第二章 波乱の火星編

セクション4: ディストピア飯改革

入国審査


 私とルナは、火星の寒空の下、粉まみれのビショ濡れ姿になっていた。


 つい先刻のことである。


 火星地上仮設駅のプラットホームに降り立った瞬間、防護服の白装束達に、殺虫剤や消毒液を浴びせられたのである。


「歓迎されてるね」

「……」


 式典とまでいかなくとも、もう少し、なんかこう、お偉いさんに握手を求められたりするものではないのか。


 どこまでも広がる不毛な荒野。そよ風にざわめく与圧用フォースフィールド。赤茶けた景色に心が荒む。


 忌々しい白装束達と入れ替わりにやってきたのは、火星アストロ・レールウェイ公団の制服を身につけた若い女性だった。結い上げた金髪に端正な顔立ち。そして自信に満ちた碧眼。その歩き方にはただならぬ風格が漂う。しかし肩章を見ると、階級は少尉だ。


 ちなみに、火星アストロ・レールウェイ公団の制服は地球の制服の色違いで、ライトベージュと臙脂色のツートンである。


 彼女は笑顔で私に手を差し伸べた。


「ごきげんよう。火星エリシウム王国へようこそいらっしゃいました。貴殿のこの国へのご訪問を、心より嬉しく思っておりましてよ。まことに光栄でございますわ」


 火星公用語である。まあ、ほぼ英語なのだが、それにしても、華美な修飾語の多い勿体ぶった言い回しである。一体この人は何者なのだろうか。外交プロトコル上同格の人として少尉殿のお出迎えなのだろうが、それにしては立ち振る舞いが何となくお貴族様っぽい感じで鼻につく。


「歓迎に心より感謝いたします。火星のが身に染みましたですわ」


 私も回りくどい火星公用語で返答する。もちろん嫌味である。しかし、ルナは私の裾を掴んで、首を横に振る。それ以上言うなと。


「……あら? どうなさいましたの?」


 少尉殿はようやく、私達の異変に気がついたようだった。引っ込めようとする手を、私は強引に掴み、両手で包むように握手する。殺虫剤とエタノールでベトベトの手で。


 引き攣った笑顔で、手を引こうとする彼女。ニンマリと、両手で力を込めて、それを阻止する私。


「私は地球アストロ・レールウェイ公団のヒカリ・サガ少尉です。こちらは補佐と指導役のルナ准尉。私の妹です」

「私は火星アストロ・レールウェイ公団のエレノア・ブライトン少尉ですわ。私のことはブライトン少尉とお呼びくださいませ。あなた方は、サガ少尉、サガ准尉とお呼びすればよろしくて?」

「あ、いえ、私のことはヒカリ少尉、彼女はルナ准尉とお呼びください」

「あら」

「私達の文化ではファーストネーム呼びがスタンダードなんです。家名や血縁関係というのは重視されていなくて、家名があるのは私の家ぐらいなんです。例えば、私の家名はサガですが、ルナには家名はありません。ルナは法的には妹ですが、血や家の繋がりはないんですよ」

「まぁ、そうなんですの。お二人とも、そうは思えないほどそっくりでいらしてよ」

「えへへ~そうですか?」


 ブライトン少尉は、私の手が緩んだ隙を突いて強引に手を引き抜いた。やられた……。


 私達は、ブライトン少尉に先導され、プラットホームから地面に降りると、ジャリジャリと酸化鉄の砂を踏みしめながら、巨大なドームの方向へと向かった。あれがエリシウム・プラニティア第一コロニーである。


「直径約四キロメートル、面積は約十三平方キロメートルございますのよ。地球流に東京ドームに例えれば――」


 鼻高々で説明するブライトン少尉には悪いのだが――。


「ああ、すみません。東京ドームはもう地球にないんですよ」

「あら、そうでしたの」


 時の経過とは残酷である。


 まあ、現在あるもので面積を例えるなら、コーベ市旧ナガタ区エリア、あるいは、国定史跡トーキョー・チヨダ遺跡あたりだろうか。それ故に、もはやドームというより城壁である。


「壮大ですね……」


 ドームへ向かう道にはまだ人工重力が整備されていないらしい。文字通り身が軽く、普通に歩いていても、ウキウキ気分でスキップしているような感じになってしまう。こんな粉吹きベトベト星人でもなければ、本当にスキップしたいところなのだが……。


 ドームの外壁は、年季の入った宇宙船のようなディテールである。モジュール化された金属パネルや透明の樹脂パネルが整然と並んでおり、新しい部分と、朽ち果てそうな部分が混在している。数百年もの間、人手によって絶えずメンテナンスされ、新陳代謝を繰り返してきたのだろう。人々の暮らしを守り続けてきた、その長い歴史が目に浮かぶようだ。


 その一角に、人一人がようやく通れるサイズのハッチがあった。


 ハッチを開け、エアロックを抜ける。


 そこには、まるで葬式の受付のような簡素な入国審査場があった。審査官達は我々パウダー星人の容姿を見て怪訝そうな顔をしつつも、事務的にパスポートにスタンプを押す。


 ……人類史を見ても、惑星間を跨ぐ初の入国審査という歴史的瞬間のはずなのに、いまいち気分がアガらないなぁ。


 私達は狭い通路をさらに奥へと進んで行く。


 見栄えよりもメンテナンス性を重視してのことだろう。壁面や天井には露出配管が多い。ということは――。


 もしかして、ここはユートピア!?


「ブライトン少尉、あれは何のコンジットですか?」


 興奮気味に私が訪ねると、ブライトン少尉は眉をひそめる。


「暖房に供給するための熱水管ですわ。どうかされましたの?」

「私はコンジットを愛好……いえ、ライフワークとして研究しているものでして。学位論文もコンジットだったんですよ。なるほどなるほど、熱水のコンジットかぁ~」

「……変わった呼び方をされますのね」

「えっ、コンジットって言わないんですか?」

「もちろん、conduitも間違いではございませんわ。しかし、火星ではconduitというと主に電線を格納する導管のことですの。液体や気体の導管には主にpipeやtubeという単語を用いますのよ」


 ショック! ショックである。


 夢に見た火星のコンジットは、コンジットと呼ばれていなかったなんて!


 地球公用語は、エスペラント語をベースとしたクレオール言語であり、技術用語はほとんどが英単語だ。英語ベースの火星公用語ならば、そのまま通用するはずであった。しかし、二世紀半のうちにニュアンスが変わってしまっていたとは……。よよよ~……。


「姉様、大丈夫ですか?」


 そう言って、ルナが私の身体を支える。呆れた表情である。


「火星ではコンジットじゃなかったなんて」

「はぁ……。パイプでもチューブでも、コンジットはコンジットですよ。呼び方で愛情が変化するんですか」

「それもそうだね!」


 ルナは溜息を漏らした。


 さすが、全権アクセスを要求し、私の頭のデータを根こそぎ吸い出したルナである。妙に私の理解度が高い。


 コンジットといえば、本能が赴くままに頬ずりしたいのが私だ。ただ、さすがにキサンタンガム・ネチョネチョエイリアンと化している今はマズいのは分かっている。コンジットを愛でるときは身体を清めなければならない(?)のである。


 そんなこんなで、ようやく通路を抜けた。


 一気に開ける視界。それは、まさに絶景であった。


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