4日目昼? 『壊れた』記憶

 とん。

「……いい夢は見れた?」

 どこかで聞いたような言葉と、背中を押される感覚に視界が開けた。

 ここは、図書館。規則的に並ぶ本棚。

 ……そして、僕を真っ直ぐ見つめる灰色の髪と紫水晶の瞳。

「早く。仕事を続けて」

「……セッカさん」

 時刻は昼過ぎ。

 自分の手元を見てみると、数冊の本を抱えている。

 そうか。今、氷雨さんの本の整理をしている所だった。

「理解したなら……気を緩めないで。本が痛む……から」

 はいはい、すみませんっと。

 メイド長は、背伸びして本を片付けた後、パーカーのフードを被り、戒めの言葉を僕に向かって投げた。

 だが耳に届いたそれは、普段のような淡々と、抑揚の少ない声とは違うものだった。

 ……思考(こえ)が大きすぎただろうか。

 昨日もこの作業をしながら会話したのに、まだ感覚を取り戻せていない。

 ……昨日?

「五十二秒」

「……?」

「ツクヨムが……本棚に本をしまう体勢から、意識を戻すまでの時間」

 そんな時間放心していたのか。

「もしかして、結構何回も肩叩いていた感じですか?」

「うん」

「えへへ……すみません。考え事をしてて。実は」

 全く……僕はどれだけ深刻な悩み事をしていたん……

「……あれ?」

 いや、おかしい。

 どうして、僕は今日初めてフィリア様のことを考えたんだ?

 そもそも、なんで僕は朝に出会ったフィリア様のことを思い出せないんだ?

 今まで、彼女の事を考えることが日常だったのに。

「……気持ち悪いね。人の事は……言えないけど」

 急に冷や汗が出てきた。身体も震える。

「……もう一つ、伝えておく」

「……」

「これはあくまで、ルッカ様から聞いた事……だから、使い方は自分で考えて」

 一呼吸置いて、セッカは僕にまた時間を告げた。

「三日間……らしい」

「三日?」

「あなたの記憶が『壊れた』時間……だってさ」

 瞬間、彼女の目つきが変わった。

「っ!」

 視界から消えた。これは……

 いや、そんなことを考える暇は無い。

 この目つきになった時には既に──

 猫人(かりうど)の攻撃は始まっているのだから。

 だん。

 引かれる感触と共に、本棚に身体を強打する音が響く。

 ……当たり前か。何かに襲われることを想定していない屋敷の内部だ。

 油断していた僕が反応出来る訳が──

「……くぅっ。流石だね」

「……え?」

 ばささ

「何……驚いてるの?私達にとって……この手のスキンシップは『二回目』……だよ」

 思い出した。

 ……ルッカ様に粗相を犯した後、場所は自分の部屋だったが、同じように不意を突かれ、彼女に押し倒されたのだ。

「足払いで体勢を崩され、意趣返しに窒息寸前まで首を絞められていましたね、僕」

「そう。なら……まだ、大丈夫だね」

「大丈夫じゃないですよ。ルッカ様が止めていなかったら、僕死んでましたよ、多分」

「今回も……だよ」

「……見ればわかります」

 説得力すごいですよ。関節をいつでも外せる状態で、握ったナイフを永遠に離さないんですから。

「メイド長だから当たり前」

 そうかなぁ。

「そっちも、自分の主人が死にかけた……って聞いた時、考えて」

 ……そうかも。

「それと……痛いから、そろそろ離して」

 刺さないと約束できるなら。

 彼女がこくりと頷いたので、ゆっくりと手を離す。

 拘束が解け、自由になったセッカさんは、肩を回しながらため息をついてくるりと振り返った。

「……分かったでしょ。あの子の従者が大変な理由」

「前にも言った気がしますけど……どうしてこういう説明をしてくれないんですかね」

「回答は同じ……だよ」

「……はいはい。『自分で見つけろ』ですよね」

 ……難しいな。

 フィリア様が原因で、何かしらの問題が起こっていることは分かる。

 だが、その要因を見つけ、推察しても、思い出すきっかけがない限り、その結果どころか過程の記憶まで消失してしまうということか。

 ……ページが抜け落ちた推理小説で、トリックを見つけ出すようなものじゃないか。

「……面白いかも」

「うん。やっぱり普通じゃないね」

「好奇心旺盛って言ってほしいです」

 きょとんされてしまったが少し笑顔になって、セッカさんはため息を一つついた。

「……はぁ。とりあえず無駄話が長すぎた……から、早く仕事に戻ろう。……まぁ、無事に生き……て……」

「そうだねー。キミは無事だねー」

 目の前の少女がみるみるうちに青ざめていくと同時に、人の気配が背後から感じ取ることが出来た。というか、突然現れた。

 誰が来たのか、考える必要もない。

 図書館で、本を落としたという行為をしたのだから来るのは彼女だけだ。

 ……セッカさん。振り向きたくないです。

「……気持ちは分かる。でも、覚悟して」

 囁き声で僕にそう伝えてきたが、なんか……殺気が上がっている。

 うん、聞かれてますね。

「……大丈夫。先輩がついてるから」

 初めて、頼りに見えましたよ。

 さて、誠心誠意の心をもって、弁解のために振り向「ぐ」

「本も、このくらいの痛みを感じてるんだよー」

「……氷雨さん……一言分の、余裕は……欲しかったです」

 数秒後、連帯責任という言葉の後に、人が倒れる音が鳴った。

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