現在の当主や後継者、騎士団所属や婚約者の有無などを記憶する。
これができてようやく王宮や王城の出入りが許され、雨水で凍える職務から解放されるのだ。
しかし王宮騎士団は階級主義。所属者の多くが貴族出身。
幼少の頃から専門の学びを得ているため、関係性など今さらの話だ。
そんな彼らがとある噴水広場を見つめて足を止めてしまい、動揺のざわめきが好奇心の呼び水となっていた。
屋敷のメイドや庭師、果てには小型馬車から覗く令嬢子息まで。
たった二人に視線が集まっている。貴族社会では有名人であり、揺るぎない未来が待っていると噂されていた婚約者達。
王朝初期から王国を支える貴族の一つ、ドラコー家の三男。雨垂れ戦争にて脅威の活躍を見せたレイニー家の子孫、社交会の花である御令嬢。
まるで真剣勝負をするように、仲睦まじい二人が対峙している。
「ケイジ様。婚約破棄をした私に、何か御用でしょうか?」
まさに大砲の一撃。予想外の切り出しに、騎士さえも職務を忘れてしまった。
花壇に隠れている執事と人型スライムは知っている事実だが、社交会にすら流れていなかった大事件である。
お茶会帰りの令嬢達などは馬車の小窓に張りつき、かぶりつくように事態を見守り始めた。
「ナハトと婚姻を結ぶ前だな?」
「明日には決定を下されるでしょう」
雨垂れ戦争で反撃の一手を打ち出した貴族の子孫、大家族で有名なクラウド家の五男。
その女遊びは周知の事実であり、軟派ながらも整った容貌から遊ばれたいと密やかに願う令嬢は少なくない。
かつての婚約者は十二歳の若さで事故によって早逝しており、それを忘れるための女好きを演じる噂は劇の演目扱いだ。
クラウド家とレイニー家は共に雨垂れ戦争で功績を残した騎士が、貴族の地位を与えられたことで有名だ。
貴族が歴史を学ぶ時、王朝初期に起こった戦争の中でも輝かしい浪漫に溢れている。子供達が騎士ごっこをする時は、その雨垂れ戦争を舞台にしていることが多いほどだ。
その両家が時を超えて血を繋ぐということは、生まれてくる子供は英雄の生まれ変わりか。聞いている貴族達からすれば、最高の縁談に思えた。
「ああ、それとも――私に破棄を申し出されたのにご立腹なのでしょうか?」
「……」
「でしたら今度はケイジ様より仰ってくださいな。愚かな令嬢には相応しい恥晒しとお笑いください」
挑発する元婚約者は、夕闇迫る中でも美しい。
少し癖のある金の長髪からは花の香り。瞳は最上級の碧玉のように輝いて、冷たく魔導騎士を捉えている。控えめな水色のドレスが、暗苦なる時間では淡く光っているようにすら感じた。
あらゆる貴族の子息が憧れ、ドラコー家が相手では勝ち目がないと諦める。社交会の美しき令嬢は、一線を引いたまま近寄ってこない。
「俺がそんな愚行を犯す男だと思っているのか?」
「その方がお互い救われるでしょう」
口先では勝てない。それくらい初めて会った時からわかっていた。
四歳年下の少女に言い負かされた過去を、ケイジは忘れたことがない。それが最初に味わった「恋」だったのだ。
聡明で美しい少女。彼女以外の選択肢など、喜んで投げ捨てた。
「俺は君と結婚したい」
馬車を引く馬が驚いて暴れ出しそうになった。それだけの黄色い声があらゆる場所から響き、御者や騎士達が必死に宥める。
略奪愛か復縁か。結婚式に突如として現れた真実の愛からの駆け落ちを見るが如く、令嬢達の興奮は過熱していくばかりだ。
人型スライムも耳が痛くなり、両手で耳を塞いでいる。視線はあちらこちらに動き、執事は「ほうほう」と笑いながら、愛用の万年筆で素早く手記をまとめている。
「……だから?」
しかし切り返す刃は鋭く、冷たい疑問がケイジに突き刺さる。
貴族の婚姻は両者の意思だけで成り立つものではない。立場や家の事情、あらゆる物事が検討されて、どうにか決まるものだ。
それが破棄されたのである。意思や願いだけで叶うのならば、この世のあらゆる悲劇は凄まじい勢いで減少するだろう。
レイニー家の事業失敗は、そこらの貴族とは比較にならない規模だ。
国主体の交通事業革命に投資し、雀の涙ほどの利益も出なかったに等しい。損失を取り返すだけで百年単位の時間が必要である。
ドラコー家でも容易ではない。しかしクラウド家ならば可能なのは、所有している鉱山で新しい希少鉱脈が見つかったからだ。
フォーグ・クラウドの名の下に。
婚姻を結ぶことで、その鉱脈の利益配分の契約書が交わされる。
ドラコー家の三男では到底届かない金額を、貴族の当主ならば動かせる。だからこそキトラとナハトの婚約には意味がある。
「残念ですが、その程度では……」
ため息を吐くキトラの耳に、ケイジの真剣な声が飛び込む。
「俺の純潔は、君と結婚するためだ!!」
顔を真っ赤にした美形の告白に、馬車の中で興奮していた令嬢達の黄色い声が途絶えた。
貴族の純潔など、適当に捨てるものだ。将来の伴侶のためなどほぼ無意味で、愛人や浮気で楽しむ際に邪魔なだけ。
ナハトの女遊びに嫌悪感を示さないのも、貴族からしてみれば普通なのだ。愛や恋に必要なのは快楽で、婚姻には儀式や利益だけ求めればいい。
さらりとした黒髪に、情熱に燃える赤い瞳。
整った白い肌は首や耳まで真っ赤に染まっており、恥ずかしさのあまり俯いてしまっている。
魔導騎士団第二隊長は、二十二歳になっても童貞だった。
遊び慣れていない初心な美形。恥辱に顔を上げられない光景。
令嬢だけでなく、様子を見ていたメイド達も限界値を振り切った。
黄色い声は絶叫となり、近場の屋敷の壁を震わせる。噴水の流れる水にさえ波紋が発生し、花壇の樹木も強風に見舞われたように揺れている。
声に酔った人型スライムは倒れてしまい、執事は楽しそうに「ほうほうほーう」と二冊目の手記を取り出した。
「な、何を……」
「これが俺の覚悟だ!」
驚く元婚約者へと一歩近寄り、顔を真っ赤にしたままケイジは告げる。
「君のためならば、俺は手段は問わない!」
結婚後まで秘密にするつもりだった。幼馴染すら知らない真実。
それを衆目の前に曝け出して、どれだけ笑われようが構わない。
「愛している!」
これを形容する感情は、ケイジの中には愛以外該当しないのだ。
「でも……その……」
しかしキトラの反応は、誰もが想像していた内容とは違った。
顔を青ざめて、指先は寒さで震えているように小刻みに揺れている。怯えるような視線で、元婚約者は告げる。
「私が貴方に望むのは――」
美しき社交会の花が口に出した内容は、毒と呼ぶにはあまりにも強烈だった。
再び時が止まったように声が消え、愛を示した魔導騎士すらも戸惑う。
この美しい令嬢に秘められた気持ちも愛と呼ぶのならば、こんなにも苛烈で酷なこともないだろう。
「もう一度、言ってくれないか?」
「……わかりました」
聞き間違いではないことを確認するための言葉に従い、キトラ・レイニーは告解するように告げる。
「私は貴方が泣いて許しを乞うように抱きたいの」
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