本当の気持ち

「会長、ありがとうございます!会長にお話を聞いていただけて、この先どうすればいいのかわかった気がします……!」


ペコペコと何度もお辞儀する女子生徒の目の前には、聖フローラ学園高等部生徒会長の証である腕章を付けたロゼ・アルページュの姿があった。


「わたしは何もしていませんわ。自分の答えを見つけることが出来たのは、あなた自身の力。また話したいことがあったら、いつでもいらしてくださいな」


穏やかな声音と表情は、女子生徒の中のロゼへの尊敬と好感を上昇させるに十分だった。


女子生徒はもう一度ロゼに向かって深々と頭を下げると、踵を返して相談室を後にする。そしてそれと入れ替わるように、燕尾服に身を包んだロゼの執事─レオンハルト・セレスティアが入室した。


「レオン、次の方は?」


ロゼに尋ねられたレオンは、タブレット端末を操作しながら答える。


「はい、次は2年C組の生徒で……」


そこで、レオンの言葉が途切れる。画面を見つめながら神妙そうな表情を浮かべている彼に気付き、ロゼは横からタブレットの画面を覗き込む。そして、そこに表示されていた名前を見て「あら、」と小さく声を漏らした。


「……合同鍛錬でもロゼお嬢様と会うことが出来るというのに、わざわざこちらを選んだと」


「レオン」


嗜めるような口調だった。レオンは一瞬口を噤むが、すぐにいつもの調子に戻って言葉を返す。


「……失礼いたしました」


レオンが謝罪の言葉を述べると、ロゼは小さく息を吐いて首を横に振る。


「いえ……だけどあの子がここを選んだ理由は、わたしもレオンの想像通りだと思うわ」


「………」


レオンから物言いだげな雰囲気を感じ取りながらも、ロゼは言葉を続ける。


「あなたの言いたい事はわかるけれど、ここは聖フローラ学園高等部生徒会長による相談室。何であろうと相談者の相談内容は、生徒会長であるわたし以外知ることは許されない。例外はないわ」


毅然と言い放つ彼女にレオンは何も言い返さない。そんなレオンの様子を横目で見やりながら、ロゼは続ける。


「……だけど、みんなが危険に晒されることはわたしも望んでいない。それはあなたと同じ気持ちよ。信じて、任せてもらえないかしら」


その言葉に嘘偽りがないことはすぐにわかったため、彼は小さく頷くしかなかった。ロゼはそれを見て、表情を和らげる。


「……相談者を、呼んで参ります」


「ええ、お願いね」


レオンは一礼すると、タブレットを小脇に抱えたまま足早にその場を後にする。それから程なくして、相談室の扉は再び開かれた。


***


「いらっしゃい、シトラスちゃん。相談室ここでお話するのは初めてね」


そう言って微笑むロゼの表情は、いつもの通りとても穏やかで優しい。初めて入る相談室の内装をキョロキョロと眺めていたシトラスは、声をかけられるなり慌てて頭を下げる。


「こ、こんにちは……!えっと、すみません!忙しい時に時間を取らせてしまって!」


「あら、ちゃんとホームページのフォームから申し込んでくれたじゃない。ここは聖フローラ学園高等部の生徒であれば、誰でも相談に来てもいいの。シトラスちゃんだってそうよ。さ、座ってちょうだい」


促されるまま、シトラスはロゼとテーブルを挟んで向かい側に置かれたソファに腰を下ろした。


(学校にこんな部屋があったなんて……)


ロゼの趣味なのか、元々の備品なのか─相談室内は上品で高級感のあるインテリアで統一されている。照明も温かみのある電球色の灯りのものが使用されており、室内には微かに香が焚かれているのか優しい花の香りが漂っていた。


その一方で視界には邪魔になるような不要な備品は一切置かれておらず、細部に至るまで室内に入る者をもてなす為の配慮が行き届いていた。


「はい、どうぞ」


シトラスの前に、葡萄の絵が施された華やかなデザインのティーカップが置かれた。カップからは湯気が立ち上り、ほんのりとカモミールの香りが鼻腔をくすぐる。


「相談に来る人は緊張している人がほとんどだから、落ち着いて話してもらうためにハーブティーを淹れているの。お口に合うようだったら、飲んでみてね」


ティーカップとお揃いのポットで自身のカップにもハーブティーを注ぎながら、ロゼが優しい声音で言う。


「あ、ありがとうございます!……いただきます」


シトラスはお礼を言うとカップをそっと手に取り、口を付ける。ハーブ特有の爽やかな味わいと共に、緊張していた心が少しずつ解れていく。二、三口ほどお茶を口に含んだところで、シトラスはようやく話を切り出す決心がついた。


「……あの、ロゼ先輩」


「エリックさんのこと、よね?」


本題に入ろうとしたところで先に言われてしまい、シトラスは思わず目を見開く。しかしそれも一瞬のことで、すぐに頷き返した。


シトラスの反応を見たロゼは柔らかく微笑み、口を開く。


「合同鍛錬で会えるのにわざわざここに来てくれたということは、他に人のいないところでわたしと話がしたかったということでしょう?今のシトラスちゃんが話したいことと言えば、エリックさんについてのことかしらと思ったのだけど」


「……そう、です」


恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で返事をすると、ロゼは柔和な笑みを浮かべたまま頷いた。


「大丈夫よ。ここにはわたししかいないし、ここで聞いたことを誰かに話したりはしないわ。安心して話してちょうだい」


その言葉を聞いた瞬間、シトラスの中で何かが吹っ切れたような気がした。大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと話し出す。


「……ポメポメやレオンさんが、心配してくれてるのはわかってるんです。でも……」


そこまで言うと、シトラスは俯いて黙り込んでしまう。そんな彼女の様子を見て、ロゼは静かに続きを促す。


「でも……?」


「……エリックさんを警戒した方がいい、関わらない方がいい、って頭ではわかっているのに、そうしたくないって思っている自分がいて……どうしたらいいのかわからなくて」


絞り出すような声でそう言うと、シトラスはそのまま黙りこくってしまった。ロゼはしばらく黙ったまま彼女の言葉に耳を傾けていたが、やがて静かに口を開いた。


「天界から来たレオンやポメちゃんが、魔界を警戒するのは当然のことだと思うわ。天界は長年魔界と敵対状態にあるし、現に黒き明日ディマイン・ノワールはこの世界にも危害を与えている。それは事実としてあるけれど……」


そこで一旦言葉を区切ると、彼女は再び穏やかな微笑みを見せる。そしてそのまま続けた。


「でも正直、もう少しシトラスちゃんの気持ちに寄り添って今後のことを考えた方がいいんじゃないかしらって思っていたの。わたしたちはもうそこまで子供ではないし、他人から頭ごなしに自分の考えを否定されて納得出来るわけないわよね」


ロゼの言葉にシトラスは黙って耳を傾けていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「ロゼ先輩、この間私に『自分をしっかりと持つことが魔法が上達するコツ』だと言ってくださいましたよね」


その問いに、ロゼは大きく頷いてみせる。


「ええ、言ったわ」


「私……それを言われて初めて、今まで自分らしさが何なのかを考えないで生きてきたんだって気付いたんです。こんなフワフワしたままじゃ、みんなの足を引っ張ってしまうかもしれないって思っていました」


シトラスは膝の上に置いた手をぎゅっ、と握りしめた。


「……その時、エリックさんが言ってくれたんです。『私の友達は、それで私の価値を図っているわけではない』『友達と同じぐらい、自分を信じられるようになればきっと大丈夫』って」


心強い言葉だった。そう言われて、どれだけ心が軽くなったことか。今でもエリックの言葉を思い出すだけで、シトラスは胸が温かくなる。


「エリックさんの言葉が、シトラスちゃんの背中を押してくださったのね」


ロゼは目を細めながら優しく語りかけてくる。その声音はとても心地よかった。


「……私、やっぱりエリックさんが悪い人だと思いたくないです。この言葉だけじゃなくて……魔獣が現れた時も、エリックさんは怪我をしながら私のことを身を挺して守ってくれました。……あれが嘘だって、私は思いたくない」


言いながら拳を強く握りしめるが、それでもやはり不安は完全に拭い去れないままだった。


このままエリックを信じることは、レオンやポメポメの思いを裏切ることにもなる。

だからと言って、自分の心に嘘をつき続けることも出来る気がしない。


「……親身に相談に乗って、命懸けで自分のことを守ってくれたエリックさんを信じたいのね」


その言葉を聞き、シトラスはゆっくりと首を縦に振った。それを見て、ロゼは再び口を開く。


「シトラスちゃん、人ってね。色んな面を持っているの。シトラスちゃん自身もきっとそうだと思う。……わたしは、分かりやすいわね。聖フローラ学園高等部の生徒会長であり、学校を離れればバイオリニスト。ミネルヴァ財団の理事長の娘、─魔法少女。わたしの全てを知っている人は、当然いない。レオンだって、きっとわたしのことを全部は知らないわ」


そこまで言って、ロゼは自分のハーブティーを口に含む。その仕草一つとっても絵になる美しさがあり、気品に満ち溢れていた。


「わたしはエリックさんにはまだ、シトラスちゃんに見せていない面があると思う。シトラスちゃんに優しくて親身なのももちろん、この人の一面かもしれない。だけど─本当にそれが彼の全てかしら?」


「……それは、」


それが全てか、と問われて即答できるほどシトラスはエリックのことを知らない。


住んでいる場所も、前に何処の街にいたのかも。何となく自分より年上の大人だ、ということはわかるけれど正確な年齢もわからない。


よく考えてみれば、この少ない情報量で彼を信頼しきっていた自分に驚くと同時に呆れてしまった。自分はあまりにも無知すぎるのではないか、とさえ思うほどだった。


「私、エリックさんのこと何にも知らない……」


ぽつりと呟くように言うと、それを聞いたロゼは微笑んだ。


「そうね。どちらにしても、シトラスちゃんもわたし達もエリックさんについて持っている情報が少な過ぎる。まず彼がどういう人物なのかを知ってから、今後のことを考えるのも手だとわたしは思うわ。それで本当に彼が黒き明日ディマイン・ノワールの一員であるなら、やるべきことをやるしかないけれど……魔族であっても魔界とは別の思惑で動いている人なら、協力者になってくれるかもしれない」


「協力者……」


シトラスはその単語を反芻するように呟いた。ポメポメやレオンは彼を魔界出身の人物である可能性が高いと見るや疑っていたが、そうではない可能性もなくはないということだ。


(もしもエリックさんが味方になってくれるなら、すごく心強いな)


心の中でそう思いながら、自然と頬が緩むのを感じた。


「ふふ、来た時と顔色が全然違うわね」


くすくすと手を口元に当てて笑うロゼに指摘され、シトラスはハッと我に返ったように表情を引き締め直した。そして照れ隠しのようにコホン、と小さく咳払いをする。


「す、すみませんロゼ先輩!ありがとうございます!」


「いいえ。ただ……ひとつだけ」


そう言って人差し指を立てるロゼの表情は真剣だった。思わず息を飲むようにして次の言葉を待つシトラスに対し、ロゼは静かに告げる。


「ここまで話しておいて何だけど……エリックさんを味方だと断定するのは、わたしもまだ早いと思ってる。なるべく一人きりの時にエリックさんに会わないように気を付けてね」


「あ……」


ほんの少しだけ、シトラスは気分が下降するのを感じた。


シトラスの気持ちを否定せずに話を聞いてくれたロゼでさえ、エリックのことを完全には信用していない。 その事実が少し寂しいと感じてしまい、無意識のうちに表情が曇ってしまう。それに気付いたのか、ロゼは困ったように眉尻を下げて笑った。


「あくまで、念のためよ。全面的に信じるのはまだ早いけれど、シトラスちゃんの信じている人が本当に良い人だったらいいとわたしも思ってるもの」


優しい口調で言われ、シトラスは顔に入った力がほんの少し緩むのを感じた。


「……わかりました。気をつけます」


素直に頷くと、ロゼは安心したように表情を緩めた。

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