子どもの国(12月27日)
「祝、二十歳ー!」
誕生日おめでとー、とグラスを合わせた姉は、いつもより少しテンションが高かった。私より五歳年上の姉は、この日のためにわざわざ新幹線を使って会いに来てくれていた。
半個室の落ち着いて食事のできる居酒屋で、姉は大好きな白ワインと生ハムに舌鼓を打っている。「千佳もとうとう二十歳かぁ……」と感慨深げに呟いた。
「二年前に成人はしてたよ」
「まあね、社会人になるのはさらに二年後だし」
十八歳が成人とされてから既に数年経過している。私は二年前に成人式を済ませ、地元から離れた大学に進学し、時々選挙に行ったりしながらのんびりと学生生活を過ごしている。
実感なんてないものだよ、と、成人式を終えた日に、姉は私に言った。
自分の内面なんて、そうそう変わるものじゃない。変わったとしてもそれは数年をかけた緩やかな変化で、根っこのとこにいたっては、幼児の頃からさほど変わらないよ、と。
それは今、二十歳になった私も理解する。けれど。
「ねぇ、お姉ちゃん……どうなったら、大人なの?」
私が訊くと、サラダと焼牡蠣を取り分けていた姉は手を止めて「それ、昔から訊くよね」と、どこか、懐かしいものを見る目で言った。
――子どもの頃にしか見えない妖精がいるらしい。
大人では行けない国があるらしい。
童話に登場するそういった存在に私は出会ったことはない。けれど、見えていなくても見ていたんじゃないか、という感覚があった。
初めて一人で寝る夜に、学校の図書室で本を読んでいるときに。誰もいないはずのカーテンの裏側に、何かが隠れているような。
――あ~、分かる分かる。小さい頃って、勘違いとか何でもないことについ、特別なものなんじゃないかって期待しちゃうよね。
友達はそう言っていた。
確かにそれらは、家族だったり、窓の外の虫だったりするかも知れなかった。けれど私はそれをこの目で確認したわけではなかったから。
開いていたドアがいつの間にか閉まっていたり、机に置いたビーズが落ちていたり、出かけようとしたら、靴紐が全部はずれていたり。
それらは大抵、私が一人の時だ。しんと静まった空気の中に、誰かの気配を感じていた。誰かいるのと呼びかけたこともあったけれど、返事がないからいつの間にか気にしなくなって、気がついたら、もう気配そのものを感じなくなっていた。
「大人になって、もう二度とその感覚と会えなくなるのが、寂しい?」
ことん、とトングを置いて、姉が微笑んだ。焼牡蠣にレモンを搾って、ほら食べな、と差し出される。とろっとした牡蠣の身が、口の中でとけていく。小さい頃はこれを苦くて生臭いと思っていた。今は、その奥の濃厚さに気付く。
「大丈夫だよ、千佳」
姉は机の上で手を組んで、私ににっこりと笑いかけた。
「もう二度と、感じなくても。失う必要はないよ。信じていていい。だって、あれ絶対、本当にいたでしょう?」
靴紐、ぜんぶ外しちゃうとかさ。
私の時もあったよ、と言って楽しそうにワインを傾ける姉の仕草は。
確かに子どもの頃思い描いたような、憧れの、大人だった。
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