8-11 報告! 伯爵領は順風満帆!

 久しぶりの実家だと言うのに、ティースの悩みは重くのしかかるばかりであった。今のソファーに身を預け、何気なしに窓の外の景色を眺めていた。


 悩みは一つ。安楽な“公爵夫人”として今後を過ごすのか、それともいばらの道に等しい“伯爵家当主”として突き進むのか。


 悩み、考え抜けど、未だに答えは出てこない。


 そんな悩める女伯爵のところに、メイドが一人やって来た。



「こちらにおいででしたか、ティース様」



 やって来たメイド、それはティースにとっては信頼できる数少ない家臣であり、気兼ねなく話せる友でもある、密偵頭のナルであった。


 ナルもまた、この里帰りに同行し、伯爵領の調査に当たっていた。


 ティースにとっては久方ぶりの帰省ではあるが、ナルは時折戻ってかつての家臣団に指示を出したり、あるいは情報収集をしたりと、何度か足を運んでいた。


 そして、訪れる度にカウラ伯爵領が変わっていき、かつての面影が薄れていく現実を、ある意味でも最も見てきた人物でもあった。


 ティースがいきなり帰省すると言い出したのも、ナルの報告を聞いて、一度は自分の目で見ておかねばと言う思いが芽生えたからに他ならない。



「それで、今回の巡察はどうだった?」



「はっきり言って、順調そのもの。新しく入植してきた者との軋轢もなく、極めて平和裏な入植が成されています。懸念されていた物資不足も、ヒーサの完璧とも言える差配で、特に問題らしい問題も出ておりません。食料も、資材も、滞りなく回っていました」



「ほんと、ヒーサは凄いわね。何をどうやったら、あんなに正確にできるんだか」



 はっきり言って、異常とも言える処理能力であった。


 “算盤そろばん”と“複式簿記”という画期的な道具と技法を用い、行政効率が他所とは比較にできないレベルで向上させたその手腕は、ティースの目からは何かの魔術かと思ったほどだ。


 おまけに、村やら工房やらを建築する際には、自分で図面を引いて、縄張りまでやってしまう始末。


 妙に楽しそうであったし、本当に医者が本職なのか、と疑ってしまったほどだ。



「以前言ってたわよね、ナル。ヒーサの事を、“公爵の地位を持つ医者の仮面を被った暗殺者”だって。なんか今回の働きぶりを見てるとさ、それに商人や建築家まで加わりそうなんだけど!?」



「ええ、その通りです。底の知れない人です。と言うより、好きなことを好きなだけやる、と評した方がいいかもしれません」



「え、なに、放蕩者っぽい評価は」



「放蕩者、言い得て妙ですね。趣味に生きる、道楽こそ第一、その他の事は些事であり余興。心の中ではそう考えているのかもしれません」



「それでこれだけ働けるんなら、普通の人はたまったもんじゃないわね」



 ヒーサの異常なまでの働きぶりや熱意は、趣味のための時間作りと考えると、それへの情熱はすさまじいものとなるであろうとティースは考えた。


 なお、ティースの与り知らない事ではあるが、ヒーサは直近の出来事だけでも、茶の木を手に入れるためにエルフの里を一つ焼き払い、神に準ずるハイエルフを暗殺し、その娘を口八丁で連れて帰ったりしていた。


 実際に実行したのはヒサコではあるが、ヒーサ共々、根は同じ。戦国の梟雄・松永久秀なのだ。


 すべては『喫茶文化推進計画おちゃのみたい』を完遂するためだけである。



「ああ、そういえば、マークはどうしたの?」



 マークはティースの従者で、ナルの義弟でもある少年だ。


 姉同様、密偵や暗殺者としての訓練を受け、しかも極めて優秀な術士であり、ヒーサが是非にも配下に欲しいと垂涎したほどであったが、ナル同様にティースへの忠誠を貫いていた。



「それが、人手が、と言うより、術士の頭数が欲しいと、新規開拓中の畑の開墾に駆り出されました」



「ああ、例の場所? ちょっと傾斜になっててあれだけど、前に『ようやく見つけたぁ!』ってアスプリクが絶叫してたやつ」



「はい、そちらの畑です。どうもヒーサが言っていた、“茶の木”を育てるのに、適した場所だそうです。急ぎで仕上げろと言って、公爵領に戻っていかれましたが」



「ヒーサがずっと探してたって言ってた場所だからね。あの子も必死なんでしょうよ」



 ティースにとって、アスプリクへ抱く感情は複雑である。


 出会った頃に抱いてきた感情は、危機感と嫉妬であった。


 なにしろ、ヒーサに対してはまだ警戒していた頃の話であり、一歩踏み込めないでいた自分よりも、随分と距離を詰めていたからだ。


 あの時は本気で焦っていた。破産寸前の女伯爵と、王女にして国一番の術士、天秤にかけられたら勝負にすらならない。


 あの段階でヒーサに捨てられていたらと思うと、なかなかに恐ろしい想像であった。


 必要以上に攻撃的になり、突き放していたが、それは表面的な情報しか掬っていなかったからであり、裏の事情も把握していたヒーサがアスプリクに甘い対応をしてきた件を誤解していた。


 その裏の事情を知ることができてからは、ティースもアスプリクへの攻撃的な態度を改め、今では普通に話せるまでになっていた。


 ゆえに今のティースがアスプリクに向けている感情は、夫にべったりしている娘への嫉妬という点もあるが、その苦難の道のりを知ってしまった者としての同情の方を強く抱いていた。


 もう少し仲良くしたいと思いつつも、全ての肩書を捨てて自由気ままに過ごしている現在のアスプリクが、羨ましくも妬ましく、ほんの一歩の距離を埋められないでいた。



「でも、急がせているってことは、ヒサコがじきに戻ってくる前兆かもしれないわね」



「おそらくは。種が届き次第、すぐに栽培が始められるよう、畑の整備を急いでやらせているととれなくもないですね」



「あぁ~、またあの鬱陶しい顔を拝まなきゃダメなの~」



 ティースは義妹ヒサコを心底嫌っているので、戻ってきて欲しくはなかった。あれほど神に天罰を下してやってくださいと祈ったにも関わらず、効果はなかったようだ。


 なんとも、祈り甲斐のない神様だと心の中で悪態ついた。


 なお、その神様はヒーサ&ヒサコの悪行に付き合わされ、悶絶していたりするのだが、それを知る者はいない。

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