7-36 放置! あえて捨ておくのも情報戦だ!(3)

 カウラ伯爵領の領民は“新しいご主人様”に飼い慣らされつつある。


 名義上の領主と、実質的な領主。いざ事が起こればどうなるのか?


 もし、ティースとヒーサが対立する場面に遭遇した場合、“現在”のカウラ伯爵領の領民はどちらの味方をするだろうかと問われれば、間違いなくヒーサを選ぶであろう。



「カウラ伯爵家の繁栄とティース個人の幸せ、そのいずれかどちらを選択しなければならなくなった時、お前はどちらを優先する?」



 ナルの頭の中には、以前ヒーサに問いかけられたこの言葉がいつも飛び交っていた。


 ヒーサの言葉に嘘はないと考えた場合、ずっと以前からこうなる事を予期していた事になる。領主と領民の乖離による完全な乗っ取りが、すでにあの段階で考えられていたことになるのだ。


 ナルの答えはあの時のまま、ティースの幸せをこそ望んでいる。


 現状を鑑みるに、毒殺事件のことは無理やりにでも隅の方に追いやり、このまま女伯爵としてでなく公爵夫人として幸せになってくれる方が、仕える身の上でも楽なのだ。


 だが、女主人は敢えて茨の道を進もうとしている。名誉を重んじる貴族として、濡れ衣を着せられたままという点が許せないのだ。


 ナルもすでに覚悟は固まっていた。もし毒殺事件の犯人が分かれば刺し違えてでも始末するつもりでいるし、主人の危機であれば身を挺して守るつもりでいた。


 無論、このまま穏やかな日々を過ごしてもらうのが望ましいが、それはあるまいと結論付けていた。


 なにしろ、ヒーサのお墨付きであるからだ。ティース個人の幸せのために、いずれ自分が命がけの行動に出るであろうことを、目の前の男は予想し、それとなく伝えていた。


 そんなそれぞれの思惑が交差する空間に、騎馬兵が駆け込んできた。どこの誰かと思ったが、五芒星の法衣をまとっていることから、すぐに神殿関係者だと分かった。


 神官は馬から飛び降り、ヒーサに向かって拝礼した。



「ここにおいででしたか、公爵閣下。急なお話でございますが、すぐに神殿へご足労願います。大神官様からの招請です」



 かなり慌ててやって来たようで、神官の呼吸が乱れていた。そのため、余程の事があったのだろうと、皆が緊張感を持った。



「大神官様から? 今日は総本山の方から大事な使者が来るとか伺っていたが?」



「はい、その通りでございます。それが、『星聖山モンス・オウン』よりお越しになられたのが、ロドリゲス枢機卿猊下でございまして、是非公爵閣下にも御同席願いたいと」



「ほ~、猊下自らお越しか」



 さすがにこれは予想外の展開であり、ヒーサも他三名も驚いた。


 ロドリゲスは全員で五名いる枢機卿の筆頭格とみなされており、次期法王候補の中でも抜きんでた存在であった。


 それが直接公爵領に乗り込んできたということは、確かに一大事とも言えた。



「了承した。大神官様にはすぐに赴くと伝えておいてくれ」



「ハッ!」



 神官は再び馬に跨り、神殿の方へと駆けていった。


 そして、ヒーサはそれを見送り、姿が見えなくなってからティースの方を振り向いた。



「さて、枢機卿の直接訪問、どう判断する?」



「敵情視察、でしょうか」



 あえて“敵”という言葉を用いたティースに、ヒーサはニヤリと笑った。抜け落ちる部分もあるが、やはりこういう場面での勘の鋭さは見事なものだと、素直に感心していた。



「黒衣の司祭の件で、教団内部が相当ごたついているそうだからな。それにセティ公爵家もボロボロになってしまったし、宰相閣下とは随分とやり合ったと聞いている。危機感を覚えて、こちらの懐柔にやってきたのだろうが」



「はい。こちらが宰相閣下と昵懇の間柄だと認識したうえで、あえての直接訪問です。あちらにもそれなりの覚悟がおありなのでしょう」



「だな。まあ、こちらも条件次第では助力もやぶさかではない。ヒサコとアイク殿下の婚儀の見直しもあるかもしれんな」



 その一言はティースに歓喜の嵐を呼び込んだ。よりにもよって、あの性悪女ヒサコが王子と結婚するなど、あってはならない事だと考えていたからだ。


 とはいえ、そうなるとまたしばらくは公爵の屋敷で顔を合わせることにもなるため、事情としては複雑でもあった。


 出て行ってほしいが、幸せになってほしくない。そんな度し難い感情が渦巻き、ティースの表情が当人の意志に反して歪みまくっていた。


 なお、そんな気はさらさらないヒーサが敢えて口にしたのは、ティースの面白い反応を見るためであり、それはすぐにナルも察することができた。



(遊ばれてるな~。いや、それは私も同じか)



 ヒーサとの智謀合戦は、はっきり言えば連戦連敗である。ナルとしても目の前の澄ました男をギャフンと言わせてやりたかったが、その機会に恵まれなかった。


 こうして四人は急な呼び出しを受け、急遽神殿に向かうのであった。

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