陰陽師、想いに触れる
さっきまで背後から凶器をあてられていたとは思えないほど、もうこの場に緊張感はなくなっていた。
こちらが警戒するのがバカらしくなるレベルで、渚はリラックスしている。というより、もう路上でくつろいでいる。
人払いは済んでるとはいえ、この状況での傍若無人な振る舞いにはイラッとする。
「……とりあえず、術式の件はいい。それで、お前の目的はなんだ? なんのために、座敷童子に近づいた?」
「なんでだろーね」
「そこまでして、何をしようとした? 何かを探ってるのか?」
「どーだろーね」
「……ふざけてんのか?」
「ふざけてまーす」
俺をおちょくるように変顔をかましながら手をヒラヒラとさせている渚に我慢ならず、思いっきり蹴りをかます。
だが、そんな俺の攻撃が渚にヒットする訳がない。渚はヒラリと飛び上がるように後ろに一回転しながら、華麗に交わす。そのまま綺麗に着地を決めると同時に、さぞ面倒臭そうにため息をついた。
「はあー、今日の翔ちゃん怒ってばっかでつまんない。もう帰ろーかな」
「怒らせてんのは、お前だろうが」
「そもそも、君はもう完全敗北しているのよ。その状況で術式のこと教えてあげただけでも、感謝するべきじゃないのー?」
私の優しさをわかっていないと言わんばかりに、俺が悪いような空気感を出してくる。
少しひいてしまいそうになるが、騙されてはいけない。そもそも、問題起こしてるのはお前だろう。
「まあ、私そろそろ帰らなきゃいけないのは事実なんだよね。ここらでお開きにしようか」
「勝手に終わらせんなよ。話はまだ、終わってねえ」
「しつこいなあ。そこまで言うなら、一つ教えてあげよう。これは、出血大サービスの大ヒントだからよく聞いときなー?」
どうせ、くだらないことでも言うのだろうとタカをくくっていた。この流れで、重要な情報を出してくるはずがない。
ヘラヘラして、適当に流して、うやむやにする。渚の常套戦術だ。
ただ、今回は少し様子が違う。
時間を使い、丁寧に息を吸い込み、渚が大事に作り出した空気は、誠実さを物語っている。
そして、絞り出すように大切に放った渚の言葉は、紛れもなく本物だったのだろう。
「私はね、翔也のことが一番大事なんだよ」
その声は、凛と澄んでいた。いつものふざけた声色とはかけ離れていて、これだけは信じて欲しいと言っているようで、何も返せず間が空いてしまう。
そんな俺に対して、渚は慈悲深く笑う。
その顔を見て、久しぶりに渚を見た気がした。昔、俺の手をひいて歩いていた渚はこんな風に笑っていた。泣きじゃくる俺に、大丈夫と微笑んでくれた渚の顔は誰より優しかった。
あの頃の記憶が少し頭によぎる。
いつからだろう。
姉の笑顔が、偽物に変わってしまったのは。
「じゃあね、翔ちゃん。あ、追いかけてきても無駄だよ。今度は本気で逃げるからねー」
「……次見かけたら、捕まえて全部吐かせるからな」
「ははっ、追いかけっこで、私に勝ったことなんてないじゃん。……まあ、期待してるよ?」
次の瞬間、スッと煙のように渚はその場から消えた。それと同時に、人払いの術が解ける。
壊れていた時計が進み出したかのように、空気が動き出す。民家の人の気配、車が走る音。日常が急に戻ってきたようで、安心感と共に疲れがどっと押し寄せてきた。
大きく一つ呼吸をし、息を整える。
思考が落ち着くと共に、気になっていたある存在に対して俺は呼びかけた。
「……かぐや。いるか?」
かぐやは、ボンっと煙をたてつつ実体化し俺の目の前に現れる。いつも通り、ふわふわと浮遊しながら軽く頭を下げた。
「どうされました? 翔也様」
「どうされたって……なんで、出てこなかったんだよ。普通に緊急事態だったろうが」
「呼ばれませんでしたので」
「……最近、なんか薄情じゃない?」
かぐやは、頭をあげる。その表情は、ひょうひょうとしており、全く悪びれた様子はない。
むしろ、私悪くないですけど?何か問題でも?と言っているかのようだ。
俺の戸惑いを感じとったのか、仕方なさそうにかぐやは補足する。
「勿論、緊急事態であれば呼ばれてなかろうが参上致します。でも、今回の場合は必要性がありませんでした」
「いや、普通に背後とられて殺されそうになってたぞ?」
「……翔也様、正気ですか? 渚様が、翔也様を手にかけるはずがないでしょう?」
かぐやの呆れ顔が、俺に向けられる日がくるとは思っていなかった。この時点でかなりショックなのだが、追い討ちをかけるが如く、首を横にふりながらため息をついている。
忠誠心の塊のような存在に、このような反応をされるとだいぶ心にくるものがある。
「今回に関しては、むしろ私は出ない方が良いと判断しました。あと、翔也様は渚様のことをもっと理解した方がよいです」
「ここぞとばかりに説教してくるな……」
「渚様に甘えてばかりじゃ、ダメだということですよ」
なんとなく、かぐやの言いたいことはわかった。俺が渚に傷つけられたことは、いくら記憶を辿ろうとないのだ。
むしろ、俺はずっと守られ続けてきた。
ハルを助けに行った時、渚は俺を止めた。
それは敵としてではなく、俺のことを土御門から守るための行動だ。座敷童子を襲撃した時も、本質的には俺を守るためのものだ。
そして、脅されはするものの一度たりとも身体に傷をつけられたことはない。
渚の言葉が頭をよぎる。
"翔也のことが、一番大事なんだよ"
ずっと、守られ続けてきたのに俺は自分の気持ちだけを優先し、渚の想いをないがしろにしていたのかもしれない。
結局、俺はいつだって渚に甘えていたのだ。
そして、俺が渚を守ろうとしたことはあったのだろうか。
渚は最強だ。
渚は奔放だ。
渚が傷つくことなんかない。
俺が勝手に決めつけて、大丈夫だと放置していた。でも、本当は……
「……肝に銘じておくよ」
そんな俺を見てかぐやは、安心したように微笑んだ。そのまま踵を返し、ふわふわと我が家へ向かい浮遊していく。
ゆっくりと飛ぶかぐやの後ろにつき、渚と過ごした幼少期の記憶を掘り出しながら帰路を辿った。
ーーーーーーー
「まあ、翔ちゃんにはまだとても言えないなあ……妖狐が生きてるなんて」
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