衝撃に備えよ


 通路に出た瞬間だった。突然、足下がぐらつき、前につんのめる。けたたましい警報音とともに、赤いランプが点滅した。


『警告、急制動、衝撃に備えよ、衝撃に備えよ』


 自動音声が流れ、私たちはお互いに顔を見合わせた。それは、重力補正で間に合わないほどの急減速を行っているということだからだ。


 とっさに車端部の手すりを握り、二人身を寄せた。


 車窓には、非常用の推進エンジンが出力最大で逆噴射している、その推進剤の蒸気が見える。


「ん、ぐぐぐ……」


 すさまじい減速度に、車端部の壁に押しつけられる私たち。ルナの華奢な身体が私にめり込んでしまうのではないかと思うほどであった。


 しばらくして、列車は静止した。減速度から解放された私たちは、駆け足でブリッジを目指す。


「OKコンピューター、緊急入室許可を」

『入室を許可』


 扉が開くと、ブリッジは騒然としていた。


 前方の窓に、進路上をゆっくりと横切る小惑星が見えている。良かった。訓練用シミュレーションとは違って、衝突前に停車できたようだった。


 カエルム船長は、シエラ副長に尋ねる。


「今朝のデータでは、コース上に小惑星はなかったはずだが、原因として何が考えられるだろうか?」

「大型小惑星の影に、不規則な動きをする別の小型の小惑星が隠れていたのかもしれません。あるいは、外的要因で小惑星が割れたのか……」

「確かに、どちらの可能性もありそうだな。よし、近距離センサーで時間差で複数回スキャンして、インシデント報告に添付しておいてくれ」

「了解しました」


 二人の会話が終わるのを待ってから、私は船長に話しかけた。


「船長、報告があります」

「どうした」

「五号車亜光子渦流取込装置パンタグラフ下のコンジットの音が変です。今すぐ亜光子コンジットの状況を調べてください」


 パイロットのクレイ中尉が、顔をしかめる。


「それ、今報告することか?」


 オタクの戯れ言と思われたのだろう。すると、ルナが援護してくれた。


「私からもお願いします。急制動前から、通常に比べて異音が混じっています。最悪の場合――」


 ブリッジの照明が瞬間的に停電する。フォーォォオオオンという情けない音ともに、コンソールパネルの電源が一つ一つ落ちていく。再び照明がチラつき、その頻度が増していった。


『警告……電圧…………』


 コンピュータの自動音声も力尽きる。


 やがて照明がすべてオレンジ色の非常灯に切り替わった。


「――こうなります」


 手遅れだった。


 徐々に人工重力が薄れ、身体が宙に浮き始める。慌ててシートベルトを着用する船長。クレイ中尉、シエラ副長もそれに続く。


「サリー少尉、何が起きた」


 しかし、返事がない。


「少尉!」


 サリー少尉は先ほどの急制動で頭を打ったのだろうか、意識を失ったまま宙に浮かんでいた。


 私は考えるよりも先に身体が動いていた。もう床には足か届かない。左右に目を走らせると、近くに浮かぶルナの姿が見えた。私は手を伸ばし、彼女の身体を引き寄せる。


「ルナ准尉、私をサリー少尉のところへ」

「了解、ヒカリ少尉」


 ルナは私の背中に回り、器用に方向転換すると、狙いを定めて、トンと前に押し出した。私はゆっくりとサリー少尉に接近する。そのままサリー少尉を脇に抱え、壁に到達。壁伝いに補助席まで移動し、彼女をシートベルトで固定する。


 呼吸と脈拍を確認し、ほっと胸をなで下ろす。


「気を失っているだけのようです」

「少尉、良くやった」


 次に私は壁を蹴り、運用主任用のコンソール席に向かう。不格好にコンソールにしがみ付き、なんとか着席。シートベルトを着用した。


「船長、交代の許可を」


 私がそう言うと、クレイ中尉は、疑念の目を私に向ける。


「何するつもりなんだ?」

「ひとまず最低限の機能を回復します」

「できるのか」


 と、船長が身を乗り出して問う。


「訓練で何度もやりましたから」


 まあ、生存者ゼロだったんですけどね。


「よし、やってみろ」

「了解」

「……本当か~?」

の底力を舐めないでください。うへへ」


 私はコンソールに頬ずりする。スベスベでほんのりと感じる温かみが心地よい。さあ、愛しのコンソールちゃん、私に力を貸しておくれ。


 そういうことはよそでやってくれ、と言わんばかりの冷ややかな視線が集まる。しかし、これはただの趣味というだけでなく、意味のある行動なのだ。しばらくすると、コンソールに光が灯った。そう、これはセーフモードで起動するための隠しコマンドである。一定以上の面積で三箇所以上接触し、なおかつパネルの下の隅から上に向かってスワイプするのが条件である。ぶっちゃけ、頬ずりすること自体は要件ではない。趣味である。


 コンソールには、古き良き文字ベースのコマンドラインプロンプトと、これまた古き良きQWERTY配列のスクリーンキーボードが表示された。これなら動的なグラフィックを表示しない分、低電力で起動でき、動作時間も稼げるのだ。


 コマンドリファレンスは頭に入っている。


 素早くコマンドを打ち込み、コンソールのローカルストレージに記録されている最後のログを確認する。


「ログによると、亜光子タービン、停止。出力ゼロ。予備電源の残りはわずかです」

「何だって!? 予備電源は三日は持つように設計されている」


 予想外の報告だったのだろう。船長は一瞬動揺する。


「亜光子タービンの出力が低下して、それを補うために予備電源が少しずつ使用されていたようです。ところが、センサーのキャリブレーションのタイミングが悪く、警告が出なかったのでしょう。先ほどの急減速でイオンエンジンを併用したのがトドメになったんだと思います」


 これ以上はセンサーシステムが復旧しなければ分からない。


 原因はともかくとして、もしそのデータが正しければ、今、我々には救援を待つ電力すら残されていないのである。それは小惑星以上の重大インシデントであった。


「本当かそれ」

「にわかには信じられません」


 クレイ中尉とシエラ副長は懐疑的だ。


「だが、今は最悪を想定する必要があるかもしれない。ヒカリ少尉、システムの復旧を急いでくれ」


 船長の声に促され、作業を続行する。


 さしあたって今必要なのは、通信システム、センサーシステム、非常用の推進エンジンの制御システムだ。人工重力も欲しいが、しかし亜光子渦流取込装置パンタグラフが亜光子を上手く取り込めていないならそれは叶わない。


 不要なシステムモジュールへの電源供給を停止していく。と、同時に、訓練車や荷物車、食堂車、寝台車の予備電力をかき集め一号車に回す。


「これでどうだ」


 私がエンターキーをタップすると、ウォーンという低い音ともに、船長、副長、パイロットのコンソールが復旧した。続いて、ブリッジの照明も三分の一を復旧させる。


 私はテストも兼ねて、医務車に連絡を入れる。


「医務車、ブリッジに負傷者がいます。呼吸はありますが、意識がありません」

『了解。急行します』


 私は船長に振り向く。


「船長、通信システムが復旧しました。ただし、ボイスコマンドは使えません」

「充分だ」


 船長は自らのコンソールパネルを操作する。


「パン-パン、パン-パン、パン-パン、地球指令、こちら九〇〇一列車。我々は電力と人工重力を喪失して現在立ち往生している。原因は調査中。小惑星との衝突を回避した直後に発生。座標送信中。救援求む」


 もし地球指令から応答があるとすれば、三分後だ。通信装置が正常に機能していることを願おう。


「ブリッジより、機関部、応答せよ」

『船長、こちらエド』

「エド少佐、どうなってる」

『すまねェ。亜光子タービンが異常振動を起こしやがったから、やむなく全発電機を緊急停止したんだ。集中発電機、分散発電機ともに再始動しようとしてるが、異常振動でまともに始動できねェ』


 エド少佐の報告によると、これまで異常振動の傾向があったが、緊急停車直前から徐々に異常振動が大きくなっていたようだ。それが、私たちが聞いたコンジットの音だったのだろう。


 シエラ副長が、コンソールパネルを操作し、センサーの測定値を確認した。


「センサーは、地球からの亜光子渦流も、火星からの亜光子渦流も検知しています。少なくとも外部カメラによる目視では、亜光子渦流取込装置パンタグラフに異常なし。物理損傷の可能性は低いかと」


 だとすれば、異常振動は何が原因なのだろうか。


「クレイ中尉、非常用推進エンジンはどうだ?」

「各エンジン、推力全開換算で十秒分しか残っていません」


 クレイ中尉は報告しながら、頭を抱えた。この事態に一番堪えているのはクレイ中尉のようだ。


「ヒカリ少尉、タイムリミットは?」

「悲観的に見積もって、予備電力あと一時間です。酸素は約五日生存可能……ですがヒーターが機能していないので――」


 徐々にしどろもどろになる。ルナが浮遊しながら私の近くにやってきたので、視線を送って助けを求めた。彼女は、私の手を取って着地する。そして、説明を引き継いだ。


「気温が氷点下になるまで約三時間、そして約一日で我々が生存不可能な気温まで下がります。地球からの救援車両が来るとすれば、三日後です。最後に生き残る可能性があるのは、ヒカリ少尉です」


 えっ、私……。


 ルナの口ぶりは冷静だったが、その手は震えている。彼女は私の手を放そうとしなかった。


 新人類の弱点、それは極端な暑さ寒さに弱いということだ。旧人類なら奇跡的に助かるケースでも、新人類は助かる可能性はほぼゼロである。ハイブリッドの私はどうなるかわからない。きっと生き残っても無事では済まないだろう。


 悲痛な沈黙が訪れた。死が極めて純然たるリアルとして目前に迫っている。しかも、即終わりを迎えるのではなく、寒さに凍えながら終わりを迎える未来が、すぐそこに。皆、茫然自失となる。


 その静寂を破ったのは船長だった。


「ハッハッハッ」


 笑い声がブリッジに響く。

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