第25話 氷の皇子は弾劾する

 オリーヴィアが王の間に足を踏み入れると、列席している貴族達は一斉にどよめいた。誰もがオリーヴィアの顔を知っているとまでは言わなくとも、若い顔の銀髪といえば“咎の侍女”と誰もが想起する。


「どういうつもりか、ヴィルフリート」


 そしてその咎を誰より忘れていないのは、エーリク皇帝とフロレンツ第一皇子。低い声を響かせたエーリク皇帝は、退位を宣言しつつなおその威厳を損なわない。


「今回の会議に必要と判断し連れて参りました。ご心配なく、オリーヴィアを牢から出すことに関してはカーリンの宥恕ゆうじょがございます」


 ヴィルフリートの視線を追った先では、カーリンが頬を引きつらせていた。確かに許すとは言ったが、だからといってこんなところで矢面やおもてに立たされるとは聞いていない、そんな表情だった。


「……はい。確かに、私はオリーヴィアを許しました。これからも変わらず、侍女として世話を焼いてほしいと」


 しかし、そこは侯爵令嬢というべきか、硬い声ながらもしっかりと答える。その寛大な心に、列席している貴族達の一部は言葉を失い、一部は感嘆の声を漏らす。ブーアメスター侯爵が満足気にそのひげを撫でた。


 ……とんだ茶番ね。オリーヴィアは思わず溜息を吐いてしまいそうになるのを我慢した。ただ、自分の存在が器の広さを見せるためにも利用されるとまでは思っていなかった。


「先にお話しさせていただきたい件がございます、今年の税収に関してです」


 中央に立っていたヴィルフリートは、左右の長机にそれぞれ書簡を回す。


「イステル伯爵領での集中豪雨、それにともなう川の氾濫はんらんしかり、昨年は各地が天災に苛まれ、収穫高が低くなっております。北方のカッツェ地方も例外でなく、むしろその被害は甚大じんだいとのことで減税の申し入れを受けました」

「そのとおりです。多大な温情に感謝いたします、殿下」

「申し入れを受けた、と私は言ったのです、ブーアメスター侯爵」


 勝手に勘違いして謝辞を述べ始めたブーアメスター侯爵に、ヴィルフリートは嘲笑を向けた。髭を撫でていた手が一瞬止まる。


「……といいますと」

「受け入れるかどうかは別だと言っております。さて、書簡をご覧になった方はお分かりですね」


 カサ、カサと羊皮紙の捲れる音が静かに響く。ブーアメスター侯爵の顔からは段々と得意気な笑みが消えていき、書簡の内容は分からずとも空気で自らの立場の危うさに気付いたようだった。


「……カッツェ地方の交易品は値上がりしていないのですか」


 純粋に素朴な疑問かのような声で発言したのは、アンブロス伯爵だった。過去にオリーヴィアの提言でダンスの苦手な娘を伯爵家に嫁がせることに成功した、ヴィルフリートの家庭教師だった者だ。老眼で見えづらそうに羊皮紙を手元から離し、すっかり白くなった眉を寄せる。


「こちらを見る限り、従前と変わらぬ価値で取引されているようですが。収穫が少なかったのであればこうはなりますまい」

「でしょうね。これはどういうことですか、ブーアメスター侯爵」


 アンブロス伯爵の指摘で、さすがのブーアメスター侯爵の顔からも血の気が引いていく。自分が何を暴露されているのか理解したらしい。そこにヴィルフリートはとどめを放つ。


「私にはこれが、農民の反発を受けずに私腹を肥やそうとした結果、収穫高そのものを低く報告することで皇家を――帝国をたばかっているようにしか見えないのですが?」


 オリーヴィアが減税申し入れの書簡を見たときに言ったのだ、「でもカッツェ地方で上がっているのは関税だけですよ」と。ヴィルフリートに書簡の整理を任されていたオリーヴィアは、ヴィルフリートのために資料を分かりやすく整頓せいとんしようとした結果、その内容も把握していた。もともとオリーヴィアは記憶力がよく、特に数字に対する強さはグスタフも舌を巻くほどだ。


「これはどういうことか、ブーアメスター侯爵」


 すっかり顔を青くしたブーアメスター侯爵に、エーリク皇帝の冷ややかな声が突き刺さる。


「事実であれば貴様の首を刎ねねばならんな」

「事実ではございません!」


 咄嗟に否定するものの、続く理由はなかった。そう考えると、アーベライン侯爵は――筋が悪かったとはいえ――だらだら言い訳を連ねることができただけマシだったとも言える。


 まあ今更そんなことを思い出したところで何というわけではないが。ヴィルフリートが書簡を回収し始めれば、それを“断罪の決定”と勘違いしたブーアメスター侯爵は「殿下、お待ちください!」と慌てて立ち上がる。


「これは……これは何かの誤りでございます。すぐさま調べさせ、責任者を罰しましょう。……よもや、娘との婚約は破棄いたすまい、これはあくまで私の領の問題で――」

「安心しろ、これを理由にカーリンとの婚約を破棄するつもりはない」


 オリーヴィアにいさめられたとおり、親族の不正は婚約破棄の理由と定められていない。ブーアメスター侯爵は「殿下……」と喜色を浮かべ、カーリンは頬を染めた。


「そこまで我が娘を大事にしていただけるとは、光栄の至りでございます」

「では、次に移ります。カーリン・ブーアメスターに関しては自ら毒を含んだうえで侍女のオリーヴィアに罪を着せた疑いが持たれています。この点を詮議せんぎしましょう」

「は?」


 が、続けざまのスキャンダルにブーアメスター侯爵は絶句し、他の貴族達は困惑の笑みを零した。ピンク色になっていたカーリンの頬には緊張が走る。


 ヴィルフリートはあえて視線を向けなかったが、扉近くのオリーヴィアは顔色一つ変えずにいた。王の間に連れてこられた時点で、カーリンの罪が暴かれるのは分かっていたからだ。


「……どういう意味でしょう、殿下」

「先日、カーリン・ブーアメスターはオリーヴィアの運んだ果実を口に含み昏倒こんとうしたとのこと。また主治医によればその果実に毒が含まれていたとのことです」

「おっしゃるとおり、それが事実です、殿下」

「が、その果実は私も口にしましたが、このとおりピンピンしております」


 そのくらいは想定の範囲内だったのだろう。カーリンは顔色一つ変えなかった。


「……私の果実にのみ毒を盛ったのでしょう」

「では訊ねるが、オリーヴィアは何の果実をどのようにしてお前に与えたのだ」

「……はい?」

「そう難しいことは聞いていない。そのままの意味だ、そのときのオリーヴィアの行動を説明しろと言っている」


 おろ……、とカーリンの目が泳ぐ。第二皇子の婚約者が「侍女に毒を盛られた」といえば、そのときの事情などそれ以上に確認されない。カーリンの、いわば事情聴取はいま初めて行われているに等しい。


「それは……その、オリーヴィアがいつもどおり部屋に飲み物を運んできて、その際にさくらんぼを……毒入りのさくらんぼを出したのです」

「いつも運んでくるのか、何の飲み物を」

「……殿下のお部屋で飲むものと同じものです」

「いつも何時に」

「なん……、大体、5時頃、でしょうか……」

「4時から5時は大体俺の執務室でその日の書類を片付けているが、オリーヴィアは随分忙しいのだな」

「……4時前だったかもしれません。あまり時計を気にしていないので」


 毒を含んでしまった当日のことではなく、“いつもどおり”のことを訊いているのに分からないのか? その疑問はその場にいる誰もが共有していて、ヴィルフリートはあえて追及しなかった。


「で、毒のさくらんぼを出したとは?」

「え? ……ですから、出したのです」

「どう出したのかを訊いている。あらかじめさくらんぼを盛った皿を紅茶と共に置いたのか?」

「そ、のとおりです、殿下」

「オリーヴィアとはそのときどんな話を?」

「……いつもどおり、今日もお疲れ様です、など……」

「さて、カーリンによれば、オリーヴィアはいつもどおり4時頃にカーリンの部屋を訪ね、あらかじめさくらんぼを盛った皿を飲み物と共に置いたそうですが」


 パランッ、とヴィルフリートが無造作に放り投げたいくつかの羊皮紙が机上に転がる。さすがに一瞬で内容を読む者はいないが、その末尾に署名か、もしくは指の文様が描かれているのは誰の目にも明らかだった。


「これは使用人連中に事情を確認し、彼らが知っている事実を記録のうえ、記録内容に相違ないと署名させたものです。字を書けぬ者には指にインクを塗り押させました」

「まったく、骨が折れましたよ」


 ボソッとグスタフが呟いた。この会議に間に合うように、しかも秘密裡ひみつりにやれと言われたせいで、王城内を駆けまわる羽目になったのだ。


「他の侍女によれば、オリーヴィアがカーリンを訪ねる様子は見たことがないとのこと。衛兵によれば、事件の日にカーリンがオリーヴィアを探していたとのこと。料理長によれば、オリーヴィアはさくらんぼの瓶ごと持って厨房を出たとのこと。カーリンの侍女によれば、オリーヴィアは空の皿と液体に浸かったさくらんぼを持って部屋に来たとのこと」


 つまり、第三者によれば「オリーヴィアがカーリンを訪ねている事実はな」く、「事件の日はカーリンがオリーヴィアを招いた」のであり、「オリーヴィアはカーリンの目の前で瓶からさくらんぼを取り出して皿に盛った」。その内容は、カーリンの話した状況と、あまりに乖離かいりしている。


(……せめて、事実をありのままに話せばよかったのに)


 一から十まで嘘を吐けばそうなるに決まっているのに――。オリーヴィアは、扉の傍から呆れた目を向けずにはいられなかった。嘘に嘘を重ねるから、余計に嘘だと分かりやすくなってしまう。


 カーリンは皇妃の器ではなかった。侍女としてヴィルフリートの繁栄を切に願うオリーヴィアが抱いたのは、そんな感想だった。

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