吸血鬼の城

「じゃあ僕は、ここでお留守番していますっ!」


 翌日、ルゥはヴィクトリアとヴァージルの背を、満面の笑みで見送った。

 ヴィクトリアは、期待に目を輝かせるルゥの視線に、少しだけ気疲れしていた。


『今日はとびきり綺麗にしなくては!』

 朝、いつもより早く部屋にやってきたルゥは、張り切ってヴィクトリアの朝支度を始めた。

 顔も髪も服も、『初めての御主人様と花嫁様のデート』をもり立てるため、彼の瞳は燃えていた。


『花嫁様、こちらのドレスはいかがでしょうか?』

 ズラッと並べられたのは、様々なドレス。

 ルゥは突然連れてこられたヴィクトリアのために、夜なべして元々城にあったドレスのサイズを直したり、ヴィクトリアに似合うようにと直していたらしい。

 因みに先日式のドレスの採寸を行った際、普段づかいのドレスは別に注文中とのことだった。


(そらにしてもルゥくん、意外と? 胸のでる服をすすめてくるんだよなあ……)


 吸血鬼族の服が妖艶な物が多いせいかもしれないが、動きやすさを重視するヴィクトリアからすればなぜそこにこだわるのか理解できなかった。

 結局、ヴァージルが用意した部屋の趣味の話をルゥにして、黒を基調にした淑女風のドレスをヴィクトリアは選ぶことになった。


 続いては髪である。

 髪型については、ルゥは片方に髪を寄せることを譲らず、ヴィクトリアはゆるく髪を編んでから、肩より前に髪を下ろすことになった。因みに髪には、今朝摘んだばかりの小さな花が編み込まれている。ドレスが黒ということもあって、白い花は文字通り花を添えていた。


(ルゥくん……。首筋が出る髪型、狙ってやってることじゃないよね?)


 吸血鬼族を前に首筋をさらすなんて、まるで血を飲んでほしいとアピールしているようなものである。


(ある意味、ドレスよりヴァージルさん相手だとこっちのほうが恥ずかしいかもしれない……)


 ただ、『御主人様好み』に仕上げたいというルゥの願いを否定する事もできず、ヴィクトリアはルゥにされるがままを受け入れるしかなかった。

 そのためか、今のヴィクトリアの装いは、『花嫁』というよりは『貴婦人』という表現のほうが似合っていた。


「その髪と服は、ルゥが準備したのか?」


「はい」


「よく似合っている。綺麗だ」


 ふ、と優しくヴァージルは微笑む。


(なんだろう。すっごく照れる…!)


「あ、ありがとうございます……」


(ヴァージルさんの言葉って、不思議と嘘がないって感じがして、心臓に悪い……!)


 カーライルは基本嘘吐きである。

 レイモンドはヴィクトリアの望む言葉を返し、ルーファスはヴィクトリアであればなんでもいいという考えなので、彼の言葉は実はあまり当てにならない。 

 そんな三人ばかり見てきただけに、ヴァージルの見目の印象とは違う『素直さ』に、ヴィクトリアは新鮮さすら感じてしまっていた。


「では、行こう」


 ヴァージルはそう言うと、ヴィクトリアに自分の腕に手を回すよう合図した。

 

 ヴィクトリアは、気恥ずかしくて視線を一度下に向けてから、彼の腕に手を回した。

 薄幸な美形という顔立ちもあって、ヴィクトリアは彼はあまり筋肉はつかないたちなのだろう思っていたが、実際の彼の腕は、ヴィクトリアの想像よりずっと硬かった。


(ヴァージルさん、ルーファスたちとそう年は変わらないんだろうけど、なんだか落ち着いていて『大人』って感じがする)


 魔族であるヴァージルの身長は高い。

 元々人間の男と比べて、強い力を持つ魔族の男は、体格がいいものが多いのだ。

 人間の男や、ダン・モルガン程度ならヴィクトリアも簡単に対抗できるだろうが、流石にヴァージル相手では、魔法を使わなければ逃げられないかもしれないとヴィクトリアは思った。


(しばらく魔力を補給出来てないから、『強化』は使えてあと一回……)


 リラ・ノアールにいれば、主にルーファスやカーライルが日常的に魔力補給の名目で手に口付けたりしてくるが、ヴァージルからはそれがないために、貯蓄した魔力は目減りする一方だ。

 『ヴィンセント』時代のように、今のヴィクトリアは自分の意思で魔力のコントロール出来ない。


(とはいえ、ヴァージルさんに補給してもらうのは色々問題なんだけど……)


 一応、今のこの城での自分の身分は『花嫁』なわけで。

 『未来の夫(仮)』にねだる(物理)のは、色んな意味でまずいだろうとヴィクトリアは頭を抱えた。

 ――それに。


『今のあの男は、手負いの獣とそう変わりません。それに、だって、だってあの男は――……』


(ルーファスのあの言葉、どういう意味だったんだろう?)


 ルーファスの言葉も、ヴィクトリアは少し気になっていた。


(ヴァージルさん、すごくまともそうに見えるけど……)


 少なくとも、魔王城の魔族の三人と比べると、(連れ去り事件以外は)割と紳士的だ。

 服の趣味も幼女趣味ではないし、幼い子ども相手に優しいところも好感が持てる。『花嫁』が傷つけられたと聞いて心配してすぐ駆けつけるところも、他者に対する愛情の深さという点ではいい人だとしか思えない。

 勿論だからといって、彼の本物の『花嫁』になるかは別の話だが。


「さっきから黙って、何を考えている?」

「い、いえ! 大丈夫です」


 ヴィクトリアは慌てて返事をした。

 ヴァージルは、少し心配そうにヴィクトリアを見つめていたが、困ったように嗤う彼女に、それ以上追求はしなかった。


「まずはこの城について説明しよう。この城は、魔王城リラ・ノアールより、古い歴史を持つ建物だ。セレネの建築物の中で、最も古いと言っていい。外壁はすべて、貴重な魔晶石で作られている。この特徴を持つのはセレネで、こことリラ・ノアールだけだ。城には侵入者を排除するため仕掛けがあり、たとえば正しい文様をなぞることで扉が開く場所もある」


 ヴァージルは、歩きながら城の説明をした。


「この城は代々、吸血鬼族の当主とその妻、そして使用人たちが暮らしている。使用人たちは、主にコウモリ族だ。先代当主には五人の妻がいたため、彼女たちの世話をするために、以前は侍女として他の吸血鬼族も住んでいた。だが今は、すべて自分の屋敷へと帰らせている」

「……五人の妻?」


 ヴィクトリアは思わず聞き返していた。


「ああ。先代は俺と違って、『花嫁』は必要無かったから。血を吸う相手を選べる場合、吸血鬼族は負担を減らすためにも複数の妻を娶る。先代もそうだった」

「……」

「だが――……俺の『花嫁』は、君だけだ」


 まるで眩しいものでも見るかのように目を細めて微笑まれ、ヴィクトリアはどきりとした。


(ヴィ、ヴィクトリア。何考えてるの! 今貴方は潜入中なのよ! こんなことで動揺してどうするの!!!)


 人間の世界で、『ヴィクトリア』として生きていたときは、妻は一人が原則だったが、セレネの魔族はそうではない。


 強い力を持つ者や魔族の体質によっては、複数の伴侶を持つこともよくあることだ。種族の長である場合はなおさら。

 元々カーライルは、蜘蛛の一族の『最高傑作』とまで言われていた。それは当主がより強い子孫を作るために、意図的に『配合』した結果とも言える。


(異なる種族の血が混じり合うことで、より強い子どもが生まれることもある。魔族と人間の子どもだった『ヴィンセント』がそうであったように)


 ヴァージルだって、本来であれば複数の妻を迎えてもおかしくはないのだ。そして彼ほどの男なら、魔族の女なら喜んで身を差し出すだろう。

 それはまさしく、『夜の王』の名に相応しく。


(……妙なことを考えてしまった……)


 彼が吸血鬼らしく、女性たちの首筋に牙を突き立てる様を想像して、ヴィクトリアは頬を染めた。


(唇同士の口づけとは違うのに、吸血行為を想像すると恥ずかしくなってしまうのは、自分の弱い場所を晒して、命を握られた状態で血を吸われるからなのかな……)


 あとは、相手の唇が自分の肌に触れるからだろうか――なんて考えて、ヴィクトリアは頭を振った。

 吸血行為が、首筋への接吻だと思ったら、途端に恥ずかしく思えてくる。


(しかも、この格好だと、それを待ってるみたいなわけで……!)


 『花嫁様』と可愛く呼ばれると何でも許したくなってしまうが、ちゃんと拒否すべきだったとヴィクトリアは少し後悔していた。

 ……真面目そうなヴァージルは、律儀に約束を守って式までは血は吸わないだろうが、ヴィクトリアは落ち着かなくてしょうがなかった。


「ついたぞ」


 ヴァージルが最初にヴィクトリアを連れてきたのは、城の図書室だった。

 ヴァージルが扉の文様にいくつか触れると、自動的に扉が開いた。


「ここが図書室。吸血鬼族の歴史についての本などもここに収められている。セレネにおける書物の保管は、種族ごとでも行っているが、種族の平均的な寿命や能力、住まいなどの問題もあって、蔵書量としてはそこまで多くない。建物自体には歴史があるが、ここよりあとに作られた、リラ・ノアールの魔王城や、長命種が管理する『時の塔』と呼ばれる建物のほうが蔵書量は多い。まあ、吸血鬼族の系譜については、十分取り揃えてはいる」


 魔王城に本が多いのは、主に『ヴィンセント』のせいである。


 『時の塔』とは、いわばセレネの歴史の保管庫で、その塔がある場所で争いを起した場合、想い罰が下されるという法がある。

 塔の管理は、長い者は五千年ほど生きたとされる長命種によってなされ、彼らが管理する情報は、数千・数億年ものあいだの、空に浮かぶ星の記録にまでにわたるとされる。

 つまり、並みの寿命では管理できないのだ。


「ここは宝物庫。ここには、吸血鬼族の宝がおさめられている」


 次にヴァージルがヴィクトリアを案内したのは、城の宝物庫だった。

 図書室も蔵書の管理のためか少し暗くはあったものの、宝物庫のほうが何故か一層暗く、重々しい空気まで漂っていた。

 ヴァージルは宝物を前に、真顔で丁寧にヴィクトリアに説明した。


「これは人を入れて血を絞るために使ったとされる中が空洞の女性の像、これは中に人を入れて火にかけたという雄牛、これは――……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 ヴィクトリアは慌ててヴァージルの言葉を遮った。


「これが宝物!?」


「ああ。一応、この城での宝物扱いになっているものだ」


 ヴァージルは冷静にこたえた。ヴィクトリアは頭痛がした。


(どう考えても悪趣味が過ぎる……。吸血鬼族は、一体何を考えているの?)


「どうした? 下を向いて。君がこの城を案内してほしいといったんだろう?」

「確かに、そうは言いましたけど……」


 その言い方は少し意地悪だ、とヴィクトリアは思った。

 これではまるで、城の怖さがわかったなら、自分が居ないときに出歩くなと釘を差されたようなものではないか。


「――恐ろしいか?」


「えっ?」


「こんなものを宝物だと言う、吸血鬼族が恐ろしいかと聞いたんだ」


 『ヴィンセント』の記憶のあるヴィクトリアからすれば、目の前の拷問器具は特段恐れるほどのものではない。 

 動く食人化イーズベリーに比べたら、動かないだけまだ可愛げがあるというものだ。

 

「……ヴァージルさんは、これ、私にも使います……?」


 沈黙の後ヴィクトリアが尋ねると、ヴァージルはすぐに首を横に振った。


「いや、それはない。『花嫁』に対して使うはずがない。それに、私は血は好まない」


「『血を好まない』?」


 ヴィクトリアは思わず言葉を繰り返していた。

 そんな吸血鬼、この世界にいるのだろうか?


「ああ。吸血鬼族はかつて多くの他種族を虐げたが、それは強者の振る舞いではなく蛮族の行為と変わらないと私は考えている。己を律することができず、ひたすら血を求めるのは、それはもう、ただの獣か化け物と同じだ」


「ヴァージルさん……」


 ヴィクトリアはつい、ヴァージルの言葉に感激してしまった。何故ならヴァージルの言葉は、ヴィクトリアが願う魔族の姿そのものだったからだ。


 強い力を持とうとも、力に溺れず、己を律して生きる。

 暴力上等、下剋上上等のセレネで、ヴァージルと同じことを言える力を持つ魔族が、どれだけ存在しているだろうか。


(やっぱりこんな人が、人間を襲うためにデュアルソレイユに行っていたなんて、あんな事件を起こすなんて考えられない。……でも、そしたら余計にわからない。なんでヴァージルさんは、あの日、あの場所に居たんだろう?)


 デュアルソレイユで事件が起き始めたのは、ヴィクトリアを魔王にすると、カーライルが手紙を出してから。

 だとするとそこに、彼が禁を犯した理由はあるのかもしれない。


「ヴァージルさん。貴方はこの世界の、魔王になりたいとお考えですか?」


 ヴィクトリアの問いに、ヴァージルは目を瞬かせた。


「? ……君は、ルゥから何か聞いたのか?」


「はい。ヴァージルさんが次期魔王候補で、貴方を魔王にするために、本当はルイーズさんを花嫁にする予定だったと」


「そうか」


「ヴァージルさんはルイーズさんのこと、ずっと、どう思っていたんですか?」


 ヴィクトリアのその問いに、ヴァージルは珍しく返事に時間をかけた。


「……彼女では、駄目なんだ。それに、誰が魔王になろうと、今のセレネでは衝突は避けられない」


「『衝突』?」


「これまでのセレネは、誰もがグレイスの血を引くものが王になると考えて疑わなかった。勿論昔から反抗し、反逆を試みる者もいたが、魔王の血筋を尊ぶ輩も多かった。だがその存在が失われた今、誰が魔王になるか――五〇〇年の空位を埋めることのできる存在を決めるのは、容易なことではない。まあ正確に言えば、それに相応しいはずの男が、王になろうとしなかったせいでの混乱ともいえるが」


 ヴァージルのいう男は、間違いなくカーライルのことだろう。ヴィクトリアは黙って、ヴァージルの話に耳を傾けた。


「だがその男が、最近一人の魔族を魔王に据えると言い出した。種族、年齢、性別、名前一切不明。だが『古龍』を倒したというから、その実力は本物だろう」


 ヴィクトリアが古龍に手をかけたのは大切な人を守るためであって、実力を示すためではなかった。

 だが確かに、『魔王候補』の実力を示すために、これほど相応しい話はないだろう。


「私が魔王に名乗りを上げようと上げまいと、初代様の血を引かない者が魔王となるというなら、他種族から我こそはと名乗りを上げるものも出てくることは容易に想像できる。そうなれば、『衝突』は避けられない」


「その『魔王候補』に、戦う意志がなくても?」


「本人の意思は関係ない。戦う理由は、戦いを挑む側にあるのだから。そうなればセレネにまた、混乱の世が来るかもしれない。もしその魔王候補に、事態をおさめるだけの力がなければ」


「……」


「セレネにおいて魔王は、強者でなくてはならないのだ。誰よりも強い者が、王でなくてはならない。そうでなければ、より多くの血が流れる。……だから私は、そのためなら――……」


 その続きを、ヴァージルは言わなかった。


 ただヴィクトリアには、なんとなく彼が言いたいことはわかってしまった。

 ヴァージルはセレネに血が流れることを望んでいない。彼自身に、魔王になりたいという意志はない。ただ争いを止めるためなら、彼は自分が魔王になるということも、選択の一つにするのだろう。

 ――でも。


「私は、争いは嫌いです。私を育ててくれた人の中には、戦争で亡くなってしまった人もいます。私は血が嫌いです。傷つけ合うことが嫌いです。私はもう二度と、誰も失いたくはない。……それに」


 『ヴィクトリア』としての人生の中で見たこと。

 それは支配する側ではなく、支配される側にとっての戦いだった。


「最初に傷つくのは貴方ではなく、きっと、他の弱い誰かなんです。そして争いの末、強者が頂点に君臨できたとしても、その周りにいる者たちは、常にその命を狙われることになる」


 『白色コウモリ』であるルゥは、ヴァージルが魔王になった時、彼の弱点になることは目に見えている。

 そうなれば、ヴァージルに敵意を持つものによって、ルゥどんな目に合うかわからない。

 そしてルゥの身に危険が及べば、ヴァージルの心がどうなるかはヴィクトリアには少し予測できてしまった。

 『ディー・クロウ』を失ったときの心の痛みを、今でもヴィクトリアは覚えていた。


(多分魔王には、魔王の大切な人を守れるだけの力を持つ者たちが――魔王には及ばずとも、それに匹敵するだけの力を持つ側近が必要なんだ)


 その条件を、今のヴァージルは満たしていない。

 『先祖返り』が一人だけの吸血鬼族は、カーライルたちを味方に持ち、なおかつ『ヴィンセント・グレイス』の力を使えるヴィクトリアに勝ち目はないのだ。


(ルゥくんのこともある。私だって、ヴァージルさんと争いたくはない)


 ヴィクトリアは黙って、ぎゅっと拳を握りしめた。

 そんな彼女の様子を見て、ヴァージルは静かに目を伏せてると、再び優しく微笑んで、彼女にてを差し出した。


「最後にもう一箇所だけ、君に見せたい場所がある」

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