7 悪役令嬢は、馬に乗る

 笑顔の仮面を貼り付けたヴィヨン様とのお茶会も回を重ね、1年も経つと外見的にはかなり打ち解けてきました。

 仮面夫婦という言葉がありますが、仮面婚約者なんて言葉はあるのでしょうか。もしあるのなら、わたくし達こそそれを体現した存在でしょう。

 国のため、立場をお考えになって私を大事にするヴィヨン様、いずれ排除されることを前提にお傍に侍る私。愛し合える夫婦になろうとは、お互い考えてもいないのですから。

 それでも、私にとって、ヴィヨン様のお傍にいられることは喜びなのです。たとえ僅かな間でも。




 今日は、お城の馬場で、2人で馬に乗ることになっています。

 ヴィヨン様は、馬術の練習をしておられ、かなり上達なさったとのことで、私にご披露くださるようです。もっとも、発案はヴィヨン様ではないようですが。

 たしか、ヴィヨン様が10歳になると、ご自分の馬を陛下からいただくことになるんですよね。

 ですので、今日のところは、ライリーという、練習用のおとなしい老馬です。老馬を使うのは、何かあっても駆け出したり暴れたりといったことが少ないからなんだとか。要するに、年老いて弱っている馬の方が安全ということですね。

 そんなおばあちゃん馬に、子供とはいえ2人も乗って大丈夫なのかと、少々心配してしまいます。




 今日は、馬に乗るということでしたので、乗馬服に着替えました。もちろん、屋敷からはドレスで来て、こちらで着替えたのです。

 物語のように、ヴィヨン様の前にドレスで横座りというのも憧れはしますが、ヴィヨン様もまだ乗れるようになって日が浅いですし、今日はヴィヨン様の後ろで馬に跨がることになります。これはこれで、自転車の2人乗りのようで面白そうです。実際に前世でしたことがあったかは思い出せませんが、2人乗りして彼にしがみつく彼女、という構図は、どこかで見た気がします。




 「殿下、今日はよろしくお願いします」


 「まだまだ拙い腕だが、楽しんでもらえると嬉しい」


 型どおりというか、教科書どおりのような挨拶を交わした私達は、馬場の者に手伝ってもらい、ライリーに乗せてもらいました。

 コリーは、どのみち近くにいてもできることはありませんし、事故があっても困るので、馬場の柵の外でこちらを見ています。

 実際に乗ってみると、馬の背中は随分と高いところにあるのですね。視線の高さにドキドキします。

 ヴィヨン様の後ろに跨がり、腰に手を回して捕まります。


 「意外と、馬というのは大きいのですね」


 この際ですから、ギュッとしがみついても許されるのではないでしょうか。はしたないと言われたら、ちょっと落ち込みそうです。


 「では、歩かせるよ」


 逡巡しているうちに、ヴィヨン様は馬を歩かせました。こ、これは、冗談抜きで、しっかりしがみついていないと落ちてしまいそうです。


 「い、意外と揺れるのですね」


 もはや、はしたないなどと言ってもおられず、私はヴィヨン様にしがみつきます。あああ、ヴィヨン様が下手だから怖がっているなどと思われたらどうしましょう。違うんです、初めて馬に乗ったから、揺れるのが怖いんです。




 少し歩いているうちに、揺れ方にリズムがあることに気付きました。

 これなら、少し力を抜いても大丈夫でしょう。


 「最初は、揺れるので驚きましたが、ひどく揺れるというわけではないのですね」


 「歩いているだけだからね。それでも驚かせてしまったようで、申し訳なかった」


 周りを見る余裕が出てきたところで、ヴィヨン様に話しかけると、いつもより柔らかな声音で返してくださいました。ヴィヨン様も、乗馬を楽しんでいらっしゃるようです。

 ライリーはとても穏やかで賢い馬だそうで、馬場の者が別の馬で併走…併歩? しているだけで、ヴィヨン様おひとりで操っておられます。


 「もう少しくらいでしたら、速くしていただいても大丈夫そうです」


と申し上げたところ、


 「それでは少しだけ。初めてだし、慎重にいこう」


と仰って、心もち速くなったかなというくらいの歩き方になりました。


 「軽くで結構ですので、いつか走らせてくださいませ」


 「わかった、約束しよう」


 しばらく歩かせた後、また馬場の者に手伝ってもらって馬を下りました。ヴィヨン様はご自分で降りられるとのことなので、少し離れて待ちます。

 ヴィヨン様が降りようと右足を上げた時、併走していた方の馬が突然暴れ出しました。

 まるでロデオのように、騎手を振り落としてライリーにぶつかってきたのです。

 体当たりを受けたライリーはよろけ、ヴィヨン様もバランスを崩して地面に落ちてしまいました。

 暴れ馬はまだ狂ったようにライリーにぶつかり続けています。あれでは、足下に倒れているヴィヨン様が踏み潰されてしまう!

 思わず飛び出してしまいました。


 「ヴィヨン様!」


 走った勢いそのままに、体を起こしたばかりのヴィヨン様の上に覆い被さります。


 「うあ!」


 左肩に激痛が走り、気が遠くなります。体のあちこちに痛みが走り、目の前が暗くなっていく。これは、死んだかもしれない……駄目よ! ヴィヨン様を守らなきゃ。ヴィヨン様を幸せにするまでは死ねないんだから!



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 気が付くと、私はベッドに寝かされていました。ここ、どこかしら? 私の部屋ではなさそうです。

 目の前には、コリーがいます。泣いているのでしょうか。


 「お嬢様! よかった…」


 ホッとしたように涙をこぼすコリーに声を掛けようと身動ぎしたら、左肩がズキリと痛みました。


 「うっ!」


 「お嬢様、大丈夫でございますか。

  馬に踏まれたのです。ひどい傷で、跡が残るかもしれないと…。申し訳ございません、私がついておりながら…」


 「ヴィ…殿下、は?」


 踏まれたとなると、庇いきれなかったかも。


 「殿下は、軽い打ち身でおすみです。

  お嬢様がいらっしゃらなければ、大怪我なさっていただろうとのことでした」


 「ご無事なのね。よかった…」


 「たしかにようございましたが、お嬢様は…」


 「ありがとう、心配してくれて。

  でも、私と殿下とでは、比べるのもおこがましいわ。尊い御身をお守りできてよかった」


 「お嬢様、痕が残るかもしれませんのに…」


 ああ、なるほど! これ、アメリケーヌがヴィヨン様にすがるシーンにあった過去イベントだったのですね! アメリケーヌには、ヴィヨン様を庇ってついた傷跡があるって。そういえば、アメリケーヌは肩の出るドレスは着ないとか、ヴィヨン様に何かお願いする時は左肩に触れる癖があるとか、そんな設定がありました。

 …なるほど、アメリケーヌは、この傷跡を武器にヴィヨン様にすがりつくのですね。


 私は、王家の御殿医に傷を診てもらっているとのことで、しばらくお城で養生することになっているそうです。どおりで見慣れない部屋にいたわけです。

 身の回りの世話は慣れた者の方がいいだろうということで、コリーが付いてくれています。まだ体を動かすと肩が痛みますが、とりあえずほかは大したことはなさそうです。



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 「なにしてるんだ、逃げろ!

  君まで怪我をしたらどうする!」


 「構いません! ヴィヨン様さえご無事なら!」


 ああ、全身が痛くて、動かない。ヴィヨン様のお顔が近くにある。幻かしら。


 「おい、君! アメリケーヌ!」


 「ヴィヨン様…どうかお幸せに…でないと、死んでも死にきれません…」




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 はっ!? …夢?

 うわ~、いい夢を見ました。

 まるでヒロインの最期のように感動的でした。私、悪役令嬢ですのに。


 ここは…そう、私はお城で治療を受けているのでした。

 まだ、肩がズキズキします。そのせいで馬に踏まれる夢を見たようです。

 ああ、でも、ヴィヨン様に看取られながら死ぬなんて、それはそれで幸せかもしれません。




 …よく考えてみたら、私、神様から、寿命が尽きるまでは死なないって保証されているんでした。

 そんなことも忘れていましたわ。なにが「死んでも死にきれません」でしょう。自意識過剰ですね、恥ずかしい。まあ、夢ですからね、いいでしょう。



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 結局、私は、半月ほど御殿医から治療を受けた後、無事屋敷に戻ることができました。

 その間、ヴィヨン様が毎日のようにお見舞いにいらしてくださったのが嬉しかったです。

 暴れ馬に何度か踏まれたり蹴られたりした割には、ほとんどは単なる打撲ですみました。

 左肩の後ろの傷だけは、肉をえぐられたらしく、跡が残りましたが。

 肩を出すようなドレスは着られませんね。

 お母様には泣かれてしまいましたが、お父様には、よく殿下をお守りしたとお褒めいただきました。

 私だから生きていますが、ヴィヨン様だったらどうなっていたことか。お守りできてよかった。

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