室外の二人
「うーん……シトラス、ちゃんとロゼ先パイと話せたかなぁ」
相談室の入口は施錠され、唯一中を覗けそうだった扉の小窓にもカーテンがかかっているため、中の様子を確認することは出来ない。壁に耳を当てても物音ひとつ聞こえてこなかった。
「ぐぬぬ………」
どこかに壁が薄い部分はないかと耳を当てたままうろうろ歩き回っていると、
「壁に耳を当てても音は聞こえませんよ、キルシェさん。相談室の壁は完全防音仕様ですから」
「うわっ、れ、レオンさん!?」
背後から突然声をかけられ、キルシェはビクッと肩を震わせて小さく飛び上がる。振り返るとそこには、タブレット端末を手にした執事服姿のレオンが立っていた。
彼は相変わらず無表情だったが、心なしか呆れたような雰囲気を漂わせているように見える。
「室内でのやりとりは、相談者ご自身とロゼお嬢様だけの機密事項となっております。故に、部外者に相談内容が漏れるような不測の事態が起きないよう細心の注意を払っております」
「はぁ……まぁそりゃそうですよね……」
ということは、レオンもロゼが生徒から受けた相談内容について知ることは一切ないのだろう。そう思うと少しだけ安心できた気がした。今シトラスがロゼにどんなことを話していたとしても、レオンがそれを知る術はない。
(……それにしても、)
昨日あんな気まずい空気で別れたというのに、レオンは何事もなかったかのようにいつも通りの態度だ。まるで昨日言い合ったことが、大した問題ではなかったかのように。その冷静さがまた、キルシェには悔しく思えた。
「レオンさん」
名前を呼ぶと、レオンはタブレット端末の液晶から顔を上げてキルシェに視線を向ける。
「昨日のこと、なんですが」
「どうぞ」
感情が読み取れない口調で短くそう返され、一瞬怯みそうになる。しかし、キルシェはそれをぐっと堪えて言葉を続けた。
「……レオンさんが言ってることがド正論なのはわかってます。でも─あたしは納得してませんから」
「……」
しん、と耳が痛くなるほどの沈黙が流れる。それでもキルシェは、レオンから目を逸らさずにその返答を待った。ここで引き下がってしまうと、今後の彼との力関係がますます芳しくない事になりそうな気がした。
「そうですか」
一言それだけ言うと、彼は再び手元のタブレット端末に視線を戻す。
「は、え、ちょっと、それだけですか?!」
もっと他に何か言うことはないのか、と言わんばかりにキルシェは聞き返す。しかし、レオンにはそんなことを気に留めるような様子はない。
「それだけも何も……キルシェさんが私の言い分に不満があろうことは昨日の態度から見ても明らかでしたし、改めてご本人の口からはっきりと聞かせていただいたことで『ああ、やはりか』と再確認できましたので」
「えっ、いやあの、こう……反論とかお説教とか色々あるじゃないですか?!なんでそんな冷静なんですかっ!!」
あまりにも淡白な反応しか返ってこないので逆に不安になってしまったのか、慌てて抗議するような口調になるキルシェに対して、レオンは普段の冷静沈着な態度を崩さない。
「頭ごなしに反論や説教をしたところで、キルシェさんは私の言い分に納得出来ますか?」
「そ、それは……そういうわけじゃないですけど、普通はそうなりませんかね……?」
恐る恐るといった感じで尋ねる彼女に、彼は表情を変えることなく答えた。
「普通がどうであるかはよくわかりませんが……私は別に怒っているわけでもなければ、キルシェさんを責めるつもりもありません。それに」
そこで一旦区切ると、レオンはタブレット端末の電源をオフにしてキルシェの方へ向き直った。その視線を受けて彼女は僅かに身を固くする。
「人の気持ちというのは、他人に容易く動かせるものではありません。たった数個言葉を交わしただけで相手の信念や考え方をまるっきり変えることが有り得たら、恐ろしいことだと思いませんか」
「それは、そうですけど……」
尤もな意見ではあるが、そう簡単に割り切れるものだろうか。ともあれ、レオンは自分と考え方が異なるキルシェを否定するつもりは無いらしい。そのことに安堵しつつ、キルシェは更に問いを投げかけてみる事にした。
「……レオンさん、魔族ってそんなに悪いヤツなんですか?」
その問いに、レオンは一瞬ぴくりと眉を動かしたように見えた。
「この間の私の話は、聞いていましたよね?」
「バッチリ聞いてました!その上で気になったから聞いてます!!」
胸を張って答えると、レオンは小さく溜息を漏らす。呆れが滲んで見えるその態度に内心むっとするが、その気持ちを押し込めながらキルシェは言葉を続けた。
「だって魔界に住んでいる人だからって……魔界にどれくらい人が住んでいるのかはわからないけれど、もし人間界と同じくらいだとしたら、大勢の人がいると思います。人間界にだっていい人も悪い人もいますよね?」
「それは否定しません」
「だったら……魔界は、違うんですか?逆に、天界にいる人はみんな、いい人だって言い切れるんですか?」
二人の間に沈黙が流れた。廊下に響く微かな足音だけが二人の耳に届く。キルシェは、レオンが次に何を言うのかを固唾を飲んで待っていた。
人間界に危害を与えているのだから魔界の人はすべて悪。
そう決めつけてしまうのは簡単だ。しかし、今はその答えが欲しいというよりも、レオンがどう考えているのか知りたかった。
レオンは少し逡巡した後、ぽつりと話し始める。
「シトラスさんは魔法少女として覚醒したばかりの頃、魔獣に襲われたところをある男性に助けられたそうです」
「ある男性……?」
「魔獣の攻撃でエナジーを失い変身が解けかけたシトラスさんを、再度魔法が使える状態になるまで回復させたと聞いています。……ポメリーナは何故か気に食わない様子でしたが」
「それが、エリックさんかもしれないんですか?」
レオンは首を縦に振り、キルシェは手を顎に当てて考え込む。
通常の人間よりも多くのエナジーを要する魔法少女をそこまで回復させられそうなのは、天界の者か同じ魔法少女ぐらいなものだろう。
そのどちらでもないとなると─
「ほんとにエリックさんだったら、……やっぱり魔族かもしれないってこと?」
「そう考えるのが自然かと。ただ、キルシェさん。魔界は邪神が絶対的な権力と不動の地位を築いて支配している世界です。己の目的を阻むもの、疑わしきものは躊躇いなく粛正する─そんな邪神に忠実に付き従っているのが、
改めて聞くと、なんて物騒な世界なのだろうとキルシェは思う。こんな絵に描いたような独裁者が支配する世界なのだから、
しかし、果たして全員が邪神の思想に染まりきっているのだろうか。
「ま、魔族は魔族だけど、いい魔族の人とか……」
「そう決めつけるのは早計です」
キルシェが言い終えないうちに、レオンはきっぱりと否定する。
「否定するのは早くないですか?!」
「いいですか、キルシェさん。人には様々な面があります。私なんかはわかりやすいでしょう。ロゼお嬢様に仕えるアルページュ家の執事である私、女神様の命を受けた聖獣族の私、─獅子の姿で戦場を駆け回る私。私の全てを知っている人などおりません。─ロゼお嬢様でさえ、私の全てを知っているとは言わないでしょう」
レオンはさらに続ける。
「シトラスさんに好意的に接しているからと言って、彼が人間に対して友好的な魔族であるということは決してありません。シトラスさんも私たちも、全てを暴くとまではいかなくとも、もう少しこの男の輪郭を捉える必要があります」
「……もうちょっとエリックさんのことをよく知った方がいいってコトですか?」
合点がいった様子のキルシェに、レオンは静かに頷く。
「目的がわかるまでは、彼を全面的に信用しない方がいい。出来れば、シトラスさんを当面ひとりで行動させないようにした方がいいでしょう」
「そこまで?!レオンさん、シトラスだってそんな子供じゃないし、ちょっと心配し過ぎじゃ……」
キルシェそう言いかけた─その時だった。
「─ッ!?」
「この感じ……!」
キン、と耳鳴りのような音を聞き取った二人は、慌てて他の生徒の様子を見に近くの教室へと駆け込む。勢いよく引き戸を開けたその先には─
「な、なにあれ!!」
黒いモヤモヤとした塊が、まるで軟体生物かのように生徒たちの身体に絡みつき始めていた。触手のように広がったそれらは、あっという間に生徒たちの身体を包み込んでいく。影に包まれた生徒たちまるで生命力が吸い取られてしまったかのようにぐったりと倒れ、そのまま影の中に引き摺りこまれかけていた。
「ダメ!待って!!」
キルシェはそばで影に捕えられそうになっている生徒の手を掴もうとしたが、レオンは咄嗟にキルシェの腕を引いてそれを阻止する。
「ちょっと、なんで─」
「あの影には触れない方が賢明です」
そう言われて再び視線を向けると、生徒の身体に接している影がその部分から僅かに光を放っている。
(触れたところからエナジーを吸い取ってるんだ……!)
影に捕らわれた生徒は苦しげに顔を歪めていたが、やがて力尽きたように意識を手放して無抵抗になる。そしてそのまま、ずぶずぶと影の中へと沈んでいった。
「レオンさん……!」
「恐らくですが、あの影は魔法で出来た空間に繋がっているはず。それを生み出した魔獣を倒せば、魔法は解除されて引き摺り込まれた皆さんを助け出せるでしょう。ただし─」
そう言っている間にも、生徒たちの身体は次々と影の中へと沈んでいく。
「人々はあの影の中でエナジーを奪われ続けている可能性があります。─あまり時間はかけられません」
そう言うなり、レオンの身体がカッと眩い光に包まれる。光が収まると、そこには神職を思わせる白い装束に身を包み、白銀の獅子の耳と尾を生やした聖獣族の姿に変身したレオンの姿があった。
「了解です!キルシェちゃん、タイムアタック系は得意なんで!!」
キルシェはカーディガンのポケットからピンク色のブローチを取り出す。さくらんぼを模した表面の宝石が、キラリと輝きを放った。
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