第28話 言えなかった言葉

レベッカ・エイブラム嬢への追放令は、すぐに行使される。


学園の寮からはスーツケース一つで追い出され、彼女の部屋は空っぽになっていた。


座る生徒がいない教室の窓際の席も、その寂しげな景色も次第に馴染んでいった。




レベッカが北国に行く日、俺は朝からエイブラム家の屋敷の前へと走る。


まだ陽も上がっていない、薄暗い早朝。


近所の人の目を盗むかのように、何人もの使用人が荷物を運び出し、準備をしていた。


その表情は暗く、陰鬱だ。



「レベッカ!」



馬車のそばに、赤い髪のレベッカを見つけ声をかける。



「クロード様、どうして……」



寮からエイブラム邸までは随分距離がある。早朝に抜け出してきた俺に驚いているようだった。



「お見送りに来てくださったのですか」



膝に手をつき、息を正している俺に、優しく声をかける。


万年北風が吹き晒す地に赴くため、レベッカは冬用の黒いローブを肩にかけていた。


北方の開拓地は、常に寒く、農作物もろくに育たない不毛の地だと聞く。


故に治安も悪く、彼女のような見るからに貴族の出の娘が向かったら、命の心配さえある。



「すまない、ユリウスが勝手なことを…やはり俺が、すぐに誤解を解くべきだった」



悪い噂など気にしないという、気丈なレベッカに合わせて、何も行動をしなかった自分が悔やまれる。

しかし、レベッカはゆっくりと首を横に振った。



「いいえ。クロード様が何を言っても、ユリウス様はリリアの言葉を信じたでしょう」



レベッカの冷静な言葉に、思わず押し黙る。


恋は盲目とはよく言ったものだ。確かに、ユリウスは俺の忠告など聞きはしなかった。


年配の従者が、出発の準備ができたとレベッカに声をかける。



別れの時間だ。



「クロード様と、放課後に教室で話すのが、とても楽しかったです。

 あの時間だけ、飾らない本当の自分でいられるような気がしましたわ」


優雅に微笑むレベッカの顔は、今日も凛と、美しかった。



「俺も、」



行かないでくれ。



「……俺も、楽しかったよ」



強く願う言葉は、喉に引っかかり発することができなかった。


ええ、とレベッカは頷き、泣きそうな顔で、それでも気高く微笑んだ。



「どうかあなたは、後悔せぬ生き方を」



そう言って頭を下げると、馬車の中へと歩みを進めた。


後悔しているのは、今この瞬間だ。


俺は家柄のしがらみに囚われて、君を助けることができない、臆病者の大馬鹿者だ。


親友の皇太子に嫌われようが、あざとい一番人気の女子に侮蔑されようが、声をあげてレベッカは悪くないとあの日言うべきだった。


馬の蹄の音が響き、馬車は遠く離れていく。


馬車の中で座るレベッカは、俺の姿が見えなくなるまで振り返り、そっと泣いていた。


ずっと我慢していたんだろう。その涙を、拭ってあげられないのが許せなかった。


ポケットの中の、彼女の縫った刺繍がされたハンカチを握りしめる。



 

もしも願いが叶うのならば。



次は絶対に、君を幸せにする。



誰も敵を作らず、君の評判を落とさず、俺が君を守る。

拳を強く握り締め、奥歯を噛み締めた。


もう二度と会えないなんて、耐えられない。



感じたことのない強い後悔と絶望感に苛まれ、瞼を閉じた。




*   * *




どのくらい眠っていたのだろう。


小鳥のさえずりと、草木が風に揺れる音が鼓膜を揺らした。



「おい、クロード、起きろって」



ゆっくりと目を開く。


視界には、園庭の新緑と、金髪をなびかせた高貴な男友達の顔。



「クロード。勉強会も終わったし、ちょっと気晴らしに散歩でもしよう」



 

 前に聞いた全く同じセリフ、同じ笑顔で、園庭のベンチでうたた寝をした俺をユリウスが起こしてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る