第15話「紅葉の咲き乱れ」
ジェーンにクラリス、サナにニーア。
ここにミランダを加えて悪女五人衆はナハトの元恋人であり、クラウド家によって縁の切れ目で酷な状況の最中だ。
ジェーンは病気の妹の薬代が消えて、クラリスは弟の学費返済の目処がなくなった。
サナは亡くなった父親の借金取り立てが激しくなり、ニーアは母親が負担にならないようにと首吊りを始めていた。
そこに現れた老執事が俊敏に対応し、かろうじて人命は守られた。しかしナハトは全女性から怒りの一撃は必ずお見舞いされた。
両頬が真っ赤な紅葉の咲き乱れとなったナハトは、人相が変わりながらも苦笑している。
ぷっくらと膨れ上がった頬は重たそうで、林檎ほっぺの赤ん坊と比べても肥大している。
自称恋愛の達人の勇姿は、魔導騎士団詰め所前を照らす夕焼けで輝いている。執事が氷嚢をそっと差し出していた。
「なんとか全員集まる日取りは決まったぜ!」
やり切った顔をしている幼馴染を、ケイジは哀愁を込めた眼差しで見つめる。
顔立ちは整っている方だと自他共に認めているが、その面影は消えていた。それでも責務をやり遂げたような晴れやかな笑顔を否定することはできない。
人型スライムも視線をあちらこちらに動かしているが、瞳に込められた感情は哀れの一言だった。
「坊ちゃま。こちらが被害想定額でございます」
知り合いの貴族子息が頬を叩かれている間に、有能執事は素晴らしい計算を行なっていたらしい。
悪女五人衆は全員住宅街出身であったが、それなりの金額を必要とする家庭事情を抱えていた。
そのために軟派な貴族子息と恋愛することで、同情と金銭を貰っていた。全てを家庭に注いでいたわけではないが、半分以上はその方面で使われている。
「全てを解決することはないな」
「はい。問題はクラウド家による妨害でございます」
悪女五人衆の稼ぎはナハトからだけではない。彼女達自身の仕事ぶりや人間関係による土台があった。
しかしクラウド家はその全てを潰した。貴族が直々に手を下したことで、彼女達を家族も含めて腫物のように扱う風潮である。
キトラとの婚姻で彼女達の関係性が持ち出されたら疵になると考えたのかもしれないが、あまりにも過激すぎる制裁だ。
「父に支援の要望は?」
「ヒルダ様がお帰りになるまでは難しいかと」
ドラコー家当主はケイジの父親であるが、入婿である。直系の血であり実質的な家の主導権を握っているのは母親のヒルダだ。
当主は少しぽっちゃりしているが、清潔で優しそうな男性である。貴族社会で生き残っているが、たまに怪しい話に流されてしまう。
それをしっかり躾けて軌道修正を行うのが奥方の役目。他貴族も一目を置く手腕は、恐怖を覚えるほどだ。
「当主様ではクラウド家の動きを止めるのは困難でございます」
「……そうだな」
歯に衣着せぬ言い方の執事ではあるが、事実なので肯定しか返せない。
ドラコー家は王朝初期から存在する家系ではあるが、クラウド家も負けてはいない。当主対決となれば、奥方の力がなければ危機しか招かない。
そしてヒルダは現在友人と小旅行中である。帰ってくるまで待つのは、悪手の他ならない。
「ナハト、お前はフォーグ殿に直訴して来い」
「おう!で、ケイは?」
「……俺は」
幼馴染は顔が変形するほどの目に遭っても、まだ諦めていない。
元恋人達のために心身を賭けて行動し、滑稽なほどの奔走の果てに望む未来を掴もうとしている。
ここまできたら恥ずかしがってなどいられない。顔を真っ赤にしながら、ケイジは叫ぶ。
「キトラに告白する!」
その勢いに押されたナハトは拍手を送るが、執事は冷めた顔で立ち尽くしている。
人型スライムも他人事のように受け止めており、幼馴染以外の冷酷な反応に心が折れそうになるのを必死にこらえた。
「ライム、手出しするなよ」
「……どういう意味だ?」
「その洋燈は使うなってことだ」
念のため先手を打っておく。
女神が紡ぐ紬糸。縁を補強する力があるとすれば、婚姻問題も円満解決する可能性がある。
ただそれはケイジが望むものではない。ナハトの金運が上がったせいで、キトラとの婚姻話や悪女の縁切れなど別の問題が起きることもあるだろう。
なによりキトラとの復縁に必要なのは女神の力ではなく、ケイジの努力であるべきなのだ。
気持ちを言葉にしてこなかった過ちを、自らの手で清算しなくてはいけない。
奇跡や天運に任せたくない。キトラへの愛や好意は、ケイジの心から生まれているものだ。
それだけは他者が介入すべきではない。
「自分は慰めたりしないぞ」
「嫌われる前提で言うのやめろ」
すでに負けの未来を語る人型スライムの顔面を、片手でわし掴む。ぺちぺちと腕を叩く指先。
ずいぶん距離が近づいた二人を眺めながら、ナハトはクラウド家へ向かう。
執事はドラコー家の行く末を見守るという建前で、幼い頃から世話していたケイジの告白模様を見物すると決めた。
「それではレイニー家に面会場所をお伝えしてまいります」
面白がっている執事の行動は素早く、貴族街ではあまり使われてない噴水広場を指定してきた。
止める暇もなく行動に移す出歯亀執事の背中を見送り、魔導騎士は舌打ちしそうな鬼の形相で呟く。
「見世物じゃないんだぞ」
「見応えあるらしいのに?」
「らしいってなんだ!?」
曖昧な言葉遣いをする人型スライムの視線は、様々な方角に動いている。
やはり羽虫を追いかけているように見えるが、うるさそうに耳を半分ほど塞いでいる。
木枯らしがカサカサと木の葉を擦る音はそこまで騒がしくないのに、眉間には皺が寄っていた。
「スライムは聴覚が敏感なのか?」
「いいや。音など、この体になって初めて聞いた」
スライムが人型であることに関してはまだ謎が残っているが、今すぐ解明する緊急性はない。
今のところ人的被害は出ていない。目的は二人目の神子を助けるということも判明した。
少なくとも目の前の擬態魔物は、人類に対して敵意を持っていないように見える。
「見守るのはいいが、手出しするなよ」
「わかっている。しつこい」
若干嫌がられたが、構うことはなかった。
何度言われようとも一世一代の告白を邪魔するものは、剣で斬り捨ててしまおうと考えているほどだ。
緊張して神経質になっている魔導騎士の背中を、人型スライムはてくてくと追いかけていく。
貴族街の噴水広場。
勝負の場は整えられ、役者が揃うのを待っている。
そして魔導騎士は知るだろう。婚約者の秘められた想いを。
受け入れるには過酷な本音を、彼は聞くことになるのだ。
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