第13話 大盛況!?

 お菊は、しゃがみこんだ井戸のなかで退屈していた。

「有名ホラー映画大作戦」を決行して最初の客だったチンピラ風の男が帰ったあとは、アヤメとジーナが交互に客ひきを頑張がんばってくれたにもかかわらず、次の客がなかなかこなかったのである。

 やはり、新三郎しんざぶろうが指摘したとおり、宣伝もしていないのに大勢の来客を期待するのは虫がよすぎたのかもしれない。

 小瓶こびんのなかのグミをもぐもぐとつまみながら、お菊がそんなふうにあきらめかけていると、開園して一時間くらいが経過したあたりから、突如とつじょ、客が増えだした。

 お菊の実質的な最初の客となったのは、ふたり連れの若い女性だった。

 お菊よりもわずかに年上と思われる彼女たちは、お菊がまちかまえている井戸の部屋へ入ってくる前から、なにやら得体えたいのしれない恐怖に戸惑とまどっていた。

「さっきのシスター・・・あれ、なに?」

「こんなの渡されたんだけど・・・」

「わたしも。ただのペライチの紙よね?」

「暗くてよく読めないけど・・・ひらがなで「しりょう」って書いてる?」

「うん、そんなふうに読める・・・けど、だからなんなの?」

「なんの説明もなかったよね?」

「ただ『ん』って言って、つっけんどんに渡されただけ・・・」

「ある意味、こわいね」

「うん、いろんな意味でこわい」

 アヤメふんする「資料館のシスター」がみごとに客をこわがらせていた。

(アヤメさん、すごい! よーし、今度こそ、わたしもッ──)

 井戸のなかでしゃがみながらお菊が意気込いきごんだ直後、女性たちの声が震えだした。

「うそ、やだ、井戸だよ・・・」

「うわッ、マジじゃん・・・公式サイトの来場者の声にあったとおりなら、たぶん、ここでキットクル子だよ・・・」

(え? なんで知ってるんだろ。来場者の声ってなに? ジーナさんがなにかしたのかな。それとも・・・あッ、いけない。またここで考えこんでたらお客さんに帰られちゃう)

 お菊はとにかく井戸から登場することにした。

 井戸のふちに両手をかけ、顔の前にらした長い黒髪をユッサユッサとゆらしながら井戸のなかで立ちあがる。

『きゃああああああァァァァ!』

 女性ふたりが、つんざくような悲鳴を同時にあげて逃げだした。

「へ? あ、あの、まだ、ここからなんですけど、見せ場・・・」

 左目を見せてこそキットクル子だと思っているお菊にとって、井戸から立ちあがっただけで逃げられるのは不本意だった。

 だが同時に、あらためてキットクル子の偉大さにふれたような気がして、お菊は両手を胸にあてながら感じいった。

「すごいなぁ。立ちあがっただけなのに・・・」

 そして、徐々に不思議な衝動しょうどうがこみあげてくることに気づく。

「なんだろ・・・胸がドキドキする。これは・・・よろこび? 興奮? 達成感? ううん、たぶん・・・その全部だ!」

 お化けが人をおどろかせると、こんなにも歓喜かんきがわきあがってくるものなのかと、お菊は全身をけめぐっているうずきを心地ここちよく感じていた。それは、「皿屋敷さらやしきのお菊」では一度たりとも味わうことのできなかった快感であった。

 このあとも、お客がぽつりぽつりとやってきた。

 そしてみな、お菊がふんするキットクル子をおおいにこわがってくれた。

 井戸から立ちあがっただけで逃げる者もいれば、間近まぢかにせまるまで必死の形相ぎょうそうえたはいいが、お菊が髪の間から左目を見せた瞬間、声もだせずに走りさる者もいて、なかには腰をぬかしてその場にへたれこみ、連れに抱きかかえられながら帰る者までいた。

 人間たちが恐怖に顔をひきつらせて逃げだすたびに、お菊は大きなよろこびと満足感を得ていた。

(楽しい! キットクル子さん役、楽しいよお~!)

 お菊が井戸のなかに立って両手を胸にあてながら多幸感たこうかんにひたっていると、不意に声がした。

「おつかれ、お菊。いったん休憩きゅうけいにしようか」

 二十人くらいの客をさばいた直後、ジーナが現れてそうすすめてきた。

 何度もキットクル子を演じたお菊の顔は汗ばみ、上気じょうきしてわずかに赤らんでいた。かつて味わったことのない興奮のせいであろう。それでも、つかれはまったく感じていなかった。

「大丈夫です! わたし、まだやれます! やりたいです!」

 目を輝かせて声をはずませるお菊を、ジーナが不安げな眼差まなざしで見つめてくる。

「まずいわね」

「なにがです?」

「オバケーズハイってやつだわ」

「なんです、それ?」

 聞きなれない言葉に、お菊は目を丸めてキョトンとした。

 ジーナが深刻しんこくな顔つきで穏やかに語る。

「人をおどろかせたお化けがおちいりやすい、一種の錯乱さくらん状態よ。体はつかれているのに、興奮のあまりそれを自覚できない危険な状態」

「わ、わたしの体に、そんなおそろしいことがおこってたなんて・・・」

 お菊は我が身におこっていた無自覚むじかくな異常事態におどろき、自分の体をおそるおそる見おろした。

「んなもん、あるわけないだろ。ジーナの虚言きょげんにうけるんじゃないよ、お菊」

 片手で自分の肩をもみながら現れたアヤメのこの言葉で、お菊はジーナにからかわれたのだと知った。

「とはいえ、休憩にはあたいも賛成だね。なれない衣装で立ちっぱなしだったから、首がっちまったよ」

 そう言いながら、アヤメは肩に手をあてたまま首を伸ばしたり縮めたりしていた。

「それにしても、いきなり客がきだしたね。いったいどんな手を使ったんだい? ジーナ」

 この時間の客ひきを担当していたジーナに、アヤメがあやしむような眼差しをむけた。

 ジーナが口もとに不敵ふてきな笑みを浮かべる。

「ようやく、あたしの魔法が効力を発揮しはじめたようね、ふふふ」

「なんだい、魔法って?」

「これを使ったのよ、これを」

 そう言ってジーナが顔の横でスマホを軽くふった。

「この遊園地の公式サイトに、来場者が感想を書きこめるフォーラムがあってさ。今朝、そこにあたしが書きこんでおいたの。皿屋敷がリニューアルしたことをね」

「ああ、それでお客さんたち、わたしが演じるキットクル子さんのこと知ってたんですね」

 謎が解けてよろこぶお菊とは対照的に、アヤメが表情をくもらせる。

「大丈夫なのかい? そんなことして。あの女に宣伝は禁じられてるだろ?」

 宣伝をすれば即座に皿屋敷を廃止にすると、オーナーである日鷺院那乃ひろいんなのからおどされているのだった。

 ジーナが悠然ゆうぜんと笑みを浮かべて肩をすくめた。

「平気よ。ちゃんと客のフリをして書きこんでおいたから」

「なるほどね。やるじゃないか、ジーナ」

「ほめられたやり方じゃないけど、綺麗きれいごとを言ってられる状況でもないからね。でもおかげで、きてくれたお客の何人かが、さっそく好意的な感想を書きこんでくれてるわ。ほら」

 ジーナが差しだしたスマホを、お菊はアヤメと一緒にのぞきこんだ。

 そこに書かれていた感想はどれも、お菊がふんするキットクル子をたたえるものばかりで、お菊は幸福と恐縮きょうしゅく狭間はざまでふたたび顔を赤らめた。

 そんなお菊の隣で、アヤメがひとり憤慨ふんがいしていた。

「あたいのシスターのこと、だれも書いてないじゃないかッ」

 と、そこに、助六がぴょんぴょんとねながらやってきた。

「ねえねえ、みんな~。すごいよ~。入口をチラッと見てきたんだけどね、どんどん人が増えてってる~。新さんが一生懸命いっしょうけんめい、ならばせてるけど、大変そうだった~」

 助六によると、入口の柱にぶらさがっている白い提灯ちょうちんお化けが「ござる口調」で注意事項を説明しながらテキパキと客を整列させているさまに、客から拍手がわきおこっているらしい。

「新三郎もノリノリね」

「しゃあない。休憩はこのへんにして、再開しようかね」

 あれだけ休憩したがっていたアヤメがいやな顔ひとつ見せず、ジーナと顔を見かわしてうなずきあい、再開にむけた気合きあいをいれなおしている。

 そんなふたりを見ながらお菊は、皿屋敷全体が活気づいてきたように思えて心を震わせた。

 昨日まで閑古鳥かんこどりを鳴かせていた皿屋敷に多くの客がつめかけ、そのおかげで皿屋敷の面々に、初めて味わう一体感のようなものが生まれているのだった。

「この大盛況ぶりなら、あの女も認めないわけにはいかないでしょうね。あたしたちの存在価値ってやつをさ」

 ジーナの勝ちほこったようなこの宣言に、お菊も力強くうなずいて同意した。

 そして心から願った。

 みんなをきとさせるこの充足感じゅうそくかんがいつまでもつづきますように、と。




 白い皿の上に横たわっているすずきのムニエルをナイフとフォークで優雅に切りわけ、それを真っ赤なルージュでいろどられた口もとへと運ぶ。静かに、ゆっくりと咀嚼そしゃくしたのちに飲みくだし、口のなかの余韻よいんを楽しみながらテーブルナプキンでくちびるの汚れをぬぐいつつ、日鷺院那乃ひろいんなのはかたわらに立つ初老の男性コックを見あげた。

「一流とはまいりませんが、遊園地のレストランがだす料理としては及第点きゅうだいてんでしょう。値段も相応ですわ」

「お、おほめにあずかり光栄です、オーナー」

 コックは冷や汗でじっとりとれた顔を強張こわばらせたまま深々ふかぶか低頭ていとうした。

 コックからの返礼を、日鷺院那乃は当然のようにうけとった。

「この調子で、あと三品ほど、新しいメニューの開発にいそしんでください」

「あ、あと三品も・・・ですか?」

 ひかえめながらも不服をあらわにしたコックに、日鷺院那乃はすました顔でミネラルウォーターがそそがれたグラスをかたむけながら告げた。

「このお店が脱却だっきゃくしなくてはならないのは平凡さです。五十年近くもメニューに変化がなかったのが異常なくらいなのですからね。今後は、季節ごとに新しいメニューを五品は開発していただきますので、そのつもりで」

「ご、五品も・・・」

 前途ぜんと多難たなんさに愕然がくぜんとしたのか、コックが肩をおとしてうなだれた。

 それを意にかいさず、日鷺院那乃は椅子から立つと背後の秘書を肩ごしにかえりみた。

「では、このお店の視察は以上といたします。次へまいりましょうか、坂崎さかざき

「は。お次はアトラクションのコーヒーカップになります」

「よろしいですわ。まいりましょう」

 スタスタと早い歩調で店をでた日鷺院那乃の背後から、坂崎が小走りについてくる。

「あの、社長、ひょっとして・・・コーヒーカップに乗られるおつもりですか?」

「乗らなければ、良さも悪さもわからないでしょ?」

「グルグルまわるんですよ?」

 この坂崎の確認に、日鷺院那乃は小バカにされたような気がして立ちどまり、くるりとふりかえった。

 坂崎が、あわや上司と正面衝突しょうとつする寸前すんぜんで立ちどまる。

 間近まぢかにせまった坂崎の顔を見あげて、日鷺院那乃はキッとにらみつけた。

「コーヒーカップがまわることくらい、知っています」

「し、失礼いたしました。しかし──」

「しかし、なんです? わたくしのような育ちの者はライド系のアトラクションが苦手にがてだとでもおっしゃりたいのですか?」 

「いえ、決してそのような──」

「おあいにくさま。わたくし、こう見えて子供のころからライド系はおろか絶叫ぜっきょう系のアトラクションが大の好物こうぶつですの」

「そ、そうでしたか・・・」

 おそれいったようにおののく坂崎の表情を見て、ようやく日鷺院那乃は気がおさまった。くるりときびすをかえしてスタスタと歩みを再開すると、背後からついてくる坂崎に、自分がどれだけ絶叫系アトラクションが好きであるかを語って聞かせた。

「そもそも、この『菖蒲園ゆうえんち』には、子供のころからおじいさまによくつれてきてもらっていましたのよ? もちろん、丸一日、貸しきってですわ」

 三歳のころから、身長制限で本来なら乗車拒否されるジェットコースターや落下傘らっかさん海賊船かいぞくせんなどのアトラクションにも、我がままを言ってお付きの者のひざに乗り、満喫まんきつしていたほどである。

 大事なお嬢さまをふりおとすまいと、小さな日鷺院那乃を膝の上に乗せて絶叫系アトラクションにいどんでいたお付きの者たちの必死の形相が、今でもなつかしさをともなって思いだされる。

 だが、次の坂崎の発言で、日鷺院那乃は顔から懐古かいこの笑みを消した。

「では、お化け屋敷もお好きだったのではありませんか? あれも一応、絶叫系と言えなくはないと思うの──」

「大っっっきらいです!」

「え?」

「存在価値すら認めておりませんわ」

 坂崎の声をさえぎって、日鷺院那乃は眉根まゆねを寄せながら持論じろんを展開した。

「そもそも、大手のテーマパークでお化け屋敷を大々的に売りにしているところなどひとつもありません。このことからも、お化け屋敷は時代にとり残された無価値なコンテンツであることが立証りっしょうされています」

「そうでしょうか。海外はともかく、国内の遊園地のなかには、特に夏ごろになると決まってお化け屋敷をリニューアルし、客寄せの目玉としているところもあるようですが?」

「うちにはあてはまらない話ですわね。なにせ、ここのお化け屋敷ときたら、なにもかもが古臭くて、おまけに従業員たちはアルバイトにうつつを抜かすほどいい加減で、お客さまを楽しませようという気概きがいすら、もちあわせてはいないのですからね」

 そう言って日鷺院那乃は立ちどまり、はるか前方に見える二階建ての古めかしい木造家屋を睨みつけた。

 目指すコーヒーカップはすぐ右手にあるのだが、近所にある番町ばんちょう皿屋敷がいやでも視界に入ってきてしまうのだった。

「まったく目障めざわりな・・・ん?」

 睨みつけている対象に違和感をおぼえた日鷺院那乃はふと目の力をゆるめ、隣の坂崎にただした。

「あれは・・・なんですの?」

 いつもは閑古鳥を鳴かせている番町皿屋敷の入り口付近に、黒山くろやまの人だかりができているのだった。

「なにかのトラブルではないでしょうね」

 日鷺院那乃はそう言って坂崎を見つめた。言外げんがいに確認してこいという意味をこめたのだが、優秀な秘書はそれを明敏めいびんさっしてくれた。

「確認してまいります」

 そう言い残して坂崎が走りだす。

 その間も、日鷺院那乃は腕を組み、イライラとした眼差しで番町皿屋敷とそこにむらがる人々を遠巻とおまきに観察した。

 メイド喫茶でドンチャン騒ぎをするアヤメたちを思いだした日鷺院那乃は、当初、いやな予感を胸によぎらせた。また周囲を巻きこんで非常識に騒いでいるのではないか、と。

 ところが、ジッと観察しているうちに、群衆ぐんしゅうが一定の秩序をともなって動いていることに気がついた。

 人々は番町皿屋敷の入口にむかって整然と列をなし、出口と思われる所からも人がでてきていた。しかも、でてきた彼らは胸に手をあてて出口にたどり着けたことに心から安堵あんどしている様子であり、まるで、お化け屋敷を存分に楽しめたかのような満ち足りた表情をしているのだった。

「まさか・・・あんなお化け屋敷を楽しんでる?」

 月に一桁ひとけたしか人がはいらなかった番町皿屋敷に、今、大勢の人々がつめかけ、しかも満喫しているようなのだ。

 わけがわからずに混乱しかけたその時、ようやく坂崎が自分のスマホをいじりながら小走りにもどってきた。

 真相を早く知りたくて、気がくあまり日鷺院那乃はみずから坂崎のもとへけ寄った。

「なにごとですの、坂崎」

「どうやら、番町皿屋敷がリニューアルしたらしいのです」

「リニューアル? そのような話、わたくしは企画部から聞いておりませんわよ?」

「わたしもです。ですが、これをごらんください」

 そう言って坂崎が手にしていたスマホを差しだしてきた。

「ならんでる人が教えてくれたのですが、当遊園地の公式サイトで、あのお化け屋敷がリニューアルしたことが来場者の声として語られているのです。彼らはみな、それを見てやってきたそうです」

 日鷺院那乃は坂崎のスマホをうけとり、画面を覗きこんだ。そして、そこに羅列られつされている文字をおって視線を動かす。

〈今日、ひさしぶりに「しょーゆー」のお化け屋敷にいってきたんだけど、めっちゃかわっててビックリ! なんと! あの『わっか』にでてくるキットクル子が登場するの☆ めちゃめちゃこわかったよ~。でもまたいきたいな♪ ナキソンもよろしくね♡〉

 番町皿屋敷に関する一番最初の書きこみがそれだった。

 ちなみに「しょーゆー」とは、熱心な愛好者たちが用いている「菖蒲園ゆうえんち」の愛称である。彼らのなかにはみずからを「しょーゆっ子」と称する者もいるとかいないとか。

 この感想文の他にも、同じように番町皿屋敷のかわりっぷりにおどろく声や、キットクル子の再現度の高さを称賛する声などが多数、寄せられていた。

 それらすべてに目をとおしたあと、日鷺院那乃は一番最初の書きこみにみょうな違和感をいだき、やがてその違和感の正体に気づくと、あきれた。

 坂崎にも見えるようにスマホを差しだす。

「この最初の書きこみですが、投稿日時が今日の午前九時三十七分になっておりますわね」

「はあ・・・そのようですが、それがなにか?」

「気がつきませんの?」

「・・・・・・」

 スマホをかえしてもらった坂崎が思案しあんするような表情で何度も画面のなかの文字を読みなおし、やがて、なにかに思いあたったかのようにサングラスごしの目をハッと見ひらいた。

「開園前・・・」

「そのとおりです。ここの開園時刻は午前十時です。開園もしていない時刻に、どうしてお客さまが番町皿屋敷の感想を述べられますの?」

 この日鷺院那乃の意味深長しんちょうな問いかけで、坂崎も事態を察したようである。

「従業員によるステマですか・・・」

 従業員や関係者が客をよそおって自分の商品やサービスを宣伝する悪質な行為をステルスマーケティング、通称ステマと呼ぶ。

「まったくあきれましたわね、あそこの方々には・・・」

 勝手な宣伝を禁止したら禁止したで、今度は客をかたって宣伝するとは、番町皿屋敷の従業員には人としての良識りょうしきや社会│通念つうねん欠落けつらくしているように思えてならない日鷺院那乃だった。

「それにしても──」

 日鷺院那乃は、来場者の声のなかで散見さんけんされた不可解なワードについて小首こくびをかしげた。

「キットクル子・・・とは、なんなのでしょう・・・」

「え・・・ご存じないのですか?」

 正気かと言わんばかりの視線が坂崎のサングラスごしからそそがれ、日鷺院那乃はいささか気分を害した。またもや小バカにされたような気がして眉間みけんにシワを寄せる。

「なんなのです?」

「『わっか』という映画をご覧になったことは?」

「映画? カンヌのパルムドールでしたら一応、歴代受賞作すべてに目をとおしておりますけど、『わっか』なんてタイトル、ありましたかしら?」

「あ、いえ、もうちょっとエンタメ寄りの作品なのですが・・・」

「エンタメ?」

「ホラー映画です」

「ああ・・・ホラー映画・・・ですの・・・」

 日鷺院那乃は平静をよそおいながら、それでも顔にあらわれたおびええの色をさとられまいとそっぽをむきつつ、言いわけをはじめた。

「わたくし、ホラー映画は好みではありませんの。ストーリー性は皆無かいむで、情緒じょうちょもなく、得られる教養がまったくありま──」

「こわいのですか?」

「は、はあ?」

「こわいのですね?」

「い、いつ、わたくしがそのようなことを申しあげましたか?」

「お化け屋敷に否定的で、ホラー映画もごらんにならず、問いつめられるとわかりやすく動揺する・・・このことから導きだせる答えはただひとつ。社長はお化けのたぐいが大の苦手・・・ちがいますか?」

「なッ・・・」

 坂崎から淡々たんたんづめでおいこまれた日鷺院那乃は返答にきゅうした。が、このまま黙っていては認めたとになるとおそれ、強引に話題をかえた。

「い、今はそのようなことよりも、キットクル子というのが映画のキャラクターなのだとしたら、権利者に許可をとっているのか、という点のほうが問題ではありませんこと?」

 日鷺院那乃も坂崎もそのような許可を得たおぼえはなく、他者の権利を利用したコラボレーションを担当している企画部からもそのような報告はあがってきていない。

 である以上、キットクル子の件は、番町皿屋敷の従業員による独断専行どくだんせんこうの疑いが濃厚のうこうであった。

 これを放置していては、「菖蒲園ゆうえんち」のみならず日鷺院グループにとっても致命的なスキャンダルとなりかねない。

 坂崎もそのことを認めた。

「たしかに大問題です」

「なら、即刻中止させなさい」

「は。さっそく手配いたします。お客さまには、屋敷内の安全性に懸念けねんしょうじたためとしておきます」

 番町皿屋敷に群がっている人々を散会させるための応援部隊をスマホで呼んでいる坂崎の隣で、日鷺院那乃はイライラと腕を組みながら決断した。

(一ヶ月も猶予ゆうよをあたえたわたくしがバカでしたわ・・・これ以上のトラブルをおこされる前に、さっさとケリをつけてしまったほうがよさそうですわね)

 番町皿屋敷の従業員たちにあたえた期日はまだ三週間以上も残っている。が、非常識な彼らのことだ。次にどんなトラブルをおこしてグループ全体に損失そんしつをもたらすか知れたものではない。

 そう判断した日鷺院那乃は、かねてより弁護士と進めていた番町皿屋敷の立ち退き手続きを予定よりも早めることにした。




「な、なんでござるかッ、そこもとらは!」

 皿屋敷の入口で、新三郎のしぶい声がだれかを非難ひなんしていた。

 それ以降、お菊のもとにぱったりと客がこなくなった。

「我らのお客人きゃくじんれだの、せろだのと、なんたる暴言! かかる無体むたい、この新三郎、決してがえんじ得ず! ええい、みなの者、であえ! であえ!」

 時代劇のような新三郎のわめき声を聞いて、お菊の胸に言い知れぬ不安がよぎった。

「どうしたのかな、新さん・・・」

 いつもおちつきを払っていて物事にあまり動じない新三郎が、あそこまで声をあららげて警告を発する場面を見たことも聞いたこともなかったお菊は、そそくさと井戸のふちをまたぎ、おそるおそる入口へとむかった。

 入口のすぐ外にはすでにアヤメとジーナがいて、横にならんだふたりはそろって腰に両手をあて、胸をそらし、正面の相手を威圧いあつするような態度をとっていた。

 ふたりの正面では、黒いビジネススーツを着て、黒いサングラスをかけた男たちが両手こそ後ろにまわしているがあつい胸板をそらし、まるでアヤメたちに対抗するかのように威圧的な姿勢で壁をつくっている。

 彼ら黒服たちがつくる壁のせいで、列をなして順番をまっていた人々は皿屋敷に入ることができず、ブツクサと小声こごえ不平ふへいを鳴らしながらりにさっていった。

 お菊は、おくれてやってきた助六と一緒に入口の角からひょっこり顔をだして、事態のなりゆきを見守ることにした。

「どういうつもりなんだい、おまえさんたち」

 アヤメのドスをかせた声があたりに響く。

 つづいてジーナが、穏やかな口調のなかに怒りをにじませて黒服たちを非難した。

「こういうのを、営業妨害ぼうがいって言うんじゃないの?」

 すると、黒服たちがつくる壁のむこうから若い女性の声がかえってきた。

「どちらの台詞せりふも、そのままそっくりおかえしいたしますわ」

 黒服たちがつくる壁の一部が割れて、そこから赤いスーツ姿の女性がカツカツとヒールを鳴らして進みでてきた。

「日鷺院那乃ッ・・・またあんたかい!」

 アヤメが身構えるように胸の前で腕を組み、日鷺院那乃を睨みつけた。

 その凝視ぎょうしを、日鷺院那乃は真っ向からうけとめて口もとに嘲笑ちょうしょうを浮かべた。

「あいかわらず、あなた方のなさりようはあさはかですわね」

「宣伝ならしてないわよ」

 ジーナがしれっと弁明べんめいしたが、日鷺院那乃はすべてを見透みすかしているかのような笑みで見つめかえしてきた。

「あら、それはどうかしら? ステマも立派な宣伝ですわよ?」

「!・・・・・・」

 ジーナが一瞬だけ顔を強張らせた。が、彼女はとっさにうつむいてそれを悟られないようにしていた。

「もっとも、あなた方がステマをやったという証拠はございませんから、そちらに関してはめようがありませんけどね」

 これを聞いて皿屋敷の面々がホッとしたのもつか、手にいれた安堵あんど早々はやばやと手放さなくてはならないような言葉が日鷺院那乃の口から告げられる。

「今回はステマ以上に見過みすごせない問題がございますの」

 そう言うと日鷺院那乃は、アヤメの頭から爪先までをめるように視線を動かした。

「アヤメさん。あなたのその恰好かっこうはなんですの?」

「これかい? これは、あれだよ、『資料館のシスター』ってホラー映画にでてくるシスターの恰好さ。にあってるだろ?」

 豊かな胸を強調するかのようなポーズまでつけて自慢するアヤメを無視して、日鷺院那乃がジーナを見やる。

「あなたのは?」

「『十三日は金欠日きんけつび』のナキソンよ。見ればわかるでしょ」

 仏頂面ぶっちょうづらでムスッと答えたジーナをも無視して、日鷺院那乃が今度はふたりの背後をうかがうように視線をさまよわせる。

「ところで、『わっか』のキットクル子というのは?」

 アヤメとジーナがふりかえり、全員の視線が、角から顔を覗かせているお菊にそそがれる。

 助六がとっさに頭をひっこめた。

 おいてけぼりのお菊だけが、日鷺院那乃とまともに視線をぶつけあった。

「あの子が? そうですか」

 納得したようにうなずいた日鷺院那乃の視線がお菊、アヤメ、ジーナの三者をなでまわす。

「では、あなた方におたずねします。それらの恰好で営業することについて、映画の関係者から許諾きょだくは得ているのですか?」

「なにそれ」

 ジーナが眉間にシワを寄せて小首をかしげると、対抗するかのように日鷺院那乃も小首をかしげた。

「著作権をご存じありませんの?」

「聞いたことなら、あるけど・・・」

「あなた方は、他者の権利を侵害しているのです」

「ただのコスプレよ」

「趣味で行われる範疇はんちゅうならそう言いはるのも結構でしょう。ですが、明らかにそれと連想させる恰好でお化け屋敷の営業をした場合は商用とみなされ、それには権利者からの許諾が必要となるのです」

「・・・・・・」

 人間の法律をもちだされては、さすがのジーナも反論の糸口を見いだせないのか、彼女はうなだれてくやしそうに唇をかんでいた。

 日鷺院那乃は、ジーナを黙らせたことを勝ち誇るでもなく、事務的な口調で淡々たんたんと告げてきた。

「つまり、あなた方の行為は違法であり、それは日鷺院グループとして看過かんかできるものではありません。よって、番町皿屋敷はこの時点をもって閉鎖とし、あなた方にはここからの退去たいきょ勧告かんこくいたします」

「な、なんだいそれッ」

 アヤメが反射的に声をあららげ、日鷺院那乃につめ寄った。

「話がちがうだろ! 一ヶ月の猶予ってのはどこいったんだい!」

「立場をわきまえていただきたいものですわね、アヤメさん」

 目と鼻の先にいるアヤメを睨みつけながら、日鷺院那乃が怒りを押し殺したような声でつづける。

「あなた方の今回の愚行ぐこうのせいで、日鷺院グループがどれだけの損失をこうむるのか、少しは想像していただきたいものですわ」

「・・・どういうことだい」

「このお化け屋敷の、映画とコラボしたかのような評判はすでにネットにでまわってしまっているのです。そのコラボが無許可だったことはすぐに知れわたるでしょう。わたくしは謝罪においこまれ、グループの株価かぶか下落げらくするのもけられません。このような仕打ちをうけてまで、なぜ、わたくしがあなた方との約束を律儀りちぎに守らなくてはなりませんの?」

「・・・・・・」

「後日、法手続きにのっとった書面で正式に退去を勧告いたします。それまでに荷物をまとめておいてください。以上です」

 一方的に話をめくくって、くるりと踵をかえした日鷺院那乃の背中が黒服たちの壁のむこうへと消えていく。

 お菊が記憶しているのはここまでだった。

(皿屋敷が閉鎖? ・・・退去? そんな・・・)

 突然、目の前がぼやけだし、あたりが徐々じょじょに暗くなっていった。立っているのもつらくなり、お菊はひざからくずれるようにして地面に倒れこんだ。

「お菊ちゃん!」

 助六が悲痛ひつうな声をあげ、アヤメとジーナが駆け寄ってくる足音がおぼろげながらに聞こえていた。

「どうしたの・・・お菊?」

「しっかりおし、お菊・・・お菊!」

 みんなの声に応えなければと思いつつも、お菊はなにもできないまま暗闇のなかへおちていった。

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