第3話 56度目の夏
4度目の夏は旅行に行った。中学の時の友人とご当地ラーメン巡りをし、ある漫画家の記念館が近くにあると知り覗きに行ったり、遺跡群に足を伸ばしたりしているとあっという間に時間は過ぎた。
帰ってきたら帰ってきたで、横峯が満面の笑みで矢継ぎ早に旅行の感想を訊いてきたり、その間どれだけ寂しかったかを切々と語ったりでそれを聞き流しているうちに人生の時計の針はあっけなく高速回転した。
そんなこんなで4度目の夏は終わり、もはや習慣になりつつある夜のお祈りをしたあとは次の夏をどう過ごすか寝具の中で考える有り様だった。
そして案の定、5度目の夏がくる。
一回一回の夏をどう過ごしたかここに書いてもいいが、読者諸君が退屈するだろうからやめておく。今日は56回目の8月1日。
現時点でわかっていることは、俺は平行世界を移動しながらタイムループしているということ、そしてその次元に存在している各々の身体に、意識だけが乗り移っているらしいこと(8月31日の傷が7月25日には痕を残さず消えていた)……くらいか。
あと祈りは通じない。俺の心の叫びを聴き入れる気は全くなさそうなのでこっちも平均的な信仰心を捨て去るに至った。
さて。この夏はどう過ごそうか。ネタ自体はとうの昔に尽きている。古い友人を遊びに誘ったり、バイトをしてみたり、新たな趣味を開拓してみたりと努力はしてきた。うん、経験値は無駄に上がった。だがその痕跡はタイムループの度に跡形もなく消えてしまうのだ。
別にいいけど。寂しくなんかねぇ。
じっと丸まり冬眠中のダンゴムシの気持ちを想像してみてから、なんとなく横峯に電話した。
「……もしもし、立花?どしたん」
「……こんな時間に悪いな」
「ぜんぜんいいしむしろ嬉しいけど。」
「ん……あのさ、」
「うん」
「もしも時間がその……やっぱなんでもねぇ」
「なんだよ思わせぶりだな。時間がなんだって?」
「……時間がループしてて、さ、一人でその渦に巻き込まれている状態が何十回も続いてたらやっぱ気が滅入るよな」
笑い声。
「そりゃね!孤独だもんな。」
やばい。涙出てきた。なんだってお前はそう軽やかに本質を突くんだ。
「なんだい、怖い夢でも見た?」
「……そんなとこ」
「んじゃ、俺が子守唄を歌ってやろう」
「どうせマザーグースでも音読するんだろ」
「ばれた。……ま、立花は大丈夫だよ。もしそんな奇天烈な状況に陥っても、落ち込みはするけどなんやかんやで逞しく生きていくと思う。それに俺がいるじゃん。なんだって受け入れてみせる頼りになる男がさ」
「……それもそうだな」
でもだめだ。今横峯に頼るわけにはいかない。奴は失恋中で、恐らく自分の非を周りが思っている以上に責めてしまっているはずだ。奴の軽い口調の裏にはいつだって尖すぎる自己反省がある。これ以上重荷を増やすわけにはいかない。
「ね〜むれ〜ね〜むれ〜か〜わ〜いい立花くん〜」
「やめろ」
「ふふ。……明日会う?」
「……うん。いつものとこ、いつもの時間に」
「おっけ。いい夢を」
電話は切れた。俺はその夜、なぜか山の夢を見た。いい夢だったかどうかはわからない。
駅前の木立の下で横峯は文庫本を片手に待っていた。
「今何読んでるんだ」
「日本のSF作家に興味出てきてさ、まずはこの人からと思って」
そのオレンジ色の表紙は見かけたことがあった。
「おもろい?」
「そりゃもう」
にひひ、と笑う顔を見てふと疑問が浮かんだ。
「なんでお前文芸部に入らなかったんだ?」
「それは俺が訊きたいよ。なんで立花は文芸部に入部しなかったの」
逆に訊き返されてしまった。
「うーん……なんか文学を愛そうとする人間って馴れ合いになったら終わりと思わないか?」
「うわ、頭固そう。」
「悪かったな。……そういうお前はなんで」
「単純に、体験入部したら毛色が合わなかっただけだよ。文学理論ってのはどうも苦手でね。」
確かに、横峯は理論派というわけではない。その代わり、感情や感覚の面に秀でていると思う。評価のされにくいタイプではある。
「作曲のほうはどうなん。進んでるのか?」
「痛いとこついてくるねー。ぼちぼちってとこさ。君こそ、演劇部のフライヤーはどうなってんの?」
「ぼちぼちってとこだな」
「何も言ってないに等しいね」
「そうだな。」
音楽とデザイン。趣味は近いようで遠い。だからお互いそこまで干渉し合わない。その距離感が心地よかった。進捗だけはこうやって訊き合うようにしている。効果は……まぁ察してくれ。
「今日はどうする?」
「いつもの喫茶店がいい。涼しいし」
「異議なし」
というわけでいつもの喫茶店にしけこみ、午前中いっぱい話し込んだ。
昨日の話について触れられそうになると、適当にはぐらかした。横峯は俺を見つめ、「何かあっても、なくても、俺に話してくれると嬉しい」と念を押した。奴が失恋していなければ話していただろうと思う。
駅で別れたあと、美術館沿いを歩く。整備された小川に光が満ちている。夏なんだな、と当たり前のことを考える。終わらない夏。永遠に伸びる、白く反射する道。そこを歩くのは俺だけなのか。それとも似た境遇の人間が他にも存在するのか。そんなことはどうでもいいと思っている自分がいる。
夏は元々好きでも嫌いでもなかった。秋のほうが好きだ。銀杏の黄色が眩しいから。
でもタイムループを繰り返すたび、夏も悪くないと思い始めていた。
濃く落ちる木漏れ日。汗っかきの子どもがその下を走る。流れ落ちるアイスの雫。水の反射。けたたましい生命の鳴き声。大気の密度。それに、頭の芯が熱で溶け落ちる快感。
その全てが反響して夏をつくりだす。
そんなことをぼうっと想像していた俺の目に、見知った顔が飛び込んできた。
あれは……確か成瀬か。今日も眼鏡をしている。印象がそれしかない自分に嫌気が差す。
とりあえず声をかけておこう。
「成瀬、」
成瀬はぎょっとしたように足を止め、やけにスローモーションでこちらを振り返った。
「え、あ……立花君」
お、名前を覚えてもらっている。
「どっか行くの?」
すると成瀬はぱっと頬を赤らめ、美術館を指さした。
「春画展……近くでやってるから、観とこうと思って」
「あー!俺初めのほうに観に行ったぜ。いいよなぁ、画力高いし。」
「えっえっ、立花君、美術とか好きなの……?」
「そこそこ。デザインがなけなしの趣味だし。アナログだけど」
「も、もしかして、演劇部のフライヤー毎回描いてるの立花君……?」
「そ、そうだけど」
勘が鋭いな。
「すごいと思ってたんだ……!フリーハンドであそこまで正確な線を引ける人なかなかいないよ……!あと大胆なようで計算され尽くした色遣い、小動物的な可愛らしさを感じるデフォルメ、とんでもない才能がこの学校にいるって噂でもちきりだったんだよ、僕の中で」
成瀬の中でかい。いやでも、ここまで褒められると悪い気はしない。
「春画展、一緒に入る?」
「えっもう一回見るの?いいよ」
というより成瀬がどういうふうに鑑賞するのかに興味があって、俺は彼について美術館へと入った。
「はー楽しかった。」
「よ、よかった……僕、うるさくなかった?」
「いやいや、横峯と違って元が静かだから意外性が面白かった。横峯はあれは口を閉じさせたら死ぬからな」
「へぇ、横峯君って他クラスの人だよね。短髪の。仲が良かったんだね」
「よく知ってるんだな。……この夏のほとんどはべったりくっついてるなぁ。連絡取りやすいの帰宅部のあいつだけだし。」
「どのくらいの頻度で会ってるの?」
「ほぼ毎日。」
すると成瀬は美術館のチラシを落とした。
「大丈夫?」
「そ……」
「そ?」
「それってもはや恋人の域だね!」
俺は吹き出した。確かに、野郎同士でなければ恋人と思われても仕方ないかもしれない。
だから俺は冗談混じりに言った。
「野郎じゃなけりゃ付き合ってたかもな」
すると成瀬はじっと黙り込み、ややあって口を開いた。
「……男の人同士でも恋人関係にはなれるよ。親戚に一人、女性同士で結婚式を挙げた人がいたから、図書館とかで色々調べた記憶がある。今は特に若い人たちの間でジェンダーに囚われない感覚が共有され始めているって」
「そ、そうなのか」
しまった、なんか妙な方向に話を進めてしまった気がする。
「ま、俺と横峯は普通の友人関係ってだけだから」
「ご、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」
自分から言い出したくせに耳まで真っ赤にして成瀬は俯いた。
おかしな奴。でもどこか愛らしい。
ただのクラスメイトだった成瀬は、このようにして俺の夏に現れたのだった。
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