(12)おまけの謎解き

「秘密箱を開ける過程に?」

 ワーロック伯爵は、ワインを横に置いてブルーの説に身を乗り出した。ブルーが続ける。

「まったくの推論だよ。まず、あの4つのキーワードを思い出してみて」

「一つ目は、『暖炉にくつろぐ女王』…」

 以下、『目を細める偏屈老人』『傷を洗う闘士』『風に凍える罪人』と続く。

 ブルーは、刑事手帳を一枚割いてスラスラといくつかの単語を記した。それは、あの秘密箱を開けるためのキーワードの一部だった。内容は以下のとおりである。



  女王 暖炉 

  老人  目

  闘士  傷   

  罪人  風




 これは、メイズラント語の文法に基づいた文章から、名詞だけを抜き出したものだった。

「なぜ、名詞だけを?」

 ワーロック伯爵は尋ねる。

「わからない。全くの思い付き」

 ブルーはメモを全員に示しながら、伯爵に訊ねた。

「これと、あの秘密箱のパズルを解く事がカギになる」

「パズルを解く?」

 伯爵も、アーネットとナタリーも首を傾げた。なぜ、ここで秘密箱の開け方が出てくるのか。しかし、ナタリーが何か気付いたようだった。

「あの箱のパズルが、文字を並び替えるカギになっている?」

「大正解!箱の天面に、格子状の模様があったのみんな気付いてた?」

 ブルー以外の人間はみな首を傾げた。そんなもの、あっただろうか。


 ワーロック伯爵は気になったのか、確認のためにわざわざ金庫に仕舞った秘密箱を、再び持ち出してきた。これほど短期間に、秘密箱が金庫を出たり入ったりした事はなかったであろうと思われた。

 ブルーは、パズルを解く前の状態の箱の天面を示した。それは、今まで誰も気に留めなかった、ごく細い格子状の模様だった。マスは全部で8x6の、48マスである。伯爵がブルーを見た。

「言われてみれば、確かにうっすらと格子模様が見えますが…これが何か?」

「ここに、さっき呪文から抜き出した名詞を、中世の…ちょうどティム・サックウェル卿の時代の文体に戻して並べて行くと、どうなると思う?」

 言いながらブルーは、別な紙に先ほど抜き出した単語を、中世の文体に変換して隙間がないように並べて行った。すると、驚くべきことに、それは一つのマスも余ることなく、ぴったりと収まったのだった。

「まさか」

 伯爵が感心したように眺めながら、何かに気付いたようだった。

「つまり、この文字を箱の天面の格子に置いた上で箱を分解しろと、君はそう言っているのですな」

「確証はない。ただの偶然かも知れない」

 ブルーは、アーネットの口癖を真似て言った。

「でも、やってみる価値はあると思わない?」

 ブルーの提言に、全員が無言で頷いて同意した。ブルーは続ける。

「たしか最初は、左上の奥が上にスライドするんだよね」

 そう言って、ブルーは左上の、柱状のブロックを上にずらした。文字に当てはめると、古代語で「女王」を意味する単語の頭文字が上にずれる形になった。

「次は?」

「箱の右奥の角が、同じように上に動きます。つまり…」

「こうだね」

 今度は、右奥の一文字が上にずれる。

「次は?」

「手前の下段、中央左側のブロックを下に下げます」

「その次は?」

「下段右端のブロックが右に出ます」

 

 伯爵の指示に従ってブルーがパズルを解いて

ゆく。最後に天面の、いくつかに分かれたピースを前後左右にそれぞれ動かして、天板が外れる状態になった。

「これでおしまい?」

「そうです」

 伯爵がそう言うと、ブルーは天面を全員に見せた。文字が抜けたりズレたりした結果、そこには中世の言語でひとつの短い文章ができている。

 アーネット以外の全員が、それを読んであっと声を上げた。

「なんだ?」

 一人だけ中世の言語の知識がないアーネットは、置き去りにされたようにブルーやナタリーを見た。

「なんて書いてあるんだ」

「いま翻訳する」

 ナタリーはそう言うと、箱の天面に現れた文章を紙に現代語で書き直した。

「こうなるわ」

「どれどれ」

 それを読んだアーネットも、あっと声を上げる。

「本当に?ここに何かがあるって事なのか」

「しっ」

 ナタリーは指を立ててドアの方を向いた。

「他の人に聞かれないように、内容は言わないこと」

「わ、わかった」

 もと情報局員に沈黙を指示されて、アーネットは従うことにした。

「しかしあんな場所、行くだけでも大変だぞ。大変というレベルを超越しているが」

 アーネットの意見に、全員が難しい表情で同意した。パズルを解いて現れた土地は誰でも知ってはいるが、自殺願望でもない限り、行こうと考える者はいなさそうな場所であった。

「こんな難所に何があるというのでしょうか」

 ワーロック伯爵は顎に指を当てて唸った。

「しかし、この地名が偶然出てくるとは考えにくい。ブルー君の推理、謎の解き方は、おそらく正しいと思います」

「伯爵、この土地だけど」

 ブルーは、ナタリーが翻訳した地名を指さして言った。

「言っていいのかな…いや、僕が教えられたくらいだから、いいか」

 ブルーが勿体つけているので、他の面々は俄然気になった。

「実はこの場所ね、僕が魔法の先生から『禁忌の土地』として教わった場所なんだ」

「本当ですか」

 伯爵はブルーを、驚きの目で見た。

「うん。ただ、何が禁忌なのかまでは教わってない。魔法が使える人間でさえ、行くのは容易でない場所なのは確かだけど」

「しかし、この文章には指輪を携えてこの地へ赴け、とあります。それも、具体的な場所まで」

 伯爵は、文章の後半部分を指でなぞって言った。

「そう。つまり、この場所に何かがある。そこで、この指輪が必要になるという事だ」

「いったい、何があると?」

 伯爵の疑問に、ブルーは慎重に言葉を選びながら答えた。

「何があるのかはわからない。けど、そこにあるのは魔法に関する何かだと思う。それも、極めて重要な何かだ」

 ワーロック伯爵は、ブルーの説にうーんと唸った。

「つまり、枢機卿が当家に伝えたのは、魔法に関する何かだと?」

「それはわからない。でも、魔法の秘密箱なんてものを用意できる人が、魔法に関係ないものをもたらすと思う?」

 ブルーの話は尤もらしく聞こえた。

「そもそも、変な話だと思わない?教会に対して貢献した事への報酬なら、もっとわかりやすい報酬でも良かったはずだよね。あんな、高度な魔法まで駆使して難解な謎解きをさせる必要、あると思う?」

 ワーロック伯爵は、ブルーの指摘はその通りだと思った。時の枢機卿は一体、何のためにあれほど複雑な仕掛けを用意したのか。ブルーは話を続ける。

「あるいは、何かものすごい金銭的価値のある物も、眠っているのかも知れない。それは、行ってみなければわからない」

「いやはや」

 伯爵は、溜息をついて天井を見た。

「なんと遠大な…まるで、この謎が誰かに解かれるのを待っていたかのようだ」

 ほとんど独り言のように、伯爵は呟いた。

「全てが、人を引き付けるように仕向けられていたように思えませんか?きっかけは、アダムス医師による私を通しての指輪の持ち出しだ。それが結果的にあなた方、魔法捜査課を動かし、その過程であの秘密箱の謎の一端が、ほんの少しだけ見えてきた…」

 それは、何かに似ていた。ごく最近、ここにいる人々が接してきた、ある出来事だ。


「そうですね。まるで、枢機卿の催眠術に全員がかけられていたかのようだ」


 アーネットの言葉が、全てを物語っているように思えた。ブルーが再び語り出す。

「これも僕の単なる推測だけど。当時の王家と何かと衝突していたサックウェル枢機卿は、何らかの守りたい秘密を抱えていて、それを保存するにはどうすればいいか考えた。そこで、最も信頼のおける家を選んだんだと思う」

「それが、当家であったと?」

「そう。それが何なのかはわからないけれど、王政から目をつけられるような人が守りたい何か、だったんだと思う。何世代、あるいは何十世代後か、その秘密に迫る人間が現れるのを期待してね」

「しかし、当家は元を辿れば軍人の家系です。魔法など全く無縁の」

 伯爵がそう言うと、ブルーは答えた。

「だから、じゃないかな。魔法に関連する家系に預けたら、それが魔法に関するものだと気付かれる恐れがある。家として信頼できて、なおかつ魔法とは無縁であること。それがこの、オールドリッチ家が選ばれた理由なのかも知れない。僕の推測だけどね」

 ブルーがそこまで語ったところで、伯爵はふうと嘆息をもらしてブルーを見た。

「いや、お見事です。我々自身が解けるとも思わなかった謎を、ほとんどお一人で解いてしまわれた」

 ワーロック伯爵の表情からは、ブルーの慧眼に対する敬意が感じられた。まるで、この少年に解かれるために謎が保存されてきたかのようにさえ感じられたのだ。

「そういえばブルー君と仰ったが、お名前は何と言うのですかな」

「僕?僕は、アドニス・ブルーウィンドだよ」

 その姓を訊いて、伯爵の目が大きく見開かれるのをナタリーとアーネットは見た。

「ブルーウィンド…なるほど…なるほど」

 伯爵は、目を閉じて何かを思い出したように頷いていた。その意味はブルーを含む三人ともよく理解できなかったが、どうやらブルーウィンドという姓が、伯爵にとって何か重要な意味を持つらしい事はわかった。

「ブルーウィンド君、君のその姓が持つ意味を、いずれ理解する事になるかも知れません。今回の出来事は、その先触れかも知れない」

 伯爵の言葉は、ブルーにはよく理解できなかった。

「どういう意味?」

「私が言う事は許されない。だが、王族や貴族、教会の人間の一部には、君の現在の姓の由来を知っている者がいる、とだけ言っておきましょう」

 それは、今回の事件を持ち込んだ、ヘイウッド子爵グレン・ヘンフリーが言っていた事の説明にもなる。ヘンフリーは、ブルーの姓がまるで貴族か、それより上であるかのような含みのある事を言っていた。

「まあ、そのことが今回の件と直接の関係があるのか、それは私にはわかりません。私としては、秘密箱の謎の一端がわかった事に驚いています」

 伯爵はそう言うが、ブルーの出した結論は推測に過ぎない。一応、それについては念を押しておこうと思うブルーだった。

「伯爵、僕の推測は全然当たってない可能性もあるからね。この場所に調査隊を送っても、財宝が見つかる保証はない、って事は言っておくよ。調査隊の命の保証もできないし」

「ははは、なるほど。肝に命じておきましょう。しかし、何しろ命がけの難所だ。まあ当分の間は、調査の計画など立てるつもりはありませんよ」

 本当だろうか、と魔法捜査課の三人は思った。伯爵家なら、明日にでも調査隊を用意できるのではないか。いずれにせよ、秘密箱にまつわる謎は魔法捜査課が関わる領域ではない。

 

 伯爵やブルーの会話をよそに、アーネットが頭を悩ませているのは全く別な問題についてだった。考えたすえ、アーネットはひとつの解決法を思い付いた。

「ワーロック伯爵、我々は事件について報告をまとめ、上に提出する義務があります。しかし、指輪の存在を口外するわけには参りません。報告書には、どこまで書いて良いのでしょうか」

 ここでアーネットは言葉を切った。ナタリーは横目でアーネットを見ながら心の中で、策士め、と毒づいた。

「ああ、そういう事でしたら私の方から警察に申しておきましょう。報告書は書かないで済むよう取り計らっておきますよ」

 と、ワーロック伯爵はごく簡単に申し出た。やった、権力バンザイだ、とアーネットは内心で思いながら、伯爵に丁寧に礼を言った。

「ありがとうございます。今回は伯爵のお役に立てて、光栄です」

 何が光栄だ、とナタリーは呆れていた。要するにアーネットは、休日の前に報告書を書くのが面倒くさいという、極めて私的な怠慢のために伯爵を利用したのだ。ある意味肝が座っているとも言えるが、とんでもない刑事である。

 もっともナタリーも、自分だけワーロック邸のランチという幸運に恵まれた負い目もあるので、何も言わない事にした。


 おおかたの解決は見えてきたが、ひとつ気になる事がナタリーにはあった。

「ワーロック伯爵。今回の捜査の過程で、我々はここオールドリッチ家に伝わる秘密に触れてしまいました。これについては、どうすれば良いのでしょうか」

 伯爵の答えはまたも明快であった。

「口外なさらないで頂ければ、それで十分です。今回の出来事で、お三方のことは信頼しておりますので。それに、また何かこんな事件が起きた時は、再び厄介になるかも知れません」


 こうして、後々三人の間で、五指に入る変な事件として語り種になる出来事が、ようやく終わりを迎えようとしていた。

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