第35話 イスカンダルの燈を紡げ

「待ってください。ティアマトを封印する為の力なら、もうイスカンダルさんから受け取ってるんです!」


 双角王の力をベルが食らい発動する、【王道モード双角王イスカンダル】。イスカンダルの矢を放ち竜の魂を封印する、希望の光だ。


「いや……その手はもう使えない」

「ふえ、どうしてですか?」

「君の魂がティアマトに取り込まれてしまった事で、ベルはイスカンダルの燈の供給を絶たれてしまった筈だ。彼の持っているティアマト由来の力は、あくまでも〈イスカンダルの燈を食らい自分の力に変える〉だけのものだから、君なしで〈王の力を借りる〉事はできないだろう」


 アリストテレスはアルカの持つ力を体験し、その本質を見極めつつあった。


「私は見誤っていた。君こそが、ウロボロス計画に対する最大の対抗手段カウンターだったんだ」

「ボクが……?」

「やはり自分でも理解しきれていないようだね。君がやっているのは、〈魂との会話〉だなんて陳腐なものではない。他人の魂に接触し、〈イスカンダルの燈を紡いでいる〉んだ。〈世界から切り離された孤独な魂を、自分に繋ぎ止めている〉と言ってもいい。君はその力で、ベルと過去の王達を繋いでいたんだよ」

「孤独な魂を……繋ぎ止める?」


 あまりに抽象的で、アルカにはよく分からなかった。


「君には聞こえるんだろう。〈最果ての呼び声〉が」


 脳に言葉が染み入る感覚。少年はそのフレーズをよく知っている。なにせ自分自身で選んだ文字列なのだから。


「イスカンダルも、君と同じ力を持っていたんだ。彼は最果ての呼び声を聞いて、そこから〈イスカンダルの燈を紡いできた〉と言っていた。私達がイスカンダルの燈と呼んでいるものは、イスカンダル本人の力ではないんだよ」


 アルカが感じていた、〈向こう側にいる何かの力を借りる〉ような感覚。その正体は――


「イスカンダルさんは、その声の所へ行こうとしていたんですか……?」

「ああ。それが最果ての楽園エルシオンの正体だと私は思う」


 歩き始めながら、少年を背にアリストテレスは呟く。


「イスカンダルが多元世界の半分を征服できたのは、彼が強かったからじゃない。〈世界の方が彼を求めて、最果てへと導く為に味方していた〉んだ。……私はきっと、大変な罪を犯したのだろうね」


 アルカはアリストテレスのそばへ走り寄ると、ぎゅっと手を繋ぐ。

 憐れまれるのはごめんだと、原初の錬金術師は鬱陶しそうに眉をしかめた。


なんだね」

「イスカンダルさんも、同じような事を言ってました。全部、自分の我儘さのせいだって」

「……馬鹿」


 ティアマトの体内には地形というものがなく、足が着かない不思議な感覚で水の中を歩いていくように重たい世界を進む。

 足元がおぼつかないアルカを、アリストテレスは途中から殆ど一人で引っ張ってくれた。

 どのぐらいの間歩いただろうか。アリストテレスとの間にも会話が少なくなってきた頃、不意にその足がぴたりと止まる。


「……イスカンダル」


 視線の先には、アルカ達と同じで人間としての姿をはっきりと残す双角王が座って目を閉じていた。久しかろう来客に、イスカンダルは瞳をゆっくりと開く。


「おお、我が友アリストテレスではないか!」

「こんな所にいたのか。二千年もの間……」

「ああ、存外悪くなかったぞ! 世界中に紡がれた、我の意志を継ぐ者達の旅路を眺めておったからな」

 ――イスカンダルは立ち上がり、舞台上で脚光を浴びるように両腕を掲げて頭上を仰ぐ。

「世は広いぞ、友よ。我の旅路など、まだまだ多元世界の半分しか踏破しておらなんだわ!」


 さも愉快そうに笑うイスカンダルの態度に、アリストテレスは歯噛みする。


「馬鹿。君の旅路を絶ったのは、目の前にいるこの私なんだぞ!」


 敬愛する王の惨めな姿が、アリストテレスを苦しめていた。自らへ罰を求めねば済まない程に。

 イスカンダルもそれを察したのか、笑うのをめて真剣な顔つきになる。


「友のせいではない。全ては国と民を捨て、己の願望のみを追いかけようとした大馬鹿者の我に与えられた罰だ」

「君が国を捨てて何が悪い! 代わりの王なら幾らでもいる。君を失ってから二千年絶って尚、国が何事もなく続いているのがその証拠だろう。だがイスカンダルという人間は、一人しかいなかったんだ。私はそんな事にさえ気づけなかった……!」


 二千年前の自身を尽く否定せんと、アリストテレスは弁解する相手もなく煮詰め続けてきた思いをぶちまけて、長い髪をぎゅっと握った。強過ぎる後悔が、視界に映る自分の髪の毛一筋にさえ強烈な嫌悪を催す。

 だがその様子を見つめるイスカンダルの瞳には、親愛ばかりが湛えられて憎しみの一片も浮かんではいなかった。


「それは違うぞ、友よ。我の代わりもまた、世界に無数と存在している。イスカンダルの燈を継ぐ者達が、我に代わってこの世界を踏破してくれているではないか。〈元より人間は、一人で完結するものではない〉のだ。故に命が永遠に続く必要などない。……こう言うと友は怒るかもしれんが、我はむしろ〈我が旅路が途中で終わってよかった〉とさえ思っておる」


 予想通り、アリストテレスは全身の毛を逆立てんばかりにイスカンダルを睨み、顔を赤くして声も出せずに涙を流す。

 イスカンダルを否定するものは、例えイスカンダル本人であろうとも許せない。原初の錬金術師が双角王に対して抱く、病的なまでに歪んだ愛が発露していた。


「我は速過ぎたのだ。たった三十二年の生涯で、多元世界の半分を踏破してしまった。生きていれば、最果ての楽園エルシオンにも辿り着いていただろう」

「世界がそれを望んでいた! 君は辿り着くべきだったんだ!」

「馬鹿を言うな。そんなに速く着いてしまっては、〈世界がつまらなくなってしまう〉。未踏に満ちているからこそ、この世界は面白いのだ。我はな。この世から未知がなくなる瞬間こそが、人の滅びる時だと思う。人間とは、知る為に生まれてきた存在なのだからな」


 アルカは確信した。自分とイスカンダルは似た者同士だ。

 望むものも、恐れるものも。だからこそ、彼の言葉は自分に対する忠告のようにも感じた。


「最果ての呼び声など聞こえずとも、イスカンダルの燈を継ぐ者達は誰もが世界の最果てエルシオンへと届きうる。我と友は、世界に限りない可能性を残したのだ。それが成功でなくてなんだという?」

「……君は誇ってくれるのか。私達の拙い青春シナリオを」

。我と友の最高傑作だぞ。あとは、二千年待たせ続けた結末を綴るだけだ」


 アリストテレスはアルカと繋いでいた手を離し、その頭を撫でる。


「私をイスカンダルに紡いでくれてありがとう。……私達はここでお別れだ。君は今から、私とイスカンダルで仲間達の所に帰す」

「え。お別れって、アリストテレスさんはどうするんですか!」

「私はここに残るよ。イスカンダルを一人にする訳にはいかないから」

「やだっ! せっかく会えたのに! やっと友達になれると思ったのに!」


 まだ幼いアルカは感情の抑制が効かなくなり、涙となって溢れ出した。くちゃくちゃにした顔を必死に振って、現実を振り払おうとする。


 一度は敵対しても、アルカにとってアリストテレスは憧れ続けた存在に変わりなかった。理想の錬金術師アルケミストとして、少年が錬金術キミアの道を志す原点と呼べるものだった。

 原初の錬金術師は泣きじゃくるアルカにふっと微笑むと、膝を着いて少年を優しく抱きしめる。


「いいよ。今日からアルカと私は友達だ」

 ――そしてアルカと間近で目を合わせる。

「だからいつかきっと、とびきりの冒険譚を見せにおいで。私はそれまでずっと待っているから」


 少年が震える身体で頷くと、アリストテレスは身体を離して立ち上がる。そして双角王と手を取り合った。紡がれた二人の燈が周囲へと立ち昇り、鹿の角を持つ堂々たる双角馬を綴り上げる。


「始めよう、イスカンダル。私達の物語を締めくくる時だ」

「ああ。竜に奪われた希望を、我らが解き放ってやるとしよう!」


 二人が黄金の炎で形作った弓を構えると、双角馬は嘶きながらその輝きを強めていく。


「アルカ、馬に自分の燈を繋ぐんだ!」


 アリストテレスの指示に従い、アルカは手から紐状の燈を紡いで双角馬へと接続する。すると紐は手綱状に馬体へと装着され、少年を背中へと引っ張り上げた。


「さらばだ、友よ。もう一人の友にもよろしくな!」


 イスカンダルが、朗らかに別れを叫ぶ。


「アイサ!」


 アルカが船乗りの言葉で答えた。

 同時に、王と錬金術師は引き絞った弓の弦から手を離す。


「「演技アクション――【イスカンダルの燈】!」」


 駆け出した双角馬は周囲を包む闇へと突き刺さる火柱となり、形なき境界をめりめりと押し退ける。イスカンダルの燈は人と大地の繋がりを断ち切る唯一の力だ。


「いっけええええええッ!」


 アルカは無意識に手を伸ばしていた。境界の向こう側へと、自分の魂に宿る燈を紡ぐ為に。

 硝子の割れるような轟音を響かせながら真っ暗な世界が崩壊し、黄金の炎は境界の外へと噴き出していく。

 その向こう側から差し込む光に瞼を潰されながらも、少年は涙の溢れる瞳を開けて懸命に目の前の景色を捉える。

 そこには皆の願いを背負ってティアマトと戦い続ける、なベルの雄姿があった。


 丹田を貫かれたティアマトは、人間の女性の悲鳴を肥大化させた不気味な絶叫を上げながら、空中で大きく姿勢を崩して尾の先を大地へとこすらせる。巨大な肉の塊はほんの一瞬地上に触れただけで小さな区画を壊滅させ、瓦礫の山へと変えた。

 ベルはその好機を逃さず母なる竜への首筋へと食らいつき、喉の奥から渾身の力で炎を噴出させて、爆炎の勢いで敵の半身を吹き飛ばす。

 致命的な傷を負ったティアマトは潰れた咆哮と溢れ出す血液が立てる不気味な水音を溢しながら、巨大な建築物が崩れ落ちるように脱力していった。

 力を使い果たしたベルの身体は変身を維持できなくなり、全身から燈が抜けて萎んでいく。


 アルカは双角馬に連れられ、地上にある自分の身体の下へと戻っていく。馬は着地してアルカを下ろすと、燈へと解けて少年の魂に吸収される。そしてアルカの魂もまた、自分の身体へと入っていった。

 眠っていた肉体が、魂を取り戻して目を覚ます。


「おかえり、少年」


 そばにはジルがいて、戻ってきたアルカの頭を撫でてくれた。


「んみみ……! 師匠だぁ」


 少年は嬉しそうに、にぱっと笑う。


「地上から見ていたよ。双角王から〈双角の王馬ブケファラス〉を授かったのだね」

「ブケファラス……? あのお馬さんがそうなんですか?」

「かつてイスカンダルを背に乗せて共に戦場を駆けた、伝説の馬の名前さ。その魂を託されたという事は、イスカンダルは少年に期待しているのだよ。〈自分の代わりに最果ての楽園エルシオンへ辿り着け〉とね」


 その時。くぐもった竜の唸り声が大地を揺らし始めた。息を吹き返さんとする支配者に、世界全体が呼応している。


「ティアマトだ……! まだあれを封印できてないんです。急がないと!」


 アルカが走り出そうとすると、そばにブケファラスの魂が現れる。

 馬は何かを訴えかけるように、少年の身体へと額を擦りつけた。


「ブケファラス……どうしたんですか?」

「ふふ、少年を背中に乗せたいみたいだね。肉体を錬成してあげたまえ。〈契約を結んだ魂〉を錬成するのに、術札アルカナは不要だよ」


 ジルの言う通り、必要な印や術式レシピは自ずと理解できた。錬り上げたエーテルがブケファラスを実体化させていくのを眺めて、アルカは自分に与えられた力の正体を理解する。

 イスカンダルの燈を紡ぐのは、〈王と家臣の契約〉に近いものなのだ。最果てを目指す者に力を貸してくれる、大いなる意志。それは自分の望みを叶える家臣に力を貸してくれる、王のあり方そのものではないか。

 だからこそイスカンダルの燈に導かれた王達が、その力の一部をアルカに貸してくれたのだろう。


 少年はブケファラスの背に飛び乗る。


「師匠、ボク行ってきます。まだ友達との約束が残ってるんです」

「気をつけてね。必ず無事に帰ってくるのだよ」


 二人は頬を触れ合わせ、そこで別れる。


 ブケファラスは竜に踏み荒らされて瓦礫になった街の中を、風のように駆け抜けていく。

 戦いの中心となった場所は瓦礫による凹凸すらもあまり感じられない程の更地になっており、その中心にベルが寝転んでいた。


「ベルーッ!」


 アルカが呼びかけると、ベルは辛そうになんとか上半身だけを起こす。


「アルカ……! 無事だったのか!」


 アルカはブケファラスから飛び降りると、相棒へと駆け寄ってその身体を抱きしめた。

 傷ついた身体は所々が熱を持って熱いが、鼓動は強く脈打って、重ねる少年の身体に響く。


「ベルこそ無事でよかった! ボクが手を離したせいで痛い目に遭いませんでしたか?」

「大丈夫だぞ。皆が助けてくれたからな。それに、さっきのはアルカのお陰であろう?」

「イスカンダルさんとアリストテレスさんが、力を貸してくれたんです。二人の為にも、ティアマトを封印しなきゃいけません」

「ああ。ここまで一緒に戦ってくれた皆の為に、おれ達がやらねばならん!」


 アルカとベルが繋いだ手を通じて、再びイスカンダルの燈が紡がれる。大王の身体は青年の姿へと成長し、青い左目と王冠のように絡み合った双角が顕現する。

 その勇姿に、かつての主人の面影を見たブケファラスが鼻をぶるると鳴らして擦り寄った。


「おれ達をティアマトの下へと運んでくれ。頼んだぞ」


 手綱を握るアルカを前にして二人はブケファラスの背へと乗り、ティアマトに向けて出発する。

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