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「ふぅ……」


 裏山から帰宅した忍。

 玄関に置かれたデジタル時計は5/10、TUE、09:31を示している。

 平日であり、本業の仕事時間のはずだが、忍はガッツリトレーニングウェアだ。そのまま浴室へと向かい、しっかりシャワーを浴びてから着替え、キッチンにて水回りの家事をこなしつつ、味噌汁ご飯入り水筒で食事も済ませる。


 開始十分前に仕事部屋に戻り、大田ワールドで仕事していた美咲と合流してログアウト。その後すぐにメールにて共有されていたURLから別のワールドにログインする。

 今日は忍らが勝ち取ったレース案件のキックオフ、マクロソフトとの顔合わせを行う日だ。


 ワールドは最初から館内であった。

 外資系オフィスをそのままマイクラで再現したかのような雰囲気である。さすが開発元だけあって装飾に妥協は無く、忠実に再現する際に選ばれるであろうブロックが的確に使われている。


「すごっ!?」


 美咲は早速声を上げ、おのぼりさん丸出しであちこちを走り回っている。近接するアバターとボイチャできる『ネイバーボイチャ』も有効なようで、そばにいた社員らしき女性達からくすくすと笑い声が聞こえてきた。


「マルチテナントなのか。あの辺だな」


 フロアは全域がオープンスペースであり、レース案件用と思しきエリアにはダッシュのポーズをかたどった象があった。

 どうも関係者だけのワールドではなく、共用のワールドの一画を使うスタイルらしい。グループごとにワールドをつくるJSCとは風土が違う。


「想像どおり、だいぶオープンだな」

「え? 想像なんてしてるんですか?」


 説明もだるいため、忍は「俺達が最後じゃんかよ」早口で言いつつパンチとダッシュも混ぜることで美咲をプッシュ。「わわっ、ホントですね!?」お手本のようなリアクションだった。


 エリアに集まった集団は四グループ。

 そのうちの一つ、JSC社員らが集まる所に行って、


「遅くなってすみません!」

「まだ三分前だぞ、落ち着け」


 美咲の落ち着きの無さは知っているのだろう、同期と思しきメンツを中心にあははと盛り上がる。

 同社からはレース大会上位の三チームが来ている。二位チームは忍と美咲、一位チームは二名に三位チームは三名、つまりJSCは計七名。


「十五人か」


 忍が独り言ちる。ノブの観察眼を発揮して一瞬で把握したわけだが、美咲は久しぶりの同期ときゃっきゃしている。聞かれることはなかった。


 そのまま一人で待つことしばし――。


 午前十時を迎えて、


「全員揃いましたかね。本日はお集まりいただきましてありがとうございます」


 美咲がジャンプダッシュしながら戻ってくる。

 テーブルや椅子は迂回しており、JSCの社外向けクラバーマナーガイドラインはちゃんと守っているようだ。


「マクロソフトジャパンの星野と申します。本日進行を務めます」


 序盤のスケジュールは既に共有されている。

 まずは説明からだ。


 スクリーンに投影された資料は『レギュレーションクリエイトのご紹介』と第されており、概要説明から始まっている。


 マクロソフトが開発および販売するゲーム『マイニングアンドクラフティング』。通称マイクラ。

 これをベースとしたオンラインゲームが『マイクラオンライン』、通称クラオだ。


 クラオには多種多様なゲームルールがあり、レギュレーションと呼ばれる。大部分は初期ワールドから開始され、原始的なサバイバルをしながらレギュレーション上の勝ちを目指すことになる。

 ティーラーズが掲げる『原始的なプリミティブマイクラ』にも通じるところがあった。というより、マクロソフトにクラオの概念を売り込んだ発起人がティーラーズ社長なのだが、この事は忍しか知らない。マクロソフト側でもごく一部しか知られていない機密事項らしい。「ライセンス料でしこたま稼いでるからなぁ」とか「単に目立ちたくねえだけだ」とは社長の弁。


 概要の次は状況に入った。

 クラオは現時点で十分すぎるほど成功しているが、さすが天下の外資大手なだけあってあぐらはかかない。盛り上げ続けるためには新規レギュレーションの拡充が必要であり、ペースを上げたいという。

 とりわけ移動競争レースのジャンルが未開拓であり、それをこれから新規開拓していくのがこのメンツ、このプロジェクトであった。


「スケジュール感は次のとおりです」


 パワポだかエクセルだかで丁寧につくられたガントチャートが表示されている。

 案の検討に一ヶ月、試作とテストと再検討に一ヶ月で、その後リリースに向けてのフェーズが二週間――八月に最初のレギュレーションを公開する、となっている。


「忍さん、何をして――」


 スクリーンに視線を向けない忍に気付いた美咲が個別ボイチャで話しかけてくるが、忍は無視。

 星野以外全員がミュートしている中、唯一解除して、エリアボイチャ――この領域内に居るアバター全員に音声を届けられるモードにて、


「すいません、質問よろしいですか」


 腕振りジャンプとともに、進行の星野に堂々と割り込む。「八月というデッドラインはとりあえず決めたものですか? それとも政治的予算的な事情で固定されたものですか? 重要なことです」間髪入れずとはこのことだろう。


「……前者です。明確な期限はなく、予算も十分ありますが、ダレてもいけないため定めさせていただきました。クラオの次回メジャーアップデートが八月なので、そこまでに間に合わせる形が理想という期待もあります」

「わかりました。ありがとうございます」


 忍は悪びれもなくミュートを設定し、動かなくなった。


「私達のスコープはセカンドフェーズまでとなります――」


 星野は何事も無かったかのように続けており、質問の流れに追従する者もいない。むしろ電車内で変質者に出くわしたかのような、変な緊張感がわずかに見られた。


「……何を気にされてます?」

「セカンドってことはデバッグもやらされそうだなぁ」

「忍さん」

「ああ、悪いけど後で説明する。今はこっちに割きたい」

「だからこっちって何なんですかー」


 意識か無意識か男をホイホイしそうな猫なで声だが、アバターは一ミリも動かしていない。やはり美咲は配信者に向いているのではないか、と忍は呑気に考えつつも、これ以上は無視した。


 そんな忍の画面では、スクラボが開かれている。『堀山忍と宮崎美咲のプロジェクト』ではないし、マクロソフト側が用意したものでもない。ついでにいえばパブリック設定であり、URLさえわかれば誰でも見れてしまう状態だ。

 ページをつくり、リンクを辿っては書き込んでいく。

 両の手指はキーボード上でめまぐるしく動いている――


 そうしている間も進行は進み、概要説明が終了する。


 続いては本日のメイン、自己紹介。

 計四組織ほど存在し、まずは主管たるマクロソフト側から。星野含めて計三名。


 続いてJSC。上位順位から一人ずつ喋っていく。

 美咲は声を弾ませ、スニークしながらクネクネし、とだいぶ賑やかだったが、忍は本名を名乗って「よろしくお願いします」の一言だけだった。最短ランキングならぶっちぎりの一位だ。


 忍らの後は株式会社スタティックメソッド。

 近年台頭してきたクラウドSIer――システムインテグレーターであり、技術力の高さとキャッチアップの速さをウリにしている。順調に成長しており従業員は千人に迫る勢いだ。それでも規模的にはJSCの一割にも満たないが、この規模でマクロソフト案件に携われている手腕は見事と言える。

 当然ながら働き方の柔軟性や人材のレベルも日本の伝統的大企業よりは優れていると見られ、「転職してえ」忍はつい本音を漏らした。美咲は苦笑していた。

 人数は三名。


 そして最後のグループが、


「ネコゾーと申します。普段はデイリー組というYouTubeチャンネルでマイクラ配信をしていて――」


 アバターが別物であるがゆえに誰も気づいてなかったのだろう、その一言で周囲の熱が明らかに変わった。

 変わったと言えば、隣も。


「忍さん忍さん! デイリー組! 本物っ!? え、なんで?」

「キモイオタクはやめろよ、仕事仲間だぞ」

「そうですけど、え、なんで、え……?」


 国内のマイクラ配信者グループを挙げよ、と言われたら高確率で挙がるだろう。


 デイリー組。

 歴十年以上の四人組グループであり、ニコニコ動画時代から数々の企画で人気を博してきた大御所でもある。リア友のようなカジュアルなノリと、他のグループには真似できない秀逸な企画アイデア、そして何よりキッズでも安心して見られる健全性もあって、マイクラ配信者としては数えるほどしかいない登録者数二百万人超えを誇っている。


「デイリー組って案件取るんだ?」

「一応言っておくが機密情報だからな。恋人や家族にも口を滑らせるなよ」

「わかってますよ! あと彼女はいないのでウェルカムです」

「どさくさに紛れるな」

「えへっ。――あー、でもすごいなー本当に。ナマネコゾーですよ? 目の前で動いてますよ? こんなことってあります?」

「……」


 忍はキーボードとマウスを行き来しながら、異様にはしゃぐ美咲の音を聴いていた。


 デイリー組のスタンスはティーラーズも参考にしている。

 即興コントで勝負する点やアイドル売りドル売りをしない点、企画に必要なリソースパックやデータパック素材MODやプラグインプログラムを自製する姿勢や、キャラクター設定および分担のバランス――


 アイドルならまだしも、そんなに興奮する要素があるだろうか。

 だとしたら。


 ティーラーズの視聴者もそうなのだろうか。


 個人チャンネルでも熱心なラキや麗子はともかく、アバターすらないノブや公式収録以外一切活動しないナナストロにも、このようなファンがいるのだろうか――


 興味深くはあったが、興味があるわけではない。

 思考は早々に打ち切られ、忍は作業を再開する。

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