8-12 愚痴れる友! 密偵頭、主人に悩みを打ち明けられる!

 人口流入著しく、雰囲気が変わってきたカウラ伯爵領。


 そして、ヒーサが特に推す“茶畑”の作成もいよいよ大詰めを迎えつつあった。


 それはヒサコの帰還の可能性もあり、ティースとしては顔を見たくもない義妹との再会を神に呪った。



「アーソはともかく、他領域が不安な以上、こちらに戻ってくるかは微妙ですが。もし、私が教団側の幹部なら、呑気に旅をしているヒサコを襲い、ヒーサへの交渉材料にします」



「いっそのこと、そのまま聖女様ヒサコを魔女として火炙りにしてほしいんだけど、そこまで期待するのは無理かな~」



「それをやってしまうと、教団は困ったことになります。王家との関係も、シガラ公爵家との関係も、完全に破綻することを意味しますから」



 すでに、ヒサコと第一王子アイクとの婚儀の話は進んでいると、どちらも聞かされていた。そこにヒサコの処刑などという話になったら、王家と公爵家に同時に宣戦布告するような愚挙である。


 人質ならばともかく、処刑では本当に破滅を招きかねないのだ。



「問題は今の教団上層部に、冷静な判断を下せる人が、いるかどうかなのよね。教団のメンツを潰したのは、間違いなくヒーサとヒサコなんだし、血が上ってつい、なんてことを私は期待しているわ」



「期待しないでください。帝国の動向が不安な時に、内戦なんてやっている場合ではありません。わざわざ隙を晒すようなものです」



「そうなんだけどさ、今の教団幹部にヨハネス枢機卿以外にまともなのがいると思う? ロドリゲス枢機卿に至っては、もはや発狂レベルの狂人よ。まあ、その引き金を引いたのは私だけど」



 ロドリゲスがシガラに訪れた際、嘘の報告を行ってヒーサを激怒させたのだが、そのやり取りの際にアスプリクの抱えていた裏の事情を知るきっかけとなった。


 ティースは即座にロドリゲスを締め上げようと、ナルとマークをけしかけ、アスプリクに対しての土下座を強要した。


 そこからがヒーサの本領発揮であった。


 ロドリゲスがアスプリクに“土下座”をしたのは、年端のいかぬ少女の純潔を奪い、手籠めにしたからだ、という話を流布させたのだ。


 土下座をしたのは事実であるが、ロドリゲスがアスプリクを襲ったことはない。だが、別の幹部がアスプリクを辱めたのは事実であり、アスプリクもまた幹部から夜伽を強要されたことがあったと告白した。


 問題は、それらのバラバラの事実が重なり合い、噂を流す過程で“ロドリゲスがアスプリクを辱めた”ということが事実として、世間では固定化されてしまったことだ。


 これでロドリゲスは面目丸潰れとなり、シガラ公爵領への聖戦を呼びかけようとしたほどだ。


 だが、これに待ったをかけたのが、ヨハネスであった。


 聖戦の恣意的な発動など認められず、逆に近いうちに行われる可能性が高い法王選挙コンカラーベに出馬するとすら表明した。


 ヨハネスの出馬表明の裏では、宰相のジェイクとヒーサに焚きつけられたと言う事情があった。


 シガラ教区の独立と独自の法王の擁立、これはヨハネスの予想を超える出来事であったが、「あなたが法王になればいい。唯一話し合いでの解決が図れる道だ。全力で支持する」と二人から勧められ、出馬を決意したのだ。


 なにより、今のロドリゲスの体たらくでは法王など任せられる気にもなれなかった。


 特に問題なのは世間の評判が失墜している教団に、これまた少女略取の噂の立つ人物が法王になった場合どうなるか、想像するのに難くはなかった。


 ヨハネスは出馬するつもりなどなかったのに、ジェイクやヒーサの言う通り、自分以外にはもはや誰が法王になっても破滅しかなく、それを回避するための出馬であった。



「教団は内部分裂、王家は荒れる国内の調停に奔走して身動きが取れない。渦のど真ん中に居ながら、なぜか順調なシガラ公爵家。この状況、ナルはどう見る?」



「ほぼ間違いなく、ヒーサの掌の上で、踊らされた結果かと。どう考えても、事態がシガラにとって都合のいい展開が続き過ぎています」



「だよね~。ヒーサもどんな手品を使ったら、こんな状況を作り出せるのか、聞きたいくらいよ」



「聞けば教えてくれるかもしれませんよ。なにしろ、ティース様はヒーサの奥方なのですから」



「それは皮肉? それとも本気?」



「どちらかと言いますと、後者です。出会った頃は随分と警戒され、あちらの行動も慎重でしたが、今は解れてきたと言って差し障りないかと」



 なお、それは逆の立場でも当てはまっていた。ティースもまた、当初よりは柔軟性が生じ、ヒーサの事を多少なりとも信用するようになっていた。


 ナルとしては、それはそれでよかったのである。



「伯爵家の繁栄と、ティース個人の幸せ、どちらかを選択しなければならないのだとすれば、どちらを選択するか?」



 以前、ナルはヒーサからこう尋ねられた。


 両立するのが最善であるが、選べと言われたら、間違いなく後者を選択すると答えたものだ。


 そして、その考えは今も変わっていない。


 このまま“公爵夫人”として過ごし、子供の内の一人が伯爵家を復活させる。現状考えることができる、最も穏便な道筋がこれであろう。


 “伯爵家当主”として先代の復讐に狂い、身も心も焦がすような姿は、主人に仕える従者として、あるいは気心の知れた友人として、見たくはないのだ。



「率直にお尋ねしますが、ティース様、あなたはヒーサの事をどう見ておりますか?」



 このナルの問いかけは、簡単に答えを出せるものでもなかった。含意が多すぎて、その答えが多岐にわたるためだ。


 自分がどの立場でヒーサを見るか、これによっていくらでも回答が変わると言ってもいい。


 少しの間、窓の外を眺めつつ考え、そして、口を開いた。



「愛しい人、かな。もうヒーサ抜きでの生活など、考えられないほどに」



「左様でございますか。そのようにお考えなのでしたらば、私もそのように振る舞います。心穏やかに過ごされた方が、お腹の御子にも障りがないでしょう」



 いきなり投げつけられたナルの言葉に、ティースは目を丸くして驚いた。話していないはずの事を、見事に言い当てられたからだ。



「ナル、あなた、気付いていたの!?」



「こうして普段出かけられない伯爵領に戻るという感傷旅行センチメンタルジャーニー。もしやと思ってかまをかけましたが、図星だったようでございますね」



「あら、これは失態。まんまと騙されたわ」



 ティースは騙されたと言うのに、気分を害することなく笑顔で応じた。やはり長年付き従っている従者にして友人をごまかしきるには、自分の演技など高が知れているというわけだ。



「数日前からね、そうした兆候が感じられるようになったの。悪阻つわり、だっけ? なんかこう、吐き気って言うか、妙な倦怠感って言うか」



「間違いなさそうでございますね。ティース様、ご懐妊、おめでとうございます」



 ナルは公爵夫人への礼に則り、恭しく頭を下げた。


 子供は未来の希望そのものだ。こうして一人目、次に二人目と産んでいき、未来を紡いでいくのだ。


 そうなってこそ、穏当に伯爵家が甦る道筋が出来上がるのだ。



「それで、ヒーサにはいつお伝えになられますか?」



「もう少し待ってからにするわ。面白そうな場面で話して、ヒーサの顎が外れるのを見てみたい」



「そうですか、そうですか。ならば、いつ話すべきか、二人で考えましょうか」



「ええ、そうしましょう。今日はもう、日も傾きかけていますし、マークの耕しているという畑は、明日見学と言うことにしましょう」



 どうやってあの頭の回る貴公子を驚かせてやろうか、二人は頭を悩ませると言う楽しいひとときを過ごすこととなった。


 いかにしてヒーサを出し抜いてやろうか、いかに驚愕の表情を作り出してやろうか、気の通じ合う友人同士として果てのない議論を続けることとなった。

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