8-30 射抜かれた!? その弓矢には抗えぬ毒が仕込まれていた!

「なあ、アスティコスよ」



 ヒーサの呼びかけに、アスティコスは露骨に嫌そうな顔をして振り向いてきた。姪との楽しいひとときを邪魔されたからであるが、ヒサコの兄と言う警戒心が働いているというのもあった。


 アスティコスはヒサコに散々やり込められているので、この世で最も警戒すべき人間という認識があった。その兄であるヒーサも同類と見なしており、警戒感が強く働いていた。


 ただ、ヒサコの兄とは思えないほどに礼儀正しく物腰柔らかで、しかもアスプリクも懐いていることから、ヒサコほどの悪印象は今のところなかった。



「なんでしょうか?」



「ヒサコから、アスプリクに渡して欲しいと頼まれた物が確かなかったか?」



 無論、ヒサコは自分自身でもあり、何を渡すかを依頼したかは知っていた。忘れないうちにさっさと渡せと促したのだ。


 しかも、ヒーサの足元には、いつの間にか黒犬つくもんが控えていた。姿こそ愛くるしい黒毛の仔犬であったが、アスティコスにとっては魔王にも等しい怪物でもあった。


 脅されてやむなく、と言った感じで一度席を立ち、運んできた荷物の中から“弓”を取り出してきた。


 それをアスティコスはアスプリクに差し出した。



「叔母上、これはなんですか?」



 弓である事には間違いないが、とんでもない強力な術具であることは、術士であるアスプリクにはすぐに分かった。


 風の精霊が常駐しているようであり、強力な武器だと掴んで見てすぐに確信した。



「それは『風切の弓ゲイル・ボウ』という弓よ。矢をつがえると、そこに風の力が宿り、狙いを定めたものに飛んでいき、どこまでも追いかけていくわ」



「へぇ~、長射程、しかも追尾機能まで付いた弓か。そりゃ強力だわ」



「私の父であり、あなたの祖父でもあるエルフの、形見とでも思ってて」



 ヒーサから聞かされていたため、祖父が死んだことにも、アスプリクは眉一つ動かさなかった。


 アスプリクにとって、家族とは唾棄すべき存在であった。血の繋がりなど意味はなく、むしろ血が繋がっていながら自分を虐げた嫌な連中とすら考えていた。


 その点で言えば、ヒーサは真逆を行っていた。縁も所縁ゆかりもないにも関わらず、自分に対して極めて丁重であり、復讐にすら手を貸すとさえ言ってくれた。


 初めて誰かに愛され、慈しまれているという感覚を教えてくれた、たった一人の人間だ。


 身内と判断するべき材料は血縁でなく、その気持ちや感情こそ優先すべきものだと教えてくれた。


 ゆえに、祖父の形見だと言われても何も感じないし、道具の持つ効力にこそ注視すべきだとアスプリクは考えた。



「ありがとう、叔母上。折角持ってきてくれた物だし、大事に使わせてもらうよ」



 アスプリクは笑顔をアスティコスに向け、喜んでくれたことをアスティコスも感じ取れた。



「でもさ、叔母上。こうして強力な武器を渡してくれるのは嬉しいんだけど、僕に戦場に出ろっていう事でもあるのかな?」



 何気ない一言であったが、それはアスティコスの意図するものではなかった。


 あくまで形見の品を姪に受け継がせる、程度に考えていたが、今アスプリクの発した言葉はまさにその通りであった。


 狩猟に使うには強力過ぎる弓であり、戦場に出ることを促していると取れなくもなかった。


 ここでようやくながら、アスティコスは弓を渡す様にヒサコが促した真意に気付いた。この弓は、アスプリクを戦場に引っ張り出すための呼び水となる意味が隠れていたことに、である。



「あ、いや、そういう意味でもないんだけど、形見だし、珍しい品だと、ね」



 必死で逸らそうとするアスティコスであったが、すでに手遅れであった。武器を渡すことは戦えと促すことであり、戦場帰りのアスプリクにとっては、そうとしか捉えられなかったのだ。



「まあ、魔王がどうこう言うご時世だし、それは百も承知しているよ。僕は今の暮らしが気に入っている。ここでの生活が、とても楽しいんだ。誰かに言われて戦場に出るでもなく、自分が守りたいもののために戦う。その意味がようやく理解できたんだ」



「そ、そう。それは良かったわ。その弓が、あなたを守る一助となれるように、ね」



「ならさ、叔母上も僕を守ってくれる一助になって欲しいな」



 そして、アスティコスは真意を悟った。ヒサコの考える“裏の裏”をだ。


 今の自分には何もない。里を失い、変えるべき場所を失った根無し草だ。


 あるのは、目の前にいる姪だけだ。


 その姪が「戦場で肩を並べて戦おう」と述べてきたのだ。断れるはずもない。


 しかも今、自分の足元には黒犬つくもんがいる。下手な行動はヒサコの勘気に触れ、危険な状態にもなりかねなかった。


 つまり、この弓を渡すことで、“自分”が姪を戦場に駆り立て、その“後見役”として自分自身も戦場に引っ張り出す、というヒサコの深謀だと、ようやく気付いたのだ。


 気付いたところで、もう遅かった。弓を渡して出陣を促したのは事実であるし、ここで姪一人を戦場に送り出すなど、自分で自分の居場所を潰す行為だ。


 断る理由も理屈も、弓を渡した段階で消滅してしまったのだ。


 またしてもヒサコにしてやられたと思いつつも、目の前の道を進むよりなかった。


 アスティコスはアスプリクの手を握り、力強く頷いた。



「ええ、そうね。帰る家を守るために、戦いましょう!」



「帰る家、か。うん、そうだね。叔母上がここを家だと思ってくれるなら、僕も必死に戦って、叔母上と暮らす家を守ってみせるよ」



 家族、帰るべき場所、アスティコスはそれらをすべて失ったが、それが灰の中から再び芽吹いてくることを、姪の白無垢の姿を眺めながら感じ入るのであった。


 そんな二人の姿を、ヒーサは心の中でニヤリと笑い、上手くいきそうだとほくそ笑んだ。



(人を動かす原動力、それは“恐怖”と“利益”だ。恐怖はそれから逃れるために心を駆り立て、利益は求めるがゆえに手を伸ばす。アスプリクはここでの生活を気に入ったがゆえに、それを守るために動く。一方のアスティコスは、アスプリクへの負い目と“家族”あるいは“家”を失う恐怖を味わったがゆえに、二度と味わうまいと狂奔する。ひとまずは、二人を戦場に連れ出す理由付けにはなったか)



 初手としては上々、二人を縛る鎖としてはまずまずだとヒーサは満足した。


 だが、この時、ヒーサはしくじっていた。


 目の前の二人の束縛には成功してはいたが、すぐそこの屋敷の地下で、自分の足元を揺るがす話がなされていたことを知らなかった。


 人を動かす第三の原動力“激情”が燃え上がり、火の手がすぐそこまで近付いていることに、戦国の梟雄は気付いていなかったのだ。

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