25

 翌日、午前10時頃。


 朝型の忍には昼飯時だ。たまにはカフェで食べよう、とメモデバイス『キメラ』を片手に玄関のドアを開ける――ざああと強めの雨音が飛び込んできたので、いったん閉めて。

 小さなリュックにキメラを入れてザックカバーを装着しつつ、自身もレインウェアを着込む。


 外に出て、電子ロックの完全性にもかかわらず自分の手でも確認した後、出発。


 雨天時にのみ行うルーティンというものがあり、早速それがやってくる。


「……」


 自宅の前は調整池になっている。

 普段は視界の端に入れる程度だが、忍の視線は向かって右側に寄った。


 片側擁壁ようへきの細長い通路が密かに通っている。

 一本奥の生活道路沿いに繋がっているが、自転車を押して通ることすらできないし、向こうに知り合いでもいなければ行き来する理由もない。使われることがほぼない道だ。

 加えて忍側には進路を塞ぐようにダミーのクロスバイクが置いてある。チェーンもフェンスを巻き込んでロック――いわゆる地球ロックをしており、普通に無断駐輪であるが確信犯だ。子供の探検や犬の散歩などで自宅前を通られるのが鬱陶しいため塞いでいる。

 ちなみに調整池の定期点検時期も把握しており、その時だけは撤去する。


 クロスバイクそのものの劣化はどうでもいい。

 それでも忍があえて目を向けるのは一種のチェックであり――


(誰かまたいだな)


 バイクのずれ方から、誰かがその上を乗って強引に通ったのだとわかる。それも向こう側からこっち側に来ている。


 ばしゃばしゃと見かけ上はいつもの早歩きだが、忍の脳内ではアラートが鳴っていた。

 昨日の美優とは比較にならない。


 ここ二年以上、この自転車障壁が突破されたことは一度もなかった。

 この辺りはニュータウンでも端の方だし、生活道路の構造や住民の動線から考えても、あえて向こう側からこちらを突破する理由がない。

 ありえるとすれば、新参者に他ならない。それもこちら側の道路に――より大胆に言えば、忍に用がある何者かの行動ではないか。


 いくつかの人物が思い浮かんだが、これだけで決まるものでもない。


 いったん意識の外に出そうとしたところで、忍は前方に通行人を捉える。


(誰だ……?)


 通常、この距離だと相手は自分を認識できないが、相手は明らかに忍を意識している。

 視力も良く、遠めの人体の機微も読み取れる忍だからこそ気付けたことだ。早速あえて立ち止まって様子見をする。


 相手は数秒を待たずに、こちらに向かってきた。

 傘で顔が見えずとも、歩き方と体格を見れば明らかで――


 それは先週初めて見たはずの動き。

 引きこもりがちな仕事と趣味の割にはアウトドア派を名乗れる程度には慣れていて。

 何より重心の運びが、胸に重りをぶら下げた人間特有のもので。


 だんだん雨音に足音が混ざる。

 相手が傘を後ろに傾けるが、忍は悪あがきとばかりにレインウェアのフードを深く被り、視線も落とす。

 雨粒弾ける地面だけの景色に、間もなくブーツのような長靴が加わる。


 そのつま先は忍の目と鼻の先まで近づいた。

 頭部を打つ降水量もごっそりと減り、微風が人体に遮られて微かなぬくもりさえ感じる。


 このままフリーズしているわけにもいかないので、忍は観念して顔を上げた。

 もちろん相手にかかってしまわないよう、ゆっくりと。


「――未瑠奈。なぜだ?」


 陰キャップは被っていないが、相変わらず姫カットで片目は隠れている。そばかすが先週会った時より少し減っているのは、手術で消しているからだろうか。担当医の腕は本物だろう。忍の目にも違和感がない。

 コーディネイトは地味でボーイッシュ、かつ動きやすさも重視しているらしい。ゲーセンや繁華街ではないからか、胸を潰す処理は甘いようで、Tシャツのキャラクターが歪んでいる。


「住所を突き止めた」

「突き止めた理由は?」

「忍の近くで暮らすため」

「一切悪びれてなくて草」


 往来にもかかわらず、はははと忍は陽気に笑ってしまった。


「私は本気。先週のデートで忍の根源を見た」

「根源とは?」

「言語化が面倒くさい」

「もうちょっと頑張らないか」

「私の人生はもう成功してるけど、もっと先を見たい。忍にももっと勝ちたい――そのヒントが忍にはある。それを確かめたい」

「なるほどな」


 忍は進行方向を指しつつ、歩き始めることで困惑を隠す。


(コウニズムのあの連打のせいか)


 忍は自らの鈍さを自覚した。


 自分の当たり前は他者には通じない。

 それは何も思考回路に限った話ではなかった。

 思えばマイクラもそうではないか。自分にとっては何でもないことなのに、他の誰もが追従できやしない。


 マイクラならまだ良かった。ゲームに閉じた話であるからどうとでも誤魔化せるし、追及もされにくい。

 だが現実リアルの話は違う。



 ――気をつけなよ兄貴。歴史に名が残る偉人になんてなりたくないだろ?


 ――そうだな。欲を言えばお前のブラコンもなくしたいんだが。



 未瑠奈と並んで歩く。

 傘があるからフードは脱げとのジェスチャーをもらったが、忍は他人の差し加減を信用していない。フードは継続だ。


「繋がったわ。向かいのアパートを丸ごと買ったのか」


 クロスバイクを乗り越えたのも未瑠奈だ。

 ティーラーズのスクラボでも地球ロックの話や自転車の駐め方の話は書いている。忍の家を知っている状態なら、あのバイクを見れば忍のだと悟れるだろう。


「うん。来月には全部空く」

「かなり使ったろ」


 金の話であるが、「億も行ってない」「意外と安いな」金額の割には何でもないことのように言う二人。もちろん雨音や周囲も鑑みてのことである。


「……未瑠奈だけじゃないよな?」

「そうか」


 カフェでキメラを相手にのんびり引っ越し検討するつもりだったが、忍はもう意識を切り替えている。


 めだ。


 これで逃げたら三人に悪すぎるのが一つ。

 そしてもう一つは――


(面白え)


 マイクラのみならず、現実でも戦うことになるのだろう。

 美優や美咲といったモブとは違う。三人の手強さは誰よりも知っている。痛感している。


 だからこそ、持て余す忍には魅力的に思えて。


「カフェで飯食うんだけど、どうする?」

「食べる」


 燃えたぎる内心を完璧に隠しながら、忍はライフステージの更新を受け入れた。


 <第二部 終>

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万年平社員の俺、実は登録者数3000万人のマイクラ配信者です えすた @stasta

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