10-5 宿木! 巨木を枯らすなら、その前に切ってしまえ!

 ヒサコを暗殺せよ!


 ヒーサより受け取った毒薬の瓶を眺めつつ、ナルは悩んだ。


 目の前の毒薬は画期的であった。動かぬ躯となった実験台の囚人を見ればわかる様に、この毒には一撃必殺の威力がある。


 しかも、特殊液と結合しなくては効力を発揮しないと言う特性は非常に便利だ。無差別に毒を盛ったとしても、標的にのみ特殊液を飲ませる状況さえ作れば、毒を盛った状況を隠匿しやすい。


 ナルとしては、いずれ機会があれば刺し違えてでもヒサコを殺すつもりでいたため、この毒薬は非常に助かると言うものだ。暗殺を実行した上で生還できる可能性がグッと上がるからだ。


 だが、それの判断をするのは自分ではない。あくまで、決定権は主人であるティースが持っている。


 どうなさいますか、とナルは無言でティースに視線を向けた。


 それに気付いたティースは、少しの間考え込み、そして、口を開いた。



「ヒーサ、いくつか質問をよろしいですか?」



「いくらでも答えよう、我が愛しき妻よ」



 なれなれしく話しかける夫に、ティースは嫌悪感を覚えた。


 現在、二人の関係は実質破綻状態にある。ヒーサが例の毒殺事件の裏の事情を知りながら、ヒサコを庇うがごとく情報を隠匿していたからだ。


 家族の復讐とカウラ伯爵家の名誉回復を第一に考えていたティースにとって、それは耐え難い事実であり、夫への不信感を増大させていた。


 だが、ギリギリのところで完全破綻は免れていた。


 理由は自分の腹の中にいる子供だ。


 子供は未来そのものであり、カウラ伯爵家の復興には欠かせぬ存在であるからだ。


 ヒーサとの間に幾人かの子供を設け、その内の一人をシガラ公爵家の分家としてカウラ伯爵家を継がせる。


 それが伯爵家復興の最短の道筋であると、理解していたからだ。


 自分に向けていた優しさの裏に潜む悪意と本性に気付いた今となっては、ティースはヒーサを愛することなど一切ない。


 だが、“子種”だけは貰う必要がある。伯爵家復興のためには、目の前の仇に身を委ねねばならないという屈辱に甘んじなければならないのだ。


 その第一歩である、今の腹の子供の事を思えばこそ、今はヒーサとの協力関係を崩すわけにはいかなかった。



(そうこれはごくごくありきたりな“政略結婚”と割り切るのよ。愛情も何もない、ただただ互いの家同士が繋がり、互いの利益となるように動く契約的な関係。そう割り切るのよ)



 ティースは喚き散らしたい感情を抑えつつ、夫との疑似的な夫婦関係を続けねばならない。


 だが、そのためには夫の真意も理解しなくてはならない。


 なにゆえヒサコを暗殺しなくてはならないのか。それをしっかりと把握しておかねば、協力関係など望むべくもないのだ。



「まあ、あれだ。ヒサコが怖くなった。さらに言えば、自分の制御から離れつつあるからだ、とも言えるかな」



 そう言うと、ヒーサはティースの膨らんでいる腹に手を添えた。


 ティースは恐怖とも嫌悪とも呼べる感情が全身を駆け巡り、ビクリと肩を跳ねあがらせた。



「ヒサコがアイク殿下との子供を身籠った、と言う話は前に話したな?」



「夫の葬儀をほっぽり出して、戦場を暴れる様には呆れ返りますが」



「まあな。だが、私はこれはヒサコの芝居だと、最近では感じるようになってきた」



「あまりに都合が良すぎますものね」



 なにしろ、ヒサコとアイクが“夫婦”として過ごした時間は、僅かに一月しかない。


 しかも、その大半は軍務に費やしており、二人きりの時間などはほぼ持ちようがない。


 結婚前にしているたとも言えなくもないが、あの芸術以外にはとんと興味を持たないアイクが、そんな先走った真似をするだろうか、という疑問もある。


 結局、そんなことはなどなかったのではないか、と考えるのが二人を良く知る者の結論だ。



「そこで、想像してみて欲しい。存在しない可能性の方が高いと思うが、もし、ヒサコの腹の中に赤ん坊がいたとしよう。それを利用しないあいつだと思うか?」



 ヒーサの問いかけは、危惧すべき案件であった。


 もし、本当にヒサコとアイクの子であるならば、それはれっきとした王族であり、王位継承権を持つ存在となり得る。


 アイクがジェイクに次期国王の座を譲ったのは、あくまで自身が病弱であり、王の激務に耐えられないと考えたからに他ならない。


 だが、アイクは長男だ。長子相続の伝統のある王国においては、長男の血縁と言うのはかなり強力な武器となり得る。



「あまり考えたくもありませんが、その赤ん坊を前面に出し、王位を狙う可能性もありましょうね。なにしろ、我が子を王位につける事が出来れば、自身は国母となるのですし、権勢を欲しいままにできるでしょうね」



 ティースにとっては、考えたくもない未来図であった。


 あのヒサコが国母として国政を壟断するなど、絶対にあってはならないことであった。


 散々やり合ってきた手前、どんな嫌がらせが飛んで来るか、想像するに難くはない。



「だからこそ、私も身の危険を感じている」



「と言うと?」



「ヒサコは基本的に、何かに“寄生”して大きくなっていく。さながら、宿木やどりぎ蔦蔓つたかずらのように、何かに取り入って天へと昇っていく。そういう人種だ」



「つまり、かつてはヒーサ個人に取りつき、次いで公爵家に絡み付き、王子を食い潰して、最後に王国そのものを乗っ取ってしまうほどに大きくなってきた、と」



 いざ口にしたが、ティースはブルリと悪寒が全身に走り、身震いをした。


 宿主を次々に変え、ついには世界を追うほどに大きくなった宿木は、世界をそのものを絡め取って食べつくすのではと考えると、それは恐怖以外の何物でもなかった。



「つまり、ヒーサもヒサコを危険視している、ということでいいの?」



「腹違いとは言え、あれは妹だからな。色々と大目に見てきた。だが、公爵家以上の寄生先が手に入りつつあるのだ。ならば、色々と不都合な過去を知る私を、ヒサコが放っておくと思うか?」



「消しに来る可能性は高いでしょう。あわよくば、シガラ公爵家の財産すら相続することもできますし」



「それゆえの“先制攻撃”だ」



 先程までおどけていた雰囲気は消え去り、ヒーサには剣呑とした気配を漂わせていた。


 なにしろ、明確に妹を殺すと宣言した上に、最強の毒物まで用意してきた。その本気度がうかがい知れると言うものだ。


 判断に迷うティースであったが、そこにナルがヒーサとの間に割って入った。



「随分とまあ、虫のよろしい事で。面白い毒は用意すれど、あくまで実行役はこちら。ご自身の手は奇麗なままですか」



「ああ、立場の差というものだよ。こちらは“善良かつ理知的な領主”でいなくてはならんからな。手を汚すのはいつも他の誰かだ。それが今まではヒサコの役目であったが、もはやあれは制御できなくなった。だから別人にやってもらう。よろしく頼むよ、暗殺者よ」



「仮面をかぶり続けるのも、大変でございますね」



「いやはや、まったくもってその通りだ。外面は良くしてなければな」



 皮肉や嫌味の応酬であるが、ヒーサもナルも表情一つ変えず、淡々とぶつけ合った。


 とはいえ、ナルとしても悪い話ではない。


 ナルの目的は二つ。“ティース個人の幸せ”と“カウラ伯爵家の復興”だ。


 前者はかなり絶望的だ。裏の事情を知るまでは、ヒーサとは仲睦まじい夫婦であったが、毒殺事件に加担していたと気付いた以上、ティースの心はヒーサから離れてしまった。


 ここから寄りを戻すのは、“余程の事”でもなければ不可能だろう。


 唯一の希望があるとすれば、それはやはり腹の中にいる赤ん坊の件だけだ。


 子供の誕生が双方の変化をもたらす可能性がある以上、なにより主人の子供であるならば、慣れぬこととはいえ、子供の面倒をしっかり見るつもりでいた。


 そして、伯爵家の復興もまた、子供がカギを握っている。


 関係が冷え切ってしまった以上、二人の間にこれ以上の子が産まれるかどうかは微妙なところだ。


 そうなると、腹の中の子供だけが、ティースの、カウラ伯爵家の血を引く正統な後継者となる。


 次の代では無理でも、次の次の代に繋がる可能性がある唯一の希望だ。


 そう考えるからこそ、ナルとしては選択の余地はなかった。



(そうだ。ティース様のためには、たとえ私が犠牲になるような事があろうとも、道を切り開かなければならない。ああ、本当に嫌な男だ)



 ナルは不敵な笑みを浮かべて、決断を迫るヒーサを睨み付けた。


 どうすることもできないが、これが成功すれば未来を切り開くことができるとも同時に考え、了承の証としてヒーサに対して、ナルは頭を垂れた。

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