9-20 放出! 人質はお返しいたします!
それはまるで、決壊した堤防から押し寄せる濁流のようであった。
宿営地となっている陣地から、帝国軍が我先にと飛び出してきたのだ。
ある者はけたたましい叫びと共に怒りをあらわにし、あるいは涙と悲しみを胸に抱いて得物を手に取り、また別の者は暴れられる機会を得たと嬉々として、それぞれの想いを胸に突っ込んできた。
迎え撃つ王国軍はすでに布陣を終えており、万全の体勢で迎え撃つ態勢が整えられていた。
中央には銃兵と槍兵が列を成し、両翼には騎兵が待機し、中央後方には工兵と弩兵がいた。
「まだよ! 焦らないで! もう少し引き付けなさい!」
挑発に成功したヒサコは、素早く撤収して、銃兵の射線の邪魔にならないよう、中央後方から指揮を執っていた。
迫りくる敵の波に、待ち受ける側も緊張感が高まっていた。
闇雲な突撃とはいえ、数が数である。数千もの敵兵が真っすぐ向かって来ており、陣地からも次々と飛び出してきており、数の上では明らかに相手が勝っていた。
だが、ヒサコは慌てない。勝つための算段はすでに打ってあるからだ。
「今よ! 工兵! 『
ヒサコの合図とともに、それは解き放たれた。
数百に達しようかと言うそれは、隊列を組む銃兵や槍兵の隙間を縫うように飛び出し、迫ってくる亜人の群れに駆け寄っていた。
王国軍側から飛び出したそれは、“亜人”であった。
正確には捕虜となり、強制労働させられていた、近隣の村々の住人であった。
基本的には戦意旺盛なアーソの兵士らによって、ほぼほぼ皆殺しになっていたが、一部は様々な労役に駆り出すために生け捕りにされ、強制労働に従事していた。
先程の挑発の材料にされた亜人達も、それの一部であった。
そして今、その残り全員が縄を解かれ、檻から飛び出し、向かってくる“家族”の方へと必死で駆けだしたのだ。
ようやく解放された安堵感か、あるいは
なにしろ、死と隣り合わせの日々を、村が襲撃されたその日から過ごしてきたのだ。
過酷な荷物運びや、千切り取られた同胞の“左耳”を数えさせられ、ちょっとでもサボろうものなら容赦なく斬られ、何人の見知った顔が死に絶えたか。
それを思えばこそ、早く逃げたかった。
だが、その捕虜の解放こそ、さらなる混乱の呼び水となった。
現在、ヒサコの目の前には、自軍の四倍以上の数に達する帝国軍が存在する。
いくら装備に差があるとはいえ、これとまともにぶつかるのは得策とは言えない。
しかし、ヒサコの眼には、敵軍が大きく分けて、三種類に分類できるのが見て取れた。
「助ける者、暴れる者、見ている者、ね」
ヒサコはそう呟き、それこそ付け入る隙だと確信した。
まず、“捕虜の救出”ないし“同胞の復讐”のために動いている部隊だ。
皇帝や黒衣の司祭がいない以上、基本的には部族や種族単位で部隊が動いている。
そのため、今し方殺された
次に“暴れる事を目的とした者”の集団である。
帝国には法律がなく、力こそが唯一無二の掟であった。力を誇示することは己の存在意義を示すことであり、皇帝に破れて勢力に組み込まれたとはいえ、その本質に変わりはない。
力を周囲に見せつけ、より高い地位や名誉を皇帝の旗の下で得ようとする者はいくらでもいた。
最後は“見ている者”だ。
突撃には参加せず、陣地に留まって、様子見に回っている者もかなりの数が存在していた。
そもそも、皇帝は各部族を従属させるために己の力を示す必要があったため、それぞれの最強の戦士や指導者を屠り、力を誇示してきた。
それゆえに、指導的立場の者を失った部族も多く、まとめ役を欠いている有様であった。
力と恐怖で支配する皇帝がいれば、その指示一つで動くであろうが、そうした積極性を発揮する場面でもないため、動かない、あるいは動けない部族もかなりいるのだ。
助ける者、暴れる者、動かない者、これが帝国軍の現在置かれている状況だ。
皇帝も黒衣の司祭もなく、指揮統率に統一性が無い。ゆえに、動きはバラバラで、目的や動機、思惑もまとまりを持たない。
しかも、各部族の一番の使い手は、皇帝に挑みかかって破れて殺されている者が大半であり、そう言う意味においては弱体化していた。
部族を束ねる者すら不在で、ただなんとなしに言われた通りに宿営地に集っている。そういう集団もかなりの数に上っている。
そんな各々が好き放題動いている状態の中に、“捕虜の解放”が起こった時、どうなるであろうか。
答えは“支離滅裂”である。
助けに走った者は、当然捕虜の解放を見て喜び、戦意はそこで萎えて、見知った同胞との再会を喜ぶこととなった。
だが、“暴れる者”からすれば、折角敵陣に向かって斬り込んでいる最中だというのに、その進路を塞ぐ格好で現れた別種族の捕虜など、邪魔でしかないのだ。
邪魔ならば切り捨てる。それは帝国の住人ならば、ごくごく当然のやり方であった。
問題があるとすれば、切り捨てた解放された捕虜の身内が、すぐ側にいたということであろう。
「邪魔ダ、ノケ!」
「ギャ! 何ヲスル!?」
当然、助けに来た側からすれば、目の前で家族が殺されれば怒り狂うし、得物の向かう先は人間ではなく、家族を殺した友軍ということとなる。
たちまち同士討ちの発生だ。
「コノ野郎!? ソレハ俺ノ女房ダゾ!」
「ウルサイ! 邪魔ダ!」
敵陣に斬り込みたいからと、進路を妨害する解放捕虜を排除しようとする者、それをさせまいと家族を助けるために争う者、それぞれの立場で斬り合った。
烏合の衆、指揮官不在、明確でない目標、これらが重なり合って出来上がった混乱だ。
そこに“敵の銃口”が向いているということを失念した、大きな失策であった。
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