格差社会
「……ディストピアですわ」
私達の自室に入るなり、ブライトン少尉はそう言った。
「えっ?」
「仰るとおり、我が国はディストピアと批難されても仕方ございませんの」
彼女を応接間に通し、詳しく話を聞くことにした。
「私のイメージするディストピアというのは、なんというか、こう、コンピューターに『市民一二三四番、レベル二で清掃作業に入れ』『市民、幸福は義務です』『偉大なるブラザーがあなたを見ている』みたいに四六時中監視され自由を制限されるやつですが、合ってますか」
するとブライトン少尉は眉をひそめる。
「……小説の読み過ぎですわ。そんなことをすれば暴動が起きますわよ」
「安心しました」
「……ただ、あなた方の社会と比べれば、大きな格差が存在する社会ですの」
「格差って、さっき仰っていた専門市民と一般市民とかいうやつですか?」
「ええ。建前上は平等で自由ですが、一般市民と専門市民とでは
「資源割当量?」
「個人や団体が、一日に消費できる資源量の指標値ですわ。概ね電力量とイコールですわね。あらゆる行政サービスを利用する際に、受益者負担として消費するのですわ。食事や日用品の配給、入浴や排泄物の処理、医療、教育……それら全ての自由が資源割当量の制約を受けますの。しかも前借りも貯金もできませんのよ。私達は資源割当量という数値に支配されているのですわ」
つまりうっかり資源を使いすぎると、トイレも流せなくなるのか……。それは嫌だな。地味に尊厳を削ってくるタイプのディストピアである。
「一般市民が専門市民になることはできるんですか?」
「できることになってはいますわ。しかし、事実上不可能ですわ。例えるなら、下士官が士官になるには士官教育を受ける必要がありますわね?」
「はい」
ある意味、ルナがそんな立場である。
「ですが、その士官教育を受けられないのですわ。それは資源割当量の問題だけではなく、専門的な教育は専門市民の家庭教育として独占されていますのよ」
「なぜそんなことに?」
「この国の創始者は宇宙ミッションに参加した軍人ですの。火星の厳しい環境を生き抜くためには、封建的な形が適していたのですわ。そして初期の社会においては、社会機能を維持するために、軍に準じる階級制度や、その世襲が合理的だったのですわ」
「つまり、専門市民と一般市民はその名残なのですね」
「ええ。国王は元帥、爵位は将官、専門市民は士官、一般市民は下士官と考えていただければほぼ間違いはございませんわ。それは、当初は合理的なシステムだったのでしょう。しかし、代を重ねるうちに、教育の機会や、資源割当量は既得権益と化し、格差が固定化してしまっておりますのよ」
「ちなみに、失礼ながら、ブライトン少尉はどのようなお立場なのですか?」
「私の家は代々、研究開発卿として公爵位を受け継ぐ専門市民の家系ですわ」
「え……研究開発卿といえば、確かデイモス・ブライトン……ですよね! 少尉はご息女だったんですか!?」
だから、立ち振る舞いが貴族っぽいのか、この人は。
「ええ、そうですわ。ただ、身内の私が申し上げるのも何ですが、呼び捨てはよろしくありませんことよ」
そういえばそうだった。地球の感覚では、政治家の名前そのものが本人の名誉や栄光を表す敬称であり、呼び捨てには敬意を含んでいる。しかし、爵位が将官の階級の言い換え……ということは、さしずめ公爵は提督、しかも大将ということか。確かに提督を呼び捨てにしたら、軍法会議ものである。
「すみません。ええと、デイモス・ブライトン公爵……ですね。少尉のことはエレノア様とお呼びしたほうが良いのですか?」
「……公団の職務外では、そうですわね。少なくとも公の場では…………」
ブライトン少尉は、なぜか寂しそうな表情を浮かべる。
ちなみに、火星ではシンプルに家名=爵位名であるようで、「ブライトン公爵 デイモス・ブライトン」と呼ぶよりは「デイモス・ブライトン公爵」や「研究開発卿 デイモス・ブライトン公爵」などと呼ぶのが一般的なようだ。ちなみに、娘であるブライトン少尉は「エレノア・ブライトン公爵令嬢」と呼ぶのが正式な呼称らしい。
「……先ほど、もっと良い物を食べているか問われましたわね?」
「はい」
「ええ。わたくし、アストロ・レールウェイに入職して、驚きましたのよ。それまでのわたくしの無知は……まことに恥ずべきことですわ」
「そんなに食料が不足しているのですか?」
「いいえ、原材料は足りておりますわ。けれども、エネルギーの問題がございますの。フードレプリケータでまともな料理を提供するには数百倍のエネルギーが必要になりますわ。そして、これが一番の問題なのですけれど、専門市民に無関心が蔓延っていますのよ。かつての私のように」
「……家庭料理とかはないのですか?」
「……既に失伝しておりますのよ」
……これ、私よりもシェフを派遣して貰った方が良かったのでは。
「これは私個人の意見ですわ。どうか、ご内密にしてくださいませ。ブライトン公爵家の人間がこのような発言をしたことが知れたら……考えるだけでも恐ろしいですわ」
「何故そのようなことを我々にお話くださるのですか?」
「……さて、どうしてかしらね」
ブライトン少尉は、すっと立ち上がって窓辺に歩み寄る。
「ご覧になって。美しい夕焼けですわ」
沈み行く夕陽に、空が青く染まっていた。この神秘的な光景が火星の夕焼けである。
「私はこの美しい星を愛していますのよ」
彼女は憂いに満ちた目で、ずっと先の未来を見つめているように見えた。
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