第3話「心臓が揺れる(3)【ウミ視点】」
「ウミくん」
そんなに綺麗な声で、俺のことを呼ぶ必要ないのに。
大嫌いだった、君を傷つけた俺なんて、無視してくれて構わないのに。
「ウミくん……?」
「嬉しくて……」
「ウミく……」
「ソラが、俺の名前を呼んでくれるのが嬉しくて……」
涙が溢れる。
止めようと思ってるのに、涙の止め方が分からない。
「ずっと、刷り込み……かなって思ってた」
「すりこみ……?」
ソラの指が、溢れる涙を拭う。
「俺が好きって感情を押しつけて、ソラが俺に抱いている感情を恋愛感情だって覚え込ませて……」
ソラの涙を拭ってあげたいと思っていたはずなのに、俺はソラの涙を拭う側になることはできなかった。
「本当はソラ……」
ソラだって泣いていたはずなのに、ソラが泣いていたときに傍にいることができなかった。
「ソラは俺のことが嫌いなのに、俺がソラを好きって気持ちを刷り込んで刷り込んで……」
そんな俺に、ソラは優しさをくれる。
「ソラが抱いている嫌悪感を好きだって勘違いさせているんじゃないかって……」
「……私ね」
唇に、ソラの唇が落とされる。
「犬のソラくんが亡くなったあと、ご飯を食べられなくなったの」
口づけられたのは一瞬。
「猫の私をいじめるひとがいなくなって、思う存分ご飯を食べられるはずなのに」
でも、ソラがくれた初めては、言葉を塞ぐには十分な行為だった。
「まったく食べられなかったの」
ソラは過去の自分が苦しかったときのことを、まるで物語を語るかのように優しい声で話してくれる。
「私の死因、衰弱死だったの」
食べることができなかったソラと、ご主人たちに申し訳なさそうな顔を見せる猫のソラを想像することしかできない。
自分は先に旅立ってしまったから、どう頑張ったってソラの苦しみを知ることができない。
「あのときは、どうしてご飯が食べられなかったのか分からなかったけど」
犬と猫の寿命が違うとは言っても、どうしてソラより先に亡くなってしまったんだろうって悔しい。
ソラがちゃんと食べられるように、最後の最期まで見守ってあげたかった。
過去の後悔をなんて、人の身体を得ても、犬として生きても、どうすることもできないけれど。
それでも、苦しんでいるソラの傍にいてあげたかった。
「今なら、その理由が分かったよ」
止まったはずの涙が視界に映り込んできて、ソラの表情を曇らせていく。
「ウミくんが、いなくなったから」
名前を呼ばれる。
「ウミくんがいなくなったことが寂しくて、寂しくて」
名前を、呼んでくれる。
「ご飯を食べられないくらい寂しくて、衰弱して、死んでしまうほど」
ご主人に名前を呼んでもらったときも、もちろん嬉しかった。
でも、好きなひとに名前を呼んでもらえるのは、もっと特別だって気づいた。
言葉が通じ合わなかったときには感じられなかった幸福が襲いかかる。
「私は猫のときから、ウミくんのことが好きだったんだよ」
堪えていた涙を拭ってくれたのは、ずっと想いを寄せていたソラだった。
柔らかい笑みを浮かべながら、俺のことを受け入れてくれる。
そんな日が来ることを、ずっとずっと願ってきた。
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犬と猫が恋をして、来世も一緒にいることを望んでいます 海坂依里 @erimisaka_re
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