第5話 数えませんッ

 夜──。

 人間たちにまぎれてアルバイトにせいをだしていたお化けたちが皿屋敷さらやしきにもどっていた。

 遊郭ゆうかくっぽい演出がほどこされたアヤメの部屋で、お菊はジーナとともに昼間のグッズショップでの出来事を報告した。

 話はジーナが進めて、お菊は彼女の話が嘘ではないことをうなずきで裏づける役にてっした。

 聞きおえたアヤメが口から煙管きせるをはなし、物憂ものうげに煙をたゆたわせる。

「じゃ、なにかい? お菊が数えたものは必ずひとつ消えてしまうって、ジーナはそう言いたいのかい?」

 そうわれたジーナが、穏やかな口調ながらも確信をこめた声で反問はんもんする。

「だって、そうとしか考えられないでしょ?」

「お菊の数えまちがいじゃないのかい?」

「あたしが数えなおして確認した。不足してたのはまちがいないし、お菊がくすねたわけでもない」

「じゃあ、客との金のやりとりをミスったんだろ?」

「なくなってたのはおさつ小銭こぜに、それぞれきっちり一枚だけなのよ? ミスにしては作為的さくいてきすぎない?」

 金銭の授受じゅじゅをまちがえたのなら、なくなっている紙幣しへい貨幣かへいはもっとバラけるはずである。そもそも、お釣りで一万円札を渡すことはあり得ないし、お菊がっていないことは隣で指導していたジーナが保証できる。

 ジーナのそんな主張だったが、アヤメはなおも納得がいかない様子で腕を組んだ。

「でもねえ・・・そんなバカみたいな話、あるかい?」

「人間たちからすれば、首が伸びるアヤメも、姿を変えられるあたしも、バカみたいな存在だと思うわよ? だったら、お菊にだってバカげた力があっても不思議じゃないでしょ? おなじお化けなんだから」

「そこまで言うんなら──」

 アヤメは煙管を煙草盆たばこぼんふちにカンッと打ち鳴らしたあと、背後にある茶箪笥ちゃだんすのひきだしから花札はなふだをとり、そのなかから無作為むさくいに十枚を選んでお菊に手渡した。

「数えてみておくれよ」

「え、でも・・・」

 差しだされた十枚の花札を両手でうけとりつつも、お菊は戸惑いの表情をジーナにむけた。

 実のところ、とうのお菊もアヤメと同様、ジーナの主張に懐疑的かいぎてきなのだった。

 自分に、数えたものをひとつだけ消せる能力などあるはずがない。第一、そのような力が本当にあるのなら、お菊自身がとっくの昔に気づいているはずだ、と。

 それに、ここで花札を数えて一枚も消えていなければ、自信たっぷりに語っていたジーナの面子めんつをつぶすことになる。お菊はそのことを心配した。

 だが、ジーナは自分の考察こうさつによほどの自信があるようで、口もとに笑みを浮かべながら言うのだった。

「数えてあげな、お菊。アヤメやあたしにも見えるように、一枚ずつ、ゆっくりとね」

「はあ・・・」

 ジーナがそこまで言うのなら、と、お菊はしぶしぶながらもアヤメの要求に応じて数えることにした。

「花札が、いちま~い、に~ま~い、さんま~い──」

 お菊のうらめしそうな声が流れるたびに、花札が一枚ずつたたみの上に置かれていき、やがて、アヤメとジーナが見守るなか終盤しゅうばんにさしかかる。

「──はちま~い、きゅうま~い、じゅ・・・あれ?」

 九枚目の花札を畳に置くと、お菊の手には一枚も残っていなかった。

「一枚、足りない・・・」

 自分でも信じられず、お菊はからになった自分の手をジッと見つめながらつぶやいた。

 ジーナの得意げな声があとにつづく。

「ね? 言ったとおりでしょ?」

「ちょ、ちょいと待っとくれよ。あたいにかしてみな」

 アヤメだけがあわてふためいていた。彼女は畳に置かれていた花札をかき集めると、それを自分で数えはじめ、まちがいなく九枚しかないことを確認すると頓狂とんきょうな声をだした。

「なんでだい? あたいはちゃんと十枚渡したよね?」

「うん」

 ジーナがうなずいて同意した途端、アヤメが自分の発言を否定した。

「いやいやいやいや、あたいが数えまちがえて渡しちまったんだね、きっと。最初っから九枚だったんだよ、うん」

「なら、今度はその九枚のまま、お菊に渡して数えてもらってよ」

「な、なるほどね。これが八枚になったら、さすがにあたいも信じようじゃないか。ほら、お菊、たのむよ」

 やや動揺した様子のアヤメから九枚の花札をうけとったお菊は、先ほどと同じように一枚一枚を畳の上に置いていきながら恨めしく数えた。

 その結果──。

「ななま~い、はちま~い、きゅ・・・足りません・・・」

 先ほどと同じく、一枚だけ、なくなっていた。

「どういうことなんだい、これ・・・目の前で消えてるってわけでもなさそうだけど・・・」

 アヤメが答えを求めてジーナを見やる。

 その問いを予期していた様子のジーナが、すべてを理解しているかのような顔で応じた。

「これは、あたしたちの既成事実きせいじじつが書きかえられてるのよ」

「きせいじじつ?」

 オウムがえしに問うアヤメに対して、ジーナは腕を組みながら、もっともらしくうなずいた。

「そ。十枚の時を例にあげるなら、十枚あったという既成事実は九枚だったという事実によって上書きされてしまい、十枚あったという既成事実は思いこみ、もしくはかんちがいにすりかえられてしまうの」

「意味わからん。お菊はわかったかい? 今の説明で」

「チンプンカンプンです」

 お菊は素直すなおに頭を横にふり、さらなる説明を求めてジーナを見つめた。

「わかりやすく言うと・・・ん~と──」

 ジーナが自分のあご先をつまんで考えるそぶりを見せたあと、投げやりな調子で言った。

「ようするに、あったはずの最後のひとつを、この世から完全に消しさってしまうってことよ」

「なんだいそれ。見たまんまじゃないか。さては、ジーナ──」

 アヤメがあやしむように目を細めてジーナをにらむ。 

「実はあんたもよくわかってないね?」

「うッ・・・」

 くやしそうにくちびるをかんでアヤメの指摘の正しさを沈黙で認めるジーナだった。

「と、とにかく──」

 ジーナが自分の失態しったいをとりつくろうように早口で言った。

「理屈はどうあれ、最後に数えようとしていたものをこの世から完全に消しさってしまえるお菊の力は本物よ? そうでしょ?」

「そりゃ、まあ、そうだけど・・・ん? ちょいとまっとくれ」

 アヤメがなにかに気づいた様子でお菊を不思議そうに見つめてきた。

「お菊は今まで、この力にどうして気づかなかったんだい? 仕事で皿を数えてたろ? これまで皿がなくなることはなかったのかい?」

「はあ、特に気づきませんでしたけど・・・」

 そう答えながらお菊は、ややふくらんでいるそでたもとを軽くゆらしてみせた。カサカサと紙がこすれているような音がするのは、そこにたくさんの紙皿を仕込んでいるからである。

「お菊、その袂には何枚の紙皿がはいってるの?」

 ジーナに聞かれ、お菊はあごに人差し指をあてながら記憶の糸をたぐった。

「何枚だったでしょうか・・・特に数えてはいません。仕事中に足りなくなるとこまるので、とにかく多めにいれてあります」

「なるほど。それでだいたいわかったわ」

 まるで犯人を特定できた探偵のようにジーナの目つきが鋭くなる。

「最後のひとつが消えるのは、お菊がすべてを数えきった場合に限られるのよ、きっと」

「すべてを?」

 お菊が小首こくびをかしげると、ジーナは得意げに自説を展開しはじめた。

「そ。レジのひきつぎの時も千円札なら千円札をすべて数えきったから、さっきの花札も渡されたすべてを数えきったから、最後のひとつが消えた。でも、仕事で使ってる紙皿は、数えてもせいぜい九枚でしょ?」

「はい」

 皿屋敷のお菊が十枚以上を数えることはない。必ず九枚目でとめて「一枚足りない・・・」と、むせび泣くのが怪談にでてくるお菊のお決まりだからである。

 ジーナが自説をつづける。

「つまり、袂のなかには数えられていない紙皿がたくさんはいっていて、最後まで数えられてない。だから紙皿は消えないってわけ」

「ああ、なるほど~。すごいですね、ジーナさんって」

 自分の能力を自分以上にくわしく解説できるジーナに、お菊は素直に感心した。

 そんなお菊を見て、アヤメが煙管に煙草たばこをつめながらなげかわしそうにかぶりをふる。

「やれやれ・・・こんなすごい力を今の今まで無自覚でいたとはね・・・おいわやおつゆとならんで日本三大幽女ゆうじょとおそれられたお菊の名がすたるよ、まったく」

「す、すみません・・・」

 偉大な先輩たちとならべられて恐縮きょうしゅくする一方で、自分自身の能力に気づけなかった不甲斐ふがいなさで肩身がせまくなるお菊だった。

「まあまあ。そんなことよりさ、もっと重大なことに気づかない?」

 ジーナのウキウキとはずむ声に、アヤメがいぶかしげに眉根まゆねを寄せる。

「なんのことだい?」

「お菊のこの力を使えば、あたしらにとって最大の邪魔者をこの世から消せるってこと」

 ジーナの言わんとしていることに、すぐピンときた様子のアヤメがニヤリとほくそ笑む。

「なるほどねえ。日鷺院那乃ひろいんなのの前に何人かならべて、んで、お菊に数えさせるってわけだね? あの女が最後になるように」

「そ。すると、お菊が彼女の手前まで数えた瞬間、あら不思議、彼女はこの世から煙のように消えてしまうってわけ。そうなれば、あたしらをおいだそうとする不届者ふとどきものはいなくなって、あたしらもでていかなくてすみ、万事、めでたし、めでたし」

 おそろしいことを楽しげに語るジーナに、お菊はおそるおそるたずねた。

「ひ、人も消えてしまうんでしょうか?」

「だからさ──」

 ジーナが、新しい遊びを思いついた子供のようにキラキラと目を輝かせながら、お菊ににじり寄ってきた。

「その実験もかねて、新オーナーを消してみようよ、ね?」

「賛成だね。お菊のその力は、きっとあたいらを救うために神仏があたえたもうた贈り物なのさ。こいつを使わない手はないよ。だろ?」

 アヤメまでもがジーナに同調してお菊をそそのかしてくる。

 だが、お菊はだまされなかった。このふたりが楽しそうに悪だくみする時は、決まってお菊をからかうための演技なのである。

 お菊は「お見とおしです」という気もちをこめてニコッと笑った。

「わたし、もうだまされませんよ。いつもの冗談ですよね?」

 人を傷つけてはならない。皿屋敷にいるだれもが恩人とした無明むみょうとの約束がそれだった。アヤメやジーナもその約束を守る決意は固いはずで、だから「日鷺院那乃を消してしまえ」というのは、お菊が怒るのを見て楽しむための冗談なのである。

 そう考えていたお菊だったが、アヤメとジーナは互いに顔を見かわしたあと、お菊に視線をもどし、真剣な顔つきで頭を横にふるのだった。

「いんや。冗談じゃないよ」

「うん、マジ中のマジなんだけど」

「・・・・・・」

 お菊の笑みがこおりつく。

 そして、いつになく真剣なふたりの表情を見て、お菊のなかに恐怖と怒りがこみあげてきた。

「ダ、ダメですよッ、そんなの!」

 勢いよく立ちあがり、烈火れっかのごとく顔を赤らめながらお菊は声を大にしてうったえた。

「無明さまとの約束をなんだと思ってるんですか!」

「けど、よく考えてみなよ、お菊。その無明さまが用意してくだすったこの皿屋敷からおいだそうとしているのが、人であり、日鷺院那乃なんだよ?」

「そうよ。この皿屋敷を守ることこそが、無明さまの恩にむくいることになるんじゃないの? そのためだった人間のひとりやふたりくらい、ねえ?」

 ジーナが同意を求めるようにアヤメを見やり、それにこたえてアヤメも深々ふかぶかとうなずいた。

 どうやらふたりは本気のようである。

 そのことがショックで、悲しくて、腹立たしかったお菊は目にうっすらと涙を浮かべながら拒絶した。

「ダメですダメです! そんなの絶対にダメ! わたし、絶対に人を数えたりなんかしませんから!」

 無明との約束を軽んじるふたりのかわりようがつらくて、情けなくて、お菊は逃げだすようにアヤメの部屋を飛びだした。

「あちゃあ・・・今回ばかりは、ちょいと冗談がすぎたかねえ・・・」

「かも・・・」

 という、ふたりの気まずそうな反省のべんは、この場からいなくなってしまったお菊の耳には届かなかった。




 自分が担当している井戸の前まで走ってもどってきたお菊は、濡れたほおを手のひらでぬぐい、着物のすそをたくしあげて井戸の縁をまたぐと、浅い底にうずくまった。

 このつくり物の井戸が、お菊の部屋でありベッドでもあった。

 井戸の内側の壁には棚や小物入れとして使えるへこみがいくつもあって、お菊はそこに本や時計を置き、小ぶりの花瓶や色づけした紙皿を飾っていた。

 ふかふかのカーペットがかれた井戸の底はお菊が丸くなって寝られるほどのひろさがあり、お菊は枕がわりのクッションに頭をあずけると、すべてが横倒しになった視界のなかの小瓶こびんをぼんやりと眺めた。

 その小瓶には様々な色と味のグミが入っていて、おやつの時間になるとそのグミを助六すけろくとわけあって食べていた。

 お菊は横になりながらその小瓶を手にとり、だいだい色のグミを一粒だけ手のひらに乗せた。

 食べるためではなく、今しがた発覚したばかりの自分の力を確認するためである。

「オレンジ味のグミが、ひと~つ」

 一粒だけ恨めしく数えてみたが、消えない。

「そっか・・・オレンジ味のグミはまだこの瓶のなかにたくさん残ってるからダメなんだ」

 ジーナの理論では、対象を数えきらないと最後のひとつは消えないということだった。

 そこでお菊は小瓶をくるくるとまわして眺め、もっとも数が少ない味のグミをさがした。

「モモ味があとみっつしかない・・・助ちゃん、モモ味が好きだから、モモ味の減りが早いんだよね、ふふ」

 お菊が「バランスよく食べてね」とお願いしても、助六はおかまいなしにモモ味だけを頬張ほおばるのだった。

 お菊はモモの味がする乳白色にゅうはくしょくのグミだけを手のひらに乗せ、恨めしく数えた。

「モモ味のグミが、ひと~つ、ふた~つ、みっ・・・あれ?」

 いつの間にかひとつ消えていて、お菊の手のひらにはモモ味のグミがふたつしか乗っていなかった。

 そのままもう一度、数える。

「モモ味のグミが、ひと~つ、ふた・・・消えてる・・・」

 とうとうモモ味のグミはひとつになった。

 お菊はさらにつづけた。

「モモ味のグミが、ひと~つ・・・あれ? 消えない・・・」

 数えきったにもかかわらず、最後の一個だけはどういうわけか消えなかった。

 この事象じしょうのあたりにして、お菊は自分なりの解釈かいしゃくを導きだした。

「たぶん、消してるんじゃなくて、ひとつ足りなくなるだけなんだ・・・」

 消えなかった最後のグミを指でつまみ、それをしげしげと眺めながら、お菊はそんなふうに考えた。

 井戸に身投げしてお化けとなって以来、お菊は毎晩のように皿を数えつづけ、十枚なくてはならない皿が、一枚割ってしまったために足りないことをずっと嘆いてきたのである。ひょっとすると、そんな習性から身についた力なのかもしれない。

「それにしても、消えてしまったものはどこにいっちゃうのかな・・・」

 そうつぶやき、同時に、人間まで消せてしまえるかもしれない可能性に思いあたり、お菊は自分の不思議な力におそれおののいた。

 消された人間は痛みを感じるのだろうか・・・。

 大切な人が突然、消えてしまって、会えなくなったらどれほど悲しいだろうか・・・。

 そう考えた直後、会いたくても会えない無明の姿が脳裏のうりにはっきりと浮かび、その無明にむかってお菊は固く誓った。

「わたし、絶対に・・・絶対に人を数えませんッ」

 グッと目を閉じたお菊は、強く念じたその拍子に思わず最後のモモ味グミをひょいと口のなかに放りこんでしまった。そしてはげしく後悔する。

「あッ、いけない・・・助ちゃんに怒られる・・・」

 助六が大好きなモモ味グミを全部なくしてしまったのである。「もお! 楽しみにとっといたのに~」とねる唐傘小僧からかさこぞうの姿が容易に想像でき、お菊は申しわけなさと自己嫌悪けんおで顔をしかめた。

 そして、ふと気づく。

「そういえば、今日は丸一日、助ちゃんを見かけなかったな・・・」

 お菊はムクッと上体をおこし、口をモグモグさせながら井戸からひょっこりと頭だけをだして、助六の気配をさぐってみた。

 客が入らない皿屋敷は昼間でも静かだが、夜は外の喧騒けんそうがないぶん、さらに静かだった。

 そんな静けさのなかに耳をそばだてて下駄げたの音をさぐってみたお菊だったが、すぐにあることを思いだす。

「そうだった。今、助ちゃん、スニーカーをいてるんだっけ・・・」

 そのため、音の有無では助六の存在を感知できないのだった。

 お菊は立ちあがると井戸の縁をまたぎ、助六の姿を求めて薄暗うすぐらい皿屋敷のなかを歩きまわった。

 だが結局、皿屋敷のなかで助六を見つけることはできず、お菊は皿屋敷の入口までいき、そこの柱にかけられている古びた白い提灯ちょうちんを見あげた。その提灯の表面には、紅色や桃色の花を咲かせた牡丹ぼたんの絵がうっすらと描かれている。

 そんな牡丹提灯にむかってお菊は話しかけた。

「あの・・・新さん?」

 すると、白い提灯のまんなかがパックリと割れて口のようになり、割れた提灯の上半分にギョロッとした目玉がふたつ現れ、それらがお菊を見おろしてきた。

「これは、お菊どの。このような時分じぶんに、いかがいたした」

 落ち着きを払った低めの渋い声が、時代がかった口調で語りかけてきた。

 彼は提灯お化けの新三郎しんざぶろうといい、皿屋敷の入口で来場客を真っ先にこわがらせるのが役目となっている。

 また、皿屋敷内での動画、写真の撮影は厳禁であること、飲食のもちこみも禁止していること、それらの禁を破れば呪い殺す、などの注意喚起かんきも彼の役目であった。

 そんな新三郎のことを客たちは、唐傘小僧の助六とおなじく、よくできたつくり物だとしかとらえておらず、話す言葉も裏でスタッフが声をあてているものと思いこんでいるのだった。

「あの──」

 お菊は、助六の姿を求めて夜の暗い遊園地のほうへ視線をさまよわせながら、新三郎の問いかけに答えた。

「助ちゃんをさがしてるんですけど、見かけませんでしたか?」

「ああ、助六どのでしたら、閉園してお客がいなくなった途端、ここをとおって遊園地のほうへむかわれたでござるよ」

「ひとりで?」

左様さよう

「そう・・・」

 お菊はさびしくなった。いつもなら一緒に夜の散歩をするのに、と。

「やっぱり怒ってるのかな、助ちゃん・・・」

「助六どのを怒らせるようなことを、やらかしたでござるか?」

「わからないけど・・・たぶん・・・」

要領ようりょうを得られぬご返答・・・拙者せっしゃでよければ、お話、うけたまわるでござるよ?」

「ありがとう、新さん。実はね──」

 お菊は新三郎に話した。今、皿屋敷にせまっている危機と、それを回避するためにアヤメやジーナたちと一緒にアルバイトをしてお金を稼ごうとしていることを。

「でも、助ちゃんは人間社会で働くのは無理だからってアヤメさんたちに言われたから、助ちゃんにはなにも話さずに、今日、ジーナさんとアルバイトにいっちゃったんです。だから、助ちゃん、仲間外れにされたと思って怒ってるのかも・・・」

「なるほど、そういうことでござったか・・・新しいオーナーにまつわる一件は、拙者もアヤメどのからうかがってござる。ただ、あるばいと、とやらの一件は、おそらく助六どのとおなじ理由で、拙者も聞かされておりませなんだ」

「ごめんね、新さん」

「なに、お気づかいご無用。聞かされていたところで、人のナリをしていない拙者には、どだい無理な話でござる。ただ、助六どのはまだわらべでござるゆえ、ねてしまっても無理からぬこと。しっかりと話をして、わからせてさしあげたほうがよろしかろう」

「そう、ですよね・・・」

 うつむくお菊の頭に、新三郎のはげますような声がふってくる。

「お菊どの。なにを迷っておられる。そうとわかったのなら、拗ねてしまわれた助六どのをむかえに参りましょうぞ」

「新さん・・・」

 お菊にとって新三郎は、無明にかわる、よき相談相手であった。そしていつもお菊の背中をおしてくれるのである。おまけに、なにかとお菊のことを気づかってくれて、今も、ひとりで助六をさがしにいきそうな気配のお菊を心配してくれた。

「今夜は月のない晩でござる。こんな日には拙者が必要でござろう?」

 新三郎の気づかいをありがたく思いつつも、お菊はかぶりをふった。

「ううん。園内の街灯がまだついてるから平気」

「拙者が必要でござろう?」

「・・・・・・」

「拙者が必要なはず」

「・・・えっと・・・」

「拙者が必要でござる!」

「・・・・・・う、うん」

 ひさしぶりに皿屋敷の外へでかけたいのだろうとさっしたお菊は、背伸びをして柱から白い牡丹提灯をおろしてやった。

「しばし、またれよ。今、恥ずかしいことを思いだしますゆえ」

 新三郎がそう言ってから十秒ほどがつと、お菊の両手にかかえられた白い牡丹提灯が、火をいれたわけでもないのにゆっくりと暖かみのある光をともしはじめた。

 この提灯お化けは、恥ずかしいことを思いだすことで明かりがつくのである。

 お菊は、いつも疑問に感じていたことを思いきってたずねてみた。

「どんなこと、思いだしてるんですか?」

「フッ・・・恥ずかしくて申せませぬ」

「・・・・・・」

 聞いた自分がバカだったと、お菊は反省した。

「さて、遊園地は広大でござる。どこから手をつけましょうや」

「ん~っと・・・」

「助六どのが立ち寄りそうな場所に、お心あたりはござらぬか?」

「じゃあ、まずはコーヒーカップから」

 お菊は明かりが灯った提灯お化けを左手にぶらさげながら、人気ひとけのない夜の遊園地へと踏みだした。

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