第5話:薬師のソフィア
少しでも前向きな話をしていたかった。
夜が明けたら殺されるかもしれないという事実は、ある種究極的なストレスで、思考の深みに嵌ると底なしに落ちてしまう感覚があったのだ。
目の前に置かれた現実から目を背けたい。
ファンタジー世界で現実逃避をすることになるとは、笑えない話だ。
そして、集落での生活について語り合おうとしたその時、この家に来客があった。
確かルーファスは大柄な男ギルに、この家には誰も近づけるなと言っていた筈だが。
その客は扉をノックすることなく中へと入って来た。
栗色の髪をした若い女性だった。
濃い緑色の生地に赤い刺繍の施されたローブを纏っている。
化粧っ気は無いが目鼻立ちがくっきりととしていて、気は強そうだが美人だった。
おれは突然現れた女性に目を奪われてしまう。
それに気が付いたかどうかはさて置き、ルーファスは大きなため息をついていた
「――ソフィアよ?ギルには、明日の浄化が終わるまで何人たりともわしの家に近づくな、と告げておいたはずじゃが?」
老魔法使いはあからさまに呆れ声だった。
ソフィア、と呼んだ女性のことを煙たがっている様な雰囲気すらある。
そんなルーファスの態度を受け、ソフィアは胸を張り腕を組んだ。
「あのね、ルーファス?余所者もしくは身元不明な者に浄化を施すのは、本来はこの集落の
威厳ある老魔法使いをものともしない、強い口調と発言だった。
まだ二十代に見えるが、薬師とは確か医者の様な役割があったはず。
「この夜中にその様な大声を張り上げるでない。良いか、ソフィアよ?この男は、己の出自すらも定かではない状態だったのじゃ。流行り病よりも、悪魔か悪霊に憑かれておる可能性が極めて高かった。それゆえにこの度はわしが浄化を買って出ただけじゃ。自身の都合で動いておるつもりは更々ないわい」
ルーファスの声はソフィアほど大きくは無かったが、語気は鋭く険悪なムードを露骨に作り出している様に見えた。
この二人は、今回のおれの件に関わらず普段から犬猿の仲なのだろう。
しかし、このまま呆然としてるわけにもいかず、おれはまずソフィアへと声を掛けることにした。
「あの……ソフィアさん。初めまして、わたしはリョウスケと申します」
依然、胸元で腕を組んだままだったが、ソフィアはおれに対して薄い笑みを浮かべてくれた。
「あら、ササラ人にしては流暢にこちらの言葉を話せるのね?」
ここでまたササラ人が出て来たと言うことは、アジア人とか黄色人種的な見た目をした種族が存在してるのは間違いないだろう。
ルーファスやソフィアは見るからに白人系統だから、彼らからすれば異民族であり、もしかしたら敵対関係にあったりするのかもしれない。
「その男、リョウスケはササラ人に見えるが、そうでは無いやもしれん。わし自ら調査して集落の者たちには明日結果を報告するつもりでおったが……薬師としての見地も、まあ無いよりはマシじゃろうから、この場に同席することを認めてやっても良い」
なんとか穏便に事を進めたいが、ルーファスにはあまりその気は無いみたいだ。
ソフィアも、この子は本当に気が強く喧嘩上等の態度を全く収める気配を見せない。
「なにを偉そうに……本来なら彼をこのまま私の家に連れ帰っても良いのよ?」
普段からこういうやり取りをしてるのかもしれないが、このままおれが原因で喧嘩になってしまっては後味が悪すぎる。
「ソ、ソフィアさん?このまま連れて行かれると、ルーファスさんとの話が途中になってしまうので、この場で同席して頂けると、助かります」
「へえ、リョウスケって言ったかしら?貴方の方が、この偏屈なじいさんより話が通じそうね。分かった。ここはリョウスケに免じて同席してあげましょう」
そう言うと、ソフィアはおれにだけ優美な笑みを零してくれた。
そしておれの右手側に腰かけ、顔と身体をおれの方へと向けた。
偏屈なじじい……もとい老魔法使いは顔も見たくない、と言ったところか。
「――それで、一体なにを話していたの?」とソフィア。
こうして同じテーブルにつくと、少しアルコールの匂いがした。
改めて彼女の表情を見ると、少し上気しているので何処で酒を飲んでいたのだろう。
「えーっと、そうですね。本格的な浄化の話と集落長から承認が得られるかどうかという話をして、それから、もしおれがこの集落に残れたとしたら、どの様に生活をすれば良いか?という、話に入るところでした」
おれの話を聞き、ソフィアは少し背筋を伸ばしていた。
ルーファスは変わらずおれのことをじいっと見据えている。
「貴方、平民の出では無い、のかしら?衣服は……粗末に見えるけど、髪は艶やかで、肌が綺麗だわ。歯も白くて並び揃ってるし。病に侵されてたり悪魔に憑かれている様には見えない。話し方も、ある程度教育を受けた者のソレだし」
ソフィアはそう言い、おれの手を取り裏表と指先をじっくりと観察していた。
「それに、この手。まるで貴族の娘のような美しさ。傷ひとつない。毎日武器や農具を握ってる手では無いわね。訓練を積んだ戦士や暗殺者や諜報員の類では無いし農耕に従事してるわけでも無い、かな」
恐らくこれがルーファスの言う薬師の見地なのだろう。
お互い喧嘩腰だが自分の領分やすべき点は心得ている様だ。
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