19R あの日のこと(ブーケ視点)

 今日は自治会の日じゃないけど、殿下と2人で街に出て買い物をすることになってる。

 なんか、話を聞いてると、なんでわざわざ、それも殿下が買い物になんか行かなきゃいけないんだろって思うんだよね。

 たしか、今日って、ドヴォーグのお嬢様とお茶する日じゃなかったっけ?

 なんだかんだで、もう街まで来ちゃったけどさ。

 あたしが1年半前まで暮らしてた街。

 まさか馬車で乗り付けるような立場になるなんて、思ってもみなかったよ。


 「殿下、買い物くらい、あたし1人でもできますよ? 今日は大事な日なんじゃないですか?」


 「大事?」


 「婚約者のお嬢様とお茶する日じゃないんですか? あたしが邪魔したみたいになってません?」


 「そういうことを気にするところを見ると、やっぱり周りから色々言われているんだね」


 「あ……」


 しまった。そういうの心配してくれてたのかぁ。


 「あたしの場合、立場が立場ですから。仕方ないです。

  それでも、ドヴォーグのお嬢様のお陰で、大分減ってるんですよ」


 「アメリケーヌのお陰?」


 「あの人、なんていうかタイミングが良くって、ちょうど誰かが文句言ってこようとしてる時に来て、あたしに話しかけるんです。お嬢様がいると、周りは引っ込んじゃうから」


 「そんなにタイミングがいいのかい?」


 「そりゃあもう。

  や、単に休み時間に来るってだけなんですけどね、なぜかタイミングがいいんですよ。

  毎日来るってわけじゃないのに、なんででしょうね」


 「アメリケーヌは、そんなに君のところに行って、何を話すのかな」


 「大したことじゃないです。

  あたしの歩き方が下品だとか、言葉遣いが汚いとか。あ、殿下に対する態度が臣下として相応しくない、なんてことも言われました。すみません、態度がなってなくて」


 「いや、自治会では、そんなに丁寧である必要はないよ。さすがに、公の場では求められるものがあるけれど。

  アメリケーヌみたいに、常に完璧である必要はないさ」


 「あの人、本当に完璧ですよねぇ。

  この1年半、満点以外取ってないとか、頭の中どうなってんだろ」


 「彼女なりに努力しているんだよ。

  王子の妃になることを求められるというのは、かなりの重圧だと思うよ」


 「公爵家に生まれると、そういうものなんですかねぇ。

  あたしなんか、ずぅっと、この辺で育ってきましたから、貴族だとか言われても実感ないんですよね。

  男爵家のお嬢様だなんて、冗談じゃないですよ。ずっと、ここで生きていくんだって思ってましたから」


 まだ2年も経たないのに、あたしの住む世界は、まるで変わってしまった。

 自分で買い物とか料理とか、今じゃ全然やってない。


 「この街に住んでいたかった?」


 「そりゃ、思いますけど。……でも、お母さんはもういないから」


 「病気で亡くなったとか」


 そんなことまで噂になってるんだ。


 「はい、あたしが10歳くらいの頃から、時々具合が悪くなるようになって。

  あたしを育てるのに、働きづめだったから」


 「どんな仕事を?」


 「お針子です。小さなあたしを預けるような知り合いとかもいなかったから、家でできる仕事をって。

  納期がきついと、寝る間も惜しんでやってました」


 「そうか」


 殿下は、微妙な顔をしながら聞いてる。あたしの子供の頃のことなんて、聞いても面白いことなんかないのに。






 無事買い物も終わって帰ることになった。

 これ、あたしいらなくない? 王子様を1人で買い物に行かせるわけにはいかないんだろうけど、なんか王子様のくせに買い物手慣れてるし。


 「殿下、自分で買い物したことあるんですか?」


 訊いてみると、


 「この辺には何度か来たよ。社会見学ということでね」


 「王子様が1人でですか!?」


 「いや、アメリケーヌと2人で」


 「お嬢様も!? 危なくないんですか?」


 「この街は、危ないことなんてないだろう」


 「そりゃそうですけど、でも、ひったくりとかはいますよ」


 そう言ったら、


 「ああ、ひったくりね。うん、出たね」


なんて、遠い目をした。やっぱりやられたことあるんだ。


 「何られたんですか?」


 「いや、私は何も。捕まえたことがあるんだ」


 捕まえた!? ひったくりを!?


 「殿下がですか!?」


 「うん、結構追いかけた。

  大変だったよ。途中で女の子にぶつかったり」


 え?


 「あの…それっていつ頃…?」


 「10歳の時だね」


 まじまじと殿下を見た。

 うん、顔とか覚えてないけど、同年代の赤毛の男の子だった。

 嘘ぉ…


 「それ、あたしです、たぶん…。

  あれ? それじゃ、もしかしてお嬢様もその時いたり?」


 入れ替わってた買い物袋の持ち主って…


 「ああ、アメリケーヌが袋をすり替えたよね。

  女の子が突然文句を引っ込めていなくなったから驚いたけれど、アメリケーヌがフォローしてくれていたんだ。

  そうか、君だったのか。卵が無事で、さぞかし驚いただろうね」


 「お母さんが具合が悪くなったから、卵を食べさせてあげようって。最後の1個だったのに割れちゃって。ひったくりを追っかけてたのはわかってたけど、なにもあたしにぶつからなくてもいいじゃないって。ごめんなさい、あたし…」


 「いや、気持ちはわかるよ。

  私も捕まえるのに夢中で、周りが見えていなかった。

  そういう事情だったなら、アメリケーヌが気を利かせてくれてよかったよ」


 気を利かせて? そういえば、さっき「すり替えた」って…。


 「袋、間違えたわけじゃなかったんですか!?」


 「アメリケーヌの袋は新品で、君のは使い込まれてた。

  私が触ってすぐ気付いた違いだ、アメリケーヌが間違うとは思えない。素早く中身を見比べて、同じものを買っていたから袋ごと取り替えたんだろうね」


 「あたし、ぷんすかしてて、全然気が付かなくて…」


 「あの状況では仕方なかったと思うよ。アメリケーヌのことだから、ごく自然にすり替えただろうしね」


 「なんで……」


 「そういうだから、かな。

  入学式の日もそうやって助けてもらったんじゃないか?」


 「はい……えっ!?」


 「どうせ口止めでもされていたんだろう?

  君は怪我していなかったのに血がついていて、アメリケーヌが怪我をしていた。何があったかは想像がつくよ」


 「枝が襟に引っかかったのを外してくれたんです。

  あの人、どうしてあんなに親切なんですか?」


 「君は、アメリケーヌに色々と小言を言われているんだろう? 親切だと思うのかい?」


 え、小言? あ、うん、確かに。


 「こんなこと言うと変だと思われるかもしれないけど、お嬢様は優しい気がするんです。

  あたしに文句言ってくる人はいっぱいいるけど、お嬢様だけなんです、お母さんのことを悪く言わないのは」


 お母さんのことを淫売だの売女だの、挙げ句はあたしが男爵様おとうさまじゃなく別の男の子供だとか陰口叩かれてるけど、お嬢様はあたし自身のことしか言わない。


 「母君は、どんな人だったの?」


 「優しくて、強い人でした。

  あたしを育てるために一所懸命働いて、体を壊したんです。あたしも手伝ってお針子したんですけど、お母さんみたいにはできなくて。

  それで、お母さん、死ぬ前に、自分が死んだら手紙を持って男爵様のところに行けって。それで行ったら、あたしは男爵様の娘だって言われたんです」


 「君は、そのことをそれまで知らなかったの?」


 「全然。そんな話、出たこともなかったから。

  お母さん、信念に従って生きたから何も恥じることはないって。あたしは自分ではまだ何もしてないから、自分に誇れるよう生きろって」


 「そうか。いい母君だったんだね」


 殿下も、お母さんがいい人って言ってくれた!


 「はい! お母さんは淫売なんかじゃありません! きっと男爵様…てnお父様のことを心から愛してたんです!

  そりゃ、奥様がいらっしゃる方の子供を生むなんてよくないことなのはわかりますけど……絶対、財産狙いなんかじゃありません! だって、あたし、自分のお父さんが誰かなんて、聞かせてもらったことありませんもん。

  お母さんは、死ぬ時になってやっと、男爵様のところに行けって言ったんです。

  あたしを1人残すのが心配だからって。

  ホントは、あたし、お母さんの仕事を受け継いでお針子したって食べていけたと思うんです。でも。お母さんの最期の言葉だから従ったんです。

  貴族になんか、なりたかったわけじゃないんです……」


 「そうすれば、陰口叩かれなかったし?」


 「あたし、周りに同じくらいの年の子がいなかったから、元々友達なんかいなかったんだけど、学園で同じ年の人に囲まれてても、友達なんかできませんでした。

  バカにしないのも、親切にしてくれるのも、自治会の人とお嬢様だけなんです」


 「もし、元の生活に戻れるなら、戻りたいかい?」


 殿下があたしの顔を覗き込むように見てきた。

 元の生活…。戻れるなら戻りたい。でも。

 あたしは首を横に振った。


 「もう、戻れません。

  お母さんは、自分に誇れる生き方をしろって言いました。

  ここで逃げたら、あたしはきっと後悔するから」


 「そう」


 殿下が、笑ったような気がした。

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