10-29 生贄! 拒絶を許さぬ悪魔の囁き!

 殺された義姉ナルの仇討ちのため、マークは執務室から飛び出そうと、扉に向かって駆け出した。


 だが、部屋の中にいた“赤毛のトウ”に出入口である扉の前に立ち、これを塞いだ。


 トウはマークに向かって、何度も首を横に振った。


 ここから出てはならない。そう態度で示したのだ。



「どこへ行く、マーク」



「決まっています! 今からアーソに行って、ヒサコの首を取ってきます!」



「止めておけ。ナルの二の舞になるぞ」



「やってみなければ分かりません!」



 ヒーサの言葉を絶叫でかき消し、マークはトウをどかせようとするが、トウも無言で何度も首を振り、ドアノブを握りしめてマークを通すまいとした。


 そこにヒーサが素早く歩み寄り、マークの肩を掴んだ。



「やるまでもなく、結果は見えている。入念な準備を整え、不意を突いたナルでさえ失敗したのだぞ。技量においてナルより劣るお前が行ったところで、失敗は目に見えている。それに、ヒサコもこちらを警戒しているであろうし、面が割れている以上、近付く機会すら与えては貰えぬぞ」



「では、このまま黙っておけと!?」



「そういうことになるな」



「よくも抜け抜けと! ナル義姉ねえやティース様を焚き付けておいて、よくも!」



「焚き付けたのは事実だが、決断したのは二人だ。それをどうこう言うのは、筋違いというものだぞ」



 ヒーサはあくまでも第三者的な態度を崩さず、責任は決断した側にあると言い切った。


 マークにとっては憤激ものの態度ではあるが、目の前の男を殺しても事態が好転するわけでもなく、どころか公爵殺しの罪で自分の主人にまで咎が及んでしまう。


 ティースへの忠義、義姉からの最後の言葉が、ギリギリの理性を働かせ、爆発寸前であった心をどうにか鎮める事が出来た。


 マークは齢こそまだ十二歳の少年であるが、そこは様々な訓練を施された工作員であり、今こそ冷静さを保たねばと、自分自身に言い聞かせた。


 そんな葛藤する少年を見て、ヒーサはまあよく堪えたと称賛の声を心の中でかけ、ゆっくりとした足取りでティースに歩み寄った。


 まだ形見の髪留めを握り、いつ果てる事のない涙を流し続けているが、そんな伴侶の心に土足で入り込むのがこの男である。


 ヒーサは勢いよくティースの横に腰かけ、ソファーのクッションがポヨンと跳ねた。それでティースが一瞬体を浮かせ、正気に戻った。


 しかも、すぐ横には今となってはもう恐怖の対象でしかない夫が腰かけており、慌てて身を離そうとしたが、肩を掴まれ、抱き寄せられた。


 相手の呼吸を感じるほどに近く、恐怖の対象にそれをされるのは気が気でないティースであった。


 以前であれば、この温かい抱擁は幸せを感じる事もできたが、それが全てまやかしであると知った今となっては、ただただ嫌悪の感情しか湧いてこなかった。



「な、なんですか……?」



「ヒサコからの言伝でな、ナルの件は『そっくりさんの暗殺者が襲ってきた』と言う体で処理しておいたから、お前に累が及ぶことはないのだそうだ」



「あの女、どこまでも……!」



 上手くもみ消したから感謝しろ、とでも言いたいのであろうかと、ティースは不快感をあらわにした。


 一応、形としてはナルが仕掛けて、ヒサコがそれを返り討ちにしたということになるが、そもそもの原因が例の毒殺事件における悪行の数々なのだ。


 裏事情を暴かれ、ティースが激高してヒサコに対して復讐を狙った、というのが今回の暗殺計画の発端なのだ。


 それで恩着せがましく秘密は守るなどと言われても、怒り以外の感情など湧いてこなかった。



「とは言え、このまま何もなしに終わらせるのは良くないし、ちゃんと“慰謝料”くらいは払って欲しいわね、とも言っていた」



「この上、私から何を奪おうって言うのよ!」



 ティースはヒーサを睨み付け、最近の運動不足で少々衰えを感じる腕でヒーサの襟首を掴んだ。



「領地も、財産も、家臣も、何もかも奪われた名ばかりの伯爵よ、私は! ここから何を搾り取るって言うのよ!? それこそ、命でも奪うって言うの!?」



「察しがいいな。実は、ヒサコの要求はそれなのだ」



「謝罪代わりに、首を括れって事!? どこまで歪んでるのよ、あの女!」



「いいや、違う。要求しているのは、お前の命ではない」



 そして、ヒーサは膨らんだティースの腹に手を添えた。


 その中には、ヒーサとティースの夫婦の営みによって生み出された、未来こどもが息づいていた。



「ま、まさか……!?」



「そうだ。ヒサコは、そのお腹の中の赤ん坊を要求してきた。今回の騒動の“慰謝料”としてな」



 もはや、ティースは口から放つ言葉すら失った。


 間もなく生まれる赤ん坊、それを寄こせだなどと、とても正気の人間の言葉とは思えなかった。


 だが、ヒーサの言葉には偽りはないと言う事も同時に感じ取った。


 ヒーサは冗談を口にするが、今この場でそれを口にするほど狂ってはいない。発言の内容自体は狂っているとしか思えないが、それでも目の前の男は至って正気であった。



「あ、赤ん坊を、生贄に捧げよと!?」



「ああ、その通りだ。無論、その決定は母親であるティースに委ねるとしよう。此度の一件の不始末、その慰謝料として、その腹の中にいる赤ん坊を差し出すのか否か、さあ、ティースよ、お前が決めろ。それが“被害”を被った妹からの要求だ」



 ヒーサはティースに決断を迫った。


 それは人としてはクズであるし、親としては外道も外道である。


 それでもなお、それを理解した上でヒーサはティースに決断を迫った。


 自分はすでに外道を突き進んでいるが、お前はどうするのか。外道になろうとも生き残ろうとするのかどうか、さあどうすると言わんばかりにその顔を悩む伴侶の顔に近付けた。


 その返答を促すヒーサの顔は僅かな笑みを浮かべ、吐き気を覚えるほどの邪悪な雰囲気を放ち、自らの伴侶に共に外道を歩もうと誘いをかけた。



(う~ん。これで魔王じゃない判定出てるのは、どうなんだろうか?)



 人間の英雄(?)・松永久秀の外道ぶりに、ただただ頭を悩ませる女神であった。

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