異音感知


「づーがーれーだー」


 部屋に戻った私は、着替える力もなく、ベッドに倒れこんだ。


「つ……か……れ……た……」

 

 下段のベッドでも、ルナが倒れ込む音がした。


 私はこの三日間、ルナの新たな一面を垣間見ることができた。彼女は何でもできるが、人を教えるのも上手い。こんなに楽しい勉強の時間が今まであっただろうか。いやない。


 車窓には、もう地球の姿はなく、まだ火星の姿は見えない。丁度今、地球と火星の中間地点というところだろう。タイムリミットは一刻一刻と近づいている。


 すると、消え入りそうな声が下段から聞こえてきた。


「……すみません。私が、けしかけたせいで、こんなことに……」

「ごめんね……。私が無能なばかりに、こんなことに……」


 自分を卑下してみたものの、何となく収まりが悪い。ルナが相手なら、もっと素直になって良い気がするのに。私たちはまだ打ち解け切れていない……のかもしれない。


 ルナはいつも通りの不満げな声で応じた。


「……本当ですよ。もし合格したら、ご褒美をください」

「いいよ、何が欲しい?」

「欲しいのはモノではありません。……私を…………いも……いえ、秘密です」


 芋?


「えー教えてよー」

「嫌です」

「ほらほら~お姉ちゃんに話してみな~」

「はぅ!?」

「どした?」

「……気が早すぎます」


 そうだよね。こういうのって、意外と逆サプライズだったりするもんね。無理に聞き出すのも無粋というものだ。


「ごめんごめん。でもさ、合格できても、できなくても、ちゃんとお礼はするよ。勉強、なんだかんだ楽しいからね」

「……楽しい? ……そんな風に感じるんですか?」

「うん、楽しい。ルナは教育係としても活躍できるよ」

「当然です。私は頭が良いので」

「あはは」


 そういう言動は、ちょっと勘違いされそうだけど。


「……でも、少尉には勝てないって思いました。私は、勉強を楽しいと思ったことはないので」

「分かる~。私もルナに教わるまで楽しいって思ったことないもん」

「違うんです。そういうのじゃなくて」

「どういうの?」

「笑わないでください」

「……もちろん、場合によっては笑う」

「……まあいいです。嫉妬です」

「嫉妬」


 それは意外な言葉だった。


「はい。私は嫉妬に駆られて生きてきました。私、火星にいる人達が羨ましいんです。歴史上、最も長い期間、最も遠くまで行った人々なんですよ? 羨ましすぎて我慢できないんです。だから、楽しむ余裕なんて全然ないし、楽しめる少尉も羨ましい。嫉妬します」


 それはいつも通りの声の調子……ではあるけれど、どこか悲痛な、苦しみに満ちた声に聞こえた。


「そっかぁ……」


 私にはルナの気持ちは分からない。私は自分大好きテキトーお気楽人間なので、強い嫉妬心なんて抱いたことがないのだ。人は人、自分は自分。私にとって一番嫌なことは、自分のテリトリーを侵害されることなのだ。でも、それ故に、ルナのテリトリーを侵害していいとも思えなかった。



 ……かくなる上は。


「――じゃあさ、一緒に楽しまない? コンジットの響きをさ」


 に引きずり込む。これならオッケー。


 しかし、ルナは即答する。


「楽しむわけがありません」


 そうは言いながら、私が楽しめて自分が楽しめないことに不満があるに違いない。きっと今は、難しい顔をして壁に耳を当てているはずだ。


「壁に耳を当てれば、美しい音色が……」



――ジャジャジャジャジャジャジャ

――ブーーンガロン……ミシッ



「!?」

「!?」


「ねえ」

「はい」

「音、おかしいよね」

「周期もおかしいです」


 普段は、シャン、シャン、シャン、シャン、という規則正しく心地よい音のはずなのだ。これは何かが起きている。


 私たちはベッドから同時に飛び出した。


「行こう、ブリッジに」

「はい」

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