15

 ロジェが領地に帰ることができたのは、年末の最後の週だった。

 その前まで精霊に感謝する冬祭りや試験などが怒濤のように押し寄せていて、友人たちとようやく「また来年」と言い合ったのは雪もちらつく頃だった。

 それまで多忙をきわめたが、土産として揃いのワイングラスを一組買った。マリがワインを飲むらしいとフェルナンから訊いたからだ。

 この国の成人は十七歳で、すぐ酒を口にする者が多いが、マリの国では二十歳が成人だということで、彼女は誰よりも酒に囲まれる生活をしながら今まで一滴も口にしていなかった。

 それが、二十歳になったからワインを飲もうと話しているらしい。

 ロジェはまだ飲めないが、揃いのワイングラスでマリのワインデビューをお祝いしたいと思ったのだ。


 冬も盛りに差し掛かるサロト領はすっかり冬景色で、馬車の中から見える山々は堅く厳しい針葉樹がそびえ、山の頭頂にはうっすらと雪も見えた。

 もう少しすれば麓のワイン畑にも雪が積もる。マリは管理人たちに混じって今年も雪かきに精を出すのだろう。

 去年用意したコートや手袋はまだ傷んでいなかっただろうかと考えていたところで、御者が到着を告げた。

 変わらない侯爵家の城は夕闇の中に温かい灯りをともしていた。


「おかえり、ロジェ!」


 ちょうど玄関ホールの灯りを使用人たちと共に入れていたらしいマリが駆け寄ってくる。二十歳となったマリは、少し髪も伸びて大人らしく髪も結うようになった。細い首元が少し寒そうで、ロジェは少し足早に屋敷の中へと入る。


「ただいまかえりました」


 マリがロジェを見上げるようになって少し経った。大人びて落ち着いた意匠のドレスを着るようになったのに、彼女の表情は少女のときと同じように落ち着かない。


「寒かったでしょ。暖炉に火を入れてあるからちょっと暖まってから部屋に行ったら? それともホットワイン飲む?」


 御者にも何か温かい飲み物をと声を掛けにいく彼女は本当にくるくると忙しい。


「部屋が暖まるまで暖炉の部屋にいくので、つきあってください。マリさん」


 荷物を出迎えてくれた家令に預けてマリを誘うと、ようやく彼女がこちらを向いて微笑んだ。


「そうだね。学校はどうだった? ロジェ」


 今夜も長い時間話すことになりそうだった。



 暖炉の前にはたくさんの毛布とクッションが積み重なっていて、毛足の長い絨毯の上に二人で座り込む。メイドが持ってきてくれたホットワインを舐めながら、マリはロジェの学校生活を聞きたがった。

 友人のこと、学校行事のこと、彼女はどれも楽しい物語を楽しむようにきらきらとした目で聞いてくれる。


「いいなぁ、楽しそう」

「友人たちにはからかわれてばかりです。この前も色男とからかってきて…」

「色男?」


 話すつもりはなかった。女の子に声を掛けられているなんて、マリには話したくもなかった。苦虫を噛んでしまったようにロジェは口ごもったが、マリはいつもと変わらず笑った。


「ロジェ、モテるでしょ」

「え?」

「女の子から手紙もらったり」


 クッションを胸に抱き抱えてマリがロジェをのぞき込んでくる。貴婦人ならこんなことは絶対にしない。


「告白された?」


 マリの黒い瞳に映る自分の顔が真っ赤に燃えたのではないかと思った。


「好きだって言われたんでしょ」


 マリの柔らかそうな唇が暖炉の灯りに照らし出されて、やけに赤く見えた。

 直接的な言葉で言われたことはない。ないけれど、結局はそういうことなのだろう。


「どんな子だった?」


 今度は背筋が凍るようだった。マリに他の女の子のことを話されることが、こんなにも苦しいなんて知らなかった。


「どう、なんて…」


 女の子の顔なんてほとんど覚えていない。彼女たちはマリほど落ち着きがないわけでもなく、マリのように日に焼けて畑に飛び出していくわけでもない。そして、マリのようにロジェの心に無遠慮に触れてくるひとはいなかった。


「マリ」


 暖炉の部屋にべつの声が響いた。


「今日は夕食でワインを飲むんだろう? どんな味がいいのかソムリエが悩んでいたよ」


 ロジェの冬休みに合わせてやってきていたらしいフェルナンだ。


「そうなの? バル爺のおすすめがあるの。ちょっと話してくるね」


 マリはあっさりと席を立ったが、


「女の子の話、あとで聴かせてね。ロジェ」


 ロジェに釘を刺していくことも忘れていなかった。

 マリが部屋を出ていってロジェはようやくうまく息を吸えたような心地になった。


「──まさかとは思うけど、浮気の話?」


 フェルナンの軽口に彼を睨むと、叔父はわざとらしく両手を挙げた。


「女の子と遊ぶならうまくやりなよ」

「そんなことしません」

「女の子に告白されているんだろう? 両手では足りないぐらい」


 数えたことはないが、それぐらいにはなるかもしれない。どうして叔父が寄宿学校でのことを知っているのか気になったが、社交界でそれなりに有名な叔父のことだ。耳が早いのだろう。侯爵家に関する噂を大なり小なり常に集めていることは知っている。


「興味があるなら、女の子と付き合ってみたら?」


 軽薄な叔父のようにはなれないことは、ロジェはどことなく自覚している。


「じゃあ、夜のお姉さんに会いに行ってみるかい?」


 そういう場所が大人の社交場としてあることは知っている。でもそういうことではないのだ。

 何と言っていいのかわからなくてクッションに顔をうずめると、叔父がぽんぽんと頭を撫でてきた。


「大人になってきたなぁ、ロジェ」


 子供の頃は平気だったのに、叔父の大きな手を振り払いたくなるのは大人になってきた証拠なのだろうか。


「あと、女の子は恋の話が大好物だから覚悟した方がいいよ」


 ロジェはこのまま寝てしまおうか、真剣に悩んだ。



 

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