17:本音は既にあった



 春人は開店前からずっとそわそわしながら落ち着かずにいた。

 カウンターから出てちらりと窓から外を見たり、無駄に外へ出て掃除をしてみたりと、浅木が帰ってくるんじゃないかと、気になって仕方なかった。

 実は先ほど携帯に小林から連絡が来たのだ。


『兄貴は帰ってきましたよ』

『本当?今日店に来るかな?』

『いやぁ~そこまではわかなんないっすけど、とりあえず報告まで』


 そう言うとプツっと切れたのだ。

 急いでいたのかもしれないが、それでも連絡くれるのは嬉しく思い、春人は急に心臓が忙しくなった。

 やっと帰ってくるのだと。

 たった一週間なのに春人の感覚からすれば一カ月経っているようにも思えた。

 体は大丈夫だったのだろうかとか、襲撃があったけど問題はなかったのだろうかと。

 色んなことを考えるが、とにかく生きている浅木が見たかったのだ。

 だから落ち着いた気分にはなれず、その場をうろうろしたりと、彼が来ることを待ってみた。

 しかしもうすぐ12時になろうとしているが来る様子が見えない。

 連絡したくても浅木の携帯は自分の元にある。

 もしかして組の中で他にやることがあるのかもしれない。

 名古屋で上同士で話合いをすると言っていたので、それについての何か会議的なことをしているのかもしれない。

 春人はそこに属していないので、ヤクザ世界の仕組みはいまいちわかりかねないが、浅木の立場を考えず自分のことばかり考えていることに気づき、少し恥ずかしくなった。

 とにかく浅木が来るまで待とう。

 それしかない。

 そう思い、結局その日は浅木は現れず、明日を待つことにした。






「明日、浅木さん来るの?」


 営業を終えた春人に帰り際、アキラから尋ねられ答えた。


「いえ、まだ詳しいことはわからないんです。一時期街を離れていたんですけど今日帰って来たって小林君から連絡来ました」

「そうなの?でもなんで小林君はあなたに連絡なんてするの?」

「え?」


 アキラは春人が小林と少し、浅木経由で仲良くなったことは知らない。

 疑うような目でアキラから見られ、春人はしどろもどろに言った。


「お、俺がしばらく浅木さんの顔を見ないので、小林君にどうしたか聞いていたんですよ。そしたら出先から帰ってきたみたいで、それを今日教えてくれたっていうか……」

「ふう~ん」

「ほら、一時期ケツモチ担当が小林君に変わったので、それもあったからまた変わるのかなって思って聞いたんです。浅木さんは一週間いなかったわけですから……」


 必死に春人は言い訳をするが、アキラは変わらず疑いの目のままだ。


「だったら小林君は私に言うのが筋じゃないかしら?私が店長なのよ?」

「そ、そうですね……」


 春人ともそれ以上言葉が出てこず黙っていると、大きく溜息をアキラは吐いた。


「まぁいいけどね。とにかく明日は浅木さん、来るのかしらね?」

「わかりませんけど……明日以降来るとは思います」

「何かヤクザ業界であったのかしらね?」

「さ、さぁ?」


 アキラはわかってて敢えて春人に尋ねているんじゃないかと疑う。

 彼の尋ね方にそういう雰囲気を感じた。


「ハルちゃんも知らないの?」

「し、知りません!」


 必死に返す春人の言葉にアキラは笑った。


「ごめんね、ちょっと意地悪し過ぎたわね。わかったわ、了解!」


 笑顔で言うアキラに春人は更に疑問を持ったが、とりあえず先ほどの話にはそれ以上触れ来ず、じゃあねと言いながら帰って行った。

 一体何だったんだろうと思ったが、カマをかけられたのだろうかと思った。

 勿論、浅木と春人の関係を疑ってだと思う。

 再び春人は溜息を吐く。

 そして自室へと歩き出した。






 時刻は夕方4時。

 まだ残暑が残る中、春人は力なくトボトボと歩きながらアキラの店へと向かっていた。

 浅木が帰ってきたと報告があってから2日経つが店に来ていない。

 どうして来ないのか不安でわからなくなり、ずっとその理由ばかり考えていた。

 やっぱり名古屋で怪我をしたんじゃないかとか、それとも重要な役割を与えられて店周りをしている暇がないとか、色々と考えるが、ただ春人の徒労に終わるだけだった。

 とにかく姿が見たい、ただそれだけだった。

 そして常に店に行く時は、浅木から預かった携帯を持ち歩き、すぐ返せるようにバッグに忍ばせていた。

 いつも通りかかる桜並木の近くにある橋まで行くと、見慣れた姿が立っているのが視界に入った。

 そう、ずっと会いたかった人物だ。


「あ、浅木さん!!」

「よお、ハル。元気だったか?ここで待ってれば会えると思ってよ」


 春人は嬉しくて思わず浅木の元へと駆け寄った。

 パっと見た様子、どこも怪我をしているように見えず、元気そうだった。


「体、大丈夫ですか?怪我してませんか?」


 すごい勢いで心配され浅木は苦笑した。


「大丈夫だ、元気だよ。特に問題もない」

「でも襲撃ありましたよね?巻き込まれませんでした?」


 襲撃を知っていて浅木は驚いた。


「なんで知ってんだよ、そんなこと」

「世の中はネット社会ですよ。検索すればSNSとかですぐですから」


 真面目に答える春人に浅木は思わず笑みが零れた。


「そうかよ、すげーな。ハッカーにでもなるのかよ?」

「もう、からかわないで下さい!本当に心配してたんですから……」


 泣きそうな表情の春人に浅木は驚きつつも嬉しく感じる。


「ありがとうな。本当に大丈夫だ。襲撃があった時はちょっとしばらくある所で隠れてたんだ。落ち着てきたからこっちに戻ってきたんだけどな」

「そうなんですね、でもよかった。本当によかったです」


 春人が少し涙目になっている気がして、浅木はぐっと胸が締め付けられた。

 なんでそんなに心配してくれるんだろうか?

 やっぱり春人は優しいからだろうか?

 色々思考していると、そうだと春人が言いながらバッグからごそごそと何かと取り出そうとしていた。


「携帯、まだ返していませんでしたよね?」


 黒のスマホを目の前に出され浅木は驚いた。


「ああ、そうだ!忘れてたわ。ありがとうな、ハルに任せて正解だったわ」


 嬉しそうに浅木は携帯を受け取り、電源を入れた。


「ちゃんと充電もしてありますからね」

「そうかよ、ありがとな」


 優しく笑む浅木に春人は気持ちが高揚する。

 浅木に喜んでもらえることがこんなに嬉しくなるなんて、以前だったら考えられないだろう。

 春人はそんな自分が嫌いじゃなかった。


「スマホの中身、見てねぇよな?」

「見てないですよ。それは礼儀ですし、それに浅木さん言ってましたよね?色んな人の連絡先があるからって」

「ああ」


 ちゃんと覚えてくれていたことも浅木は嬉しく感じる。

 自分が言ったことに従っていてくれてたのだ。

 微笑んでいる春人を見て、浅木はどうしても春人を手放したくなかった。

 手放したくないが、現実は残酷なのだと思う。

 春人が実際、これだけの優しさを見せても本音はただ自分を慕ってくれている、友人、兄という意味で、恋愛感情としての想いでもないのだろう。

 わかっている。

 所詮、同性愛者と異性愛者の違いなんだと。

 言いたくはないが自分から伝えて関係を終わらせよう。

 それが自分と春人の関係を、これ以上溝を作らせない方がいい。

 言いたくないことは春人には言わせなくない。

 思考を巡らし、浅木は一つ大きく息を吸い、口を開いた。


「ありがとうな」


 急にお礼を言われた春人はきょとんとした表情になる。


「え?いえ、大丈夫ですよ?」

「マジで感謝してる。俺とお試しだけど付き合ってくれて」

「え?」


 思わぬ言葉に春人は更に驚きを隠せなかった。


「どうしたんですか?浅木さん」

「俺、二カ月だったけど、お前と付き合えてよかったわ」

「え?」


 浅木が勝手にどんどん話を始めるので、春人は隙を見て話そうとするが、話は止まらなかった。


「わかったんだ、無理だってこと。だってお前はノンケだし男とキスしたり、エロいこととか無理だもんな」

「え、え、浅木さん?」

「だけど俺、スゲー幸せだった。忘れねぇよ」

「待って浅木さん!」

「このままいい思い出にしようぜ」

「そんな………」


 ずっと一方的に話す浅木に対して春人はそう言いかけ、そして、


「このままいい思い出なんて嫌です!」


 はっきりと浅木に言い放った。

 浅木は驚き春人を見つめた。


「ハ、ハル?でもお前……」

「思い出なんて嫌です!俺は……俺は……」


 少し涙を浮かべはっきりと言った。


「俺は、浅木さんとこれからも付き合っていきたいです」

「え?」


 春人の言葉に浅木は一瞬無言になる。


「俺、離れている間沢山考えたんです。浅木さんとの関係。気持ちと現実とずっと比べながら考えていました。でも……」


 春人の目から涙が零れるのが見えた。


「ダメだったんです。浅木さんが極道の人であっても、借金取りの人でも、好きになってしまった気持ちを消すことはできなかったんです」


 今、春人が口にした言葉を浅木は耳を疑った。

 好きになったと春人は言ったのか?

 信じられない、なんで俺を好きになったんだ?

 浅木はその疑問で頭がいっぱいになっていた。


「最初は本当に友達とか兄とか、そんな気持ちで慕う気持ちがありました。でもあまり関係を深くするのは止めた方がいいのかなって、色んな葛藤がありながら、そして浅木さんの俺への本当の気持ちを知った時、更に考えました」

「………」

「浅木さんの気持ちを知っても関係を切りたくなかったし、その、手を繋いだりハグしてもらったりして感じたのは、もっと触れ合っていたいっていう気持ちだったんです」

「ハ、ハル。マジか?」


 浅木は信じられなくて、でも春人の顔は真剣そのものだった。


「本当です。抱きしめられた時、本気でそう思いました。ずっとこうしていたいって」


 言いながら春人は浅木の手を握り締めた。


「自分でも信じられませんでした。でも気持ちが体が勝手にそう感じているんです。頭で気持ちに折り合いつけようとしてもダメだったんです」


 小林に向かって必死に言い訳をしようとしている時、自然と春人は泣いていた。

 勿論春人自身は気づいていなくて、小林から指摘され気づいた。

 もう気持ちが限界だったのだと思う。

 早く認めて欲しいと、心の中がそう言っていたのだと。


「浅木さんが好きなんです。このまま、ずっと一緒に居て欲しいです」

「ハル……」


 堪らなくなった浅木は春人をぐっと自分の元へと抱き込んだ。

 信じられないといつまでも浅木の頭の中が回っている。

 信じられるだろうか?

 実の親にすら愛されなかったのだ。

 その時点で浅木の中で、自分以外の他人に対する気持ちは枯れていたし、求めもしなかった。

 唯一求めたのは現実的な欲情だ。

 だからずっと“恋人”なんて関係を信じることもなかったし、求めたこともなかった。

 だけど春人は違う。

 唯一、この男だけには愛されたいし笑って欲しいし、自分を求めて欲しいと思ったのだ。

 他人に対して本気で愛情を注いだのは、春人だけだった。

 でも別の感情が心の片隅で悟っていた。

 この愛情はずっと一方通行で、報われることのない愛情だと。

 だから安心もしていた。

 どうせ無理なのだから安心して想える。

 報われることのない気持ちなのだから、いつでも離れられると。

 でもまた別のどこかでも感じていた。

 一生報われることのない虚しい関係なのだと。

 抱きしめたまま浅木は黙り込む。そんな浅木に自分の存在を思い出して欲しいかのように、春人は浅木を抱きしめ返した。


「ハ、ハル……」

「嫌ですか?俺と付き合いを続けるの」

「あ……」


 少し春人を離し、彼の顔を見つめた。


「嫌じゃない、ただ、信じられなかっただけで」

「信じられない?」

「いいのか?俺、男だぞ?」

「わかってます。男の浅木さんを好きになったんじゃなくて、浅木さん自身が好きなんです」

「ハル……」

「浅木さんが男の体でも、それは浅木さんの体なんだからいいやって思えたんです」

「マジかよ……」


 そんなふうに簡単に思えるのだろうかと、浅木は不思議で仕方なかった。

 でも春人は浅木の目を見つめながら言う。


「だって抱きしめられれば、明らかに男の体だってわかるじゃないですか?それでも……」


 一瞬春人の言葉が止まった。


「……それでも、浅木さんに抱きしめられたいって思ったんだから、それが答えだって思えたんです」


 そう微笑みながら言う春人に浅木は再び抱きしめた。

 信じていいのか?春人を?

 信じたい。信じてみたい。

 嬉しさと疑念と色んな思いが再び浅木の中で錯綜する。

 錯綜はしたが、でも既に答えはあった。


「俺も、ハルと一緒に居たい。ずっと居たい」


 それが全てだった。






 店の仕事が終わると、浅木と春人は春人のアパートへと向かった。

 仕事をしている最中、浅木は珍しく静かに店を見ており、春人も静かに仕事をしていた。

 高崎の話に加わって来たりした時は浅木も参加していたが、それ以外はとても静かに時間が過ごしていた。

 付き合いが始まったことで何となく周りを意識してしまったこともあるかもしれない。

 その反動ではないけれど、アパートまでの帰り道、二人はずっと手を繋ぎながら、ゆっくりと歩いていた。

 夜中1時過ぎ、周りは当然静かで繁華街から少し離れた場所にいるので余計に静けさが増した。

 手を繋いでも誰も何も言われないということは、かなり幸せで嬉しいことだった。

 しばらくは黙って歩いていたが、ふっと浅木が口を開いた。


「あのさ、前から思ってたんだけどさ」

「はい?」


 春人は浅木を見つめ、返事をした。


「敬語をさ、止めねぇか?」

「え?」

「だって一つしか違わねぇし、付き合っててまで敬語で会話って、なんかよそよそしいなぁって」

「そ、そうですね」


 言われて春人は思わずまた敬語で話している自分に、あっと言った。


「あと……」


 再度浅木が話し始めた。


「俺の事、呼び捨てでいいから」

「え!!でも!」


 流石にそれには春人は困惑する。


「ダメか?俺たち恋人同士なんだぜ?」


 寂しげに言われると春人は何も言えなくなってしまう。

 しばらく見つめ合っていたが、春人は浅木に根負けした。


「わかりました。じゃ、じゃあ浅木……と言わせてもらいます」

「……また敬語だぜ?」

「言うね……」

「よし」


 そんなやり取りをし、やっと浅木は笑顔になった。


「これで本当の恋人同士だな!」

「フフフ、そうだね」


 笑いながら浅木の満足そうな顔に春人はようやく安堵した。

 なんだか変な気分だと春人は思った。

 浅木は気にしていないのかもしれないが、春人からすればかなりの変化に思える。

 ずっとただの借金取りと返す立場だったので敬語は普通なのだろけど、今はそれだけの関係じゃなくなり、敬語がじゃなくなるということは更に深い関係になる意味のあらわれだと思った。


(世の恋人関係の人たちは当たり前なんだろうけど、俺たちが特殊だから変な気分だ)


 これは関係が変わる一つのきっかけなのかもしれない。

 ゆっくり歩いていたが、とうとう春人のアパートに着いてしまった。

 名残惜しく浅木は春人の手を離そうとしない。

 春人は思わず浅木の顔を見つめた。


「浅木?」


 初めて呼び捨てて呼ぶ瞬間は少し緊張したが、その呼びかけに浅木は笑みを浮かべながら答えた。


「何?」

「……もう、行くね。明日はお店来ないの?」

「明日は他の店に行くから、11時くらいには行けるかもしれねぇ」

「そっか、じゃあ11時にね」


 そう言うが浅木は春人をまだ離そうとしなかった。

 離さないでいると、浅木は春人を自分の元へ引き寄せ、静かに春人の顔へと自分の顔を近づけた。

 ゆっくりと浅木の唇が春人の唇と触れ合う瞬間が来る。

 何度か角度を変え、浅木は春人のキスを味わった。

 何度も触れ合うだけのキス。

 その甘い感触に春人はただただ酔いしれ、浅木のする行動をそのまま受け入れていた。

 キス一つでこんなに甘い気持ちになるんだろうか?

 今までしてきたキスってなんだったんだろうかと思うほど、今の気持ちとの落差を考えそうになった。

 ひょっとして浅木が上手いだけかもしれないが……。

 しばらく浅木のするままにしていたが、流石に気持ちが限界にきた春人は、慌てて浅木から離れた。


「も、もう今日は終わり」

「じゃあ明日楽しみにしてもいいか?」


 素早く突っ込まれ、顔を真っ赤にして春人は答えた。


「……そういうことじゃあないけど……まぁ、そういうこと」


 恥ずかしさのあまり顔を逸らす春人に、浅木は満面な笑みで言う。


「そっか~明日、楽しみだなぁ~」


 嬉しそうに浅木は春人を抱きしめたまま、横に揺れていた。

 なんだか浅木が子供のように思えてくる。

 かなり春人に甘えたくて仕方ない感じにも思える。

 そんな浅木に笑ってしまうが、可愛さも感じてしまった。


「それじゃあな、また明日」

「うん、おやすみ」


 名残惜しく二人は何度も振り返りながら、手を振りつつ、浅木の姿が見えなくなるまで、春人は彼を見続けていた。


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