第23話 遺伝の呪い
儀式の場には静寂が横たわったまま。
パチパチと篝火の炎が爆ぜる音と、夜風が木々をさざめかせる声が響きわたる。
ずいぶん待った。
蒼月蓮華が戻ってきた時以上に、時間が長く感じられた。
そんな中、長幸は長かった静寂を打ち破るように言葉を発した。
「これで満足なのか」
長幸は蒼月詠へ問いかけた。
蒼月詠も自分が問いかけられたことに気づいて、視線をゆっくりと長幸に向ける。
「満足、とは?」
蒼月詠は、質問の意図が分からないとでも言いたげだ。長幸は丁寧に言葉を綴り直し、分かるように伝える。
「二人いた娘を一人に削って、母親として満足なのかと聞いている」
「さて。これはすべて我が主の思し召しでございますから」
祭司らしい、儀式めいた問答の答えだった。
でも違う。長幸はきちんと訊ねた。『母親として』と訊ねた。
だから蒼月詠の答えに、鼻で笑う。
「我が主か。……双子とはいえ、所詮は他人の子だからどうでもいいのか」
長幸のぼやきに反応したのは、蒼月詠だけじゃなかった。
「他人……?」
蒼月教授が結界の外から小さく、でもはっきりと聞こえるような言葉をぼやくのが聞こえた。長幸の腕の中で、蒼月蓮華も不安そうに婚約者の顔を見上げている。
それらの視線を受けながら、長幸は深く頷いた。
「ここに来る直前、ようやく検査の結果が出た」
そう、長幸が父に協力して取り組んでいた検査。
それは、蒼月蓮華の血統を証明してしまう検査でもあって。
「異国の研究者、メンデル氏の論から、父が独自研究を重ねて発見したモノがある。父はそれを染色体と呼ぶが……その染色体を調べることで、生まれに関してある程度分かることがある」
父はメンデル氏の論から遺伝を決定づける要素があると予測し、それを僕ら双子と父の家系、それから母の家系に渡り、長らく研究を重ねていた。
それが染色体という物質。
父と母の要素を一つずつ継ぎ、子に伝わるもの。
発見した染色体が遺伝を確定づける要素であると結論づけるために、父は研究サンプルを多く採ろうとした。
その結果。蒼月教授が差し出してきた、蒼月姉妹というサンプルがもたらしたものは。
「二人の蒼月蓮華には、蒼月真実の要素が入っていなかった」
長幸の腕の中にいる娘は驚いて声もなく。
その父である蒼月教授は深く失望したように肩を落とした。
「では蓮華は、花蓮は。誰の子だ」
蒼月教授の問いかけに、長幸は淡々と述べる。
「蒼月詠の要素は持っていた。蒼月家の娘であるのは間違いないというのが久瀬の見解だ。蒼月当主、詠殿。蒼月華蓮は誰の子だ」
長幸が真実を知るはずの蒼月詠へと問いただす。
けれど、蒼月詠は不思議そうな表情で長幸を見返して。
「――それを知って、意味はあるのですか?」
その言葉はどんな言葉よりも罪深いものだった。
蒼月教授の表情が苦々しいものになる。
長幸も眉毛を顰めさせていれば、蒼月詠は両腕を広げ、まるで神託を授かったかのように厳かに告げた。
「蒼月を繋げられるのなら、私でなくても良い。根の国に召されたあの子でも良いのです。私もあの子も、神に愛されていたのですから」
理屈も倫理観もとうてい伝わっていないような蒼月詠の言葉。
長幸も、蒼月教授も、蒼月蓮華すらも、その言葉の意味を理解できずにいれば、蒼月詠はなおも言葉を綴る。
「私の子は神に愛されていなかった。だから根の国にいた私の子をもらっただけのこと。根の国の子たちは神に愛されていたのだから」
ようやく、理解する。
理屈は理解できずとも、蒼月詠が何をしたのか。それだけは理解できた。
根の国にいた私とはすなわち、もう一人の蒼月詠。
約二十年前、十八の日の儀式にて行方が知れなくなった、蒼月詠の片割れ。
蒼月教授の弟が、その行方を探しに行った人。
つまり蒼月蓮華たちは、蒼月詠の子ですらない。
かつ、死んだ蒼月教授の弟の子ですらもなく。
「……詠、教えてくれ。十九年前、間違いなくお前の腹は膨らんでいた。子を宿していたはずだ。私の子を、腹の子を、どうしたんだ……!?」
蒼月教授の声が荒ぶった。
それはその通りで、蒼月教授は蒼月蓮華たちを蒼月詠の子ではないと疑ったことはなかった。自分の子である確信はなかったそうだけれど、それでも詠が腹を痛めて子を産んだのは間違いないと思っていた。
だけど違う。
蒼月教授が信じたかった事実はどこにもなくて。
蒼月詠が当然とでも言いたげに首を傾げる。
「我が腹には何もいなかった。神に愛されぬ、ただの肉塊であっただけ」
「どういうことだ……っ!」
とうとう蒼月教授が激昂する。二十年燻ぶり続けた懐疑と怒りの感情は、あまりにも重たく、激しく、それでいて悲しく響く。
蒼月蓮華が父の声に怯えた。長幸は彼女を腕の中に優しく囲ったまま、つとめて優しく言葉を選ぶ。
真実を。
まだこの場に出ていない真実を、引きずり出すために。
「教授、落ち着いてください。愛されないというのは……詠殿が産んだ子は、奇形児だったのではありませんか」
蒼月家は近新婚を繰り返しすぎた。近しい血での婚姻を繰り返していれば、遺伝的な優劣が顕著に出るのは間違いない。
吾田はる子の母の日記から、奇形児たちが過去にも生まれていたのが分かる。はる子さんは何も言わなかったが、日記の通りなら過去に生まれた奇形児たちは乳母の手によって葬られてきた。
もしくは、はる子さんの手にすらも渡らずして、その命が潰えていた可能性だってある。赤子が無事に生まれてくるのは、今の世でも博打のようなもの。生まれた時には死んでいたなんて、よくある話だ。
それを裏付けるかのように、蒼月詩が阿修羅のような形相になる。眦を吊り上げ、忌々しげに長幸を睨みつけた。
「……よそ者に何が分かるというのです。生まれた時から一族の言うように自我を封じ、今ここでようやく自由を得た私の気持ちを。なのに、命を与えられなかった、ただの肉塊を生んでしまった私の気持ちを……!」
語気が荒ぶる蒼月詠に、蒼月教授がそれまでの感情を一気に冷ましてしまった。頭が冷えた蒼月教授とは対称的に、蒼月詠の言葉はどんどん激しさを増していく。
「私は選ばれた! 愛されていたから当主になった! だから私の子も愛されるべきだった! 私が愛されるべき子を生むはずだった……! だから真実と契りを交わしたのに……! 私に子を産む資格はないと神は告げたのだ!」
絶叫。
神域を震わす慟哭は、洞窟の奥まで響き渡っていく。
――そんな中、僕は背後に広がっていった言葉を踏みつけるようにして、一歩を踏み出す。
「当然、産む資格はないよね。地下に閉じ込めたもう一人の自分。彼女から産まれた子供を物のように簡単に取り上げて、我が物顔でいられるんだからさ」
蒼月詠、蒼月教授、蒼月蓮華、そして氏子たち。
全員が僕のほうを向く。
長幸だけが、呆れたように僕らを出迎えてくれた。
「………………お前」
「やぁ、長幸。帰ってきたよ」
「帰ってきたよ、ってな……遅すぎるぞ」
げんなりする長幸のもとに歩み寄る。
「仕方ないじゃないか。けっこう中、入り組んでてさ。それよりも彼女、見てもらえる?」
「どうしたんだ」
背負っていた彼女を下ろしてあげる。はっきりと二本足で立ち、長幸に寄り添う蒼月蓮華とは違い、未だぼんやりとしていて自我の薄い彼女。
僕は松明代わりにしていた棒を地面に転がした。火はとっくに消えている。いや、むしろ消したといえばいいだろうか。
「洞窟の奥で襲われそうになっていた。長幸、これ、知ってる?」
「ただの枝にしか見えないが……」
「これ、たぶん御神木の枝か、根っこだよ」
その瞬間、蒼月詠の表情が変わる。
大当たりだ。
「……引っこ抜いてきたのか」
「まさか。そうじゃなくて、蒼月の呪いの話。これで全ての鍵がそろったと思うよ」
長幸が思案するように、棒を拾う。棒を検分してから、今度は僕が連れ帰ってきた蒼月花蓮に触れ、脈や瞼の裏を見てくれた。片手があがる。大きな問題はないらしい。良かった。
さて、ひと安心したところで。
「蒼月の呪いを解いていこうか」
教授のお望み通り、この因習を潰してやろう。
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