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「久しぶりだね、ロジェ」


 春休みのロジェの帰城に合わせて、王都から戻っていたらしい叔父のフェルナンが出迎えてくれた。ふいに視線を巡らせたロジェをフェルナンはめざとく見つけて、意地悪く笑う。


「マリならブドウ畑だよ」

「ブドウ畑?」

「バル爺の仕事を見に行ったんだよ。このところ毎日らしい」


 そうだよね、とフェルナンが同意を求めたのは傍らで控えていたサロトの城館を預かる家令だ。四十がらみで家令としてはまだ若い彼をフェルナンもロジェも頼りにしている。


「冬の剪定の時期からずっと畑仕事を見に行かれています」


 生真面目な家令が言うのなら本当のことなのだろう。


「あ、叔父さんの言葉を信じていないな? せっかく可愛い甥の顔を見に来たっていうのに」

「王都での浮気がバレたのではなければ、歓迎いたします。叔父上」


 フェルナンは愛妻家だが、見た目通り軽薄な性格でもあるから、あらゆる理由で王都をたびたび出奔してくる。 


「浮気じゃないんだよ。あちらのご令嬢が勘違いしてきただけさ」


 ロジェの休みを理由に、ほとぼりが醒めるまでサロトへ避難してくることはよくあることだ。この叔父の性格が、侯爵家当主に彼を据えることを一部の親族が渋って、ロジェが継ぐことになってしまった理由の一端でもあった。

 フェルナンが侯爵位を継いでいれば、ロジェが継ぐことになったとしてももっと後のことだっただろう。

 叔父の長い言い訳を適当に切り上げて、ロジェは休憩もそこそこに護衛をつれてブドウ畑へと向かうことにした。



 さまざまな所有者のブドウ畑が点在するサロト領にあって、ひときわ広大な畑を有するのが侯爵家直下の畑だ。専属のワイナリーから出荷される上質なワインはサロト領の大切な特産の一つとなっている。

 今は作業が一段落しているのか、畑に見える人影はまばらだ。

 畑仕事には少し似つかわしくないクリーム色のボンネットはすぐ見つかった。

 ブドウ畑を長年管理している老齢の管理人の手元をボンネット姿の少女は熱心に眺めている。そのとなりで退屈そうにしていた護衛はめざとくロジェを見つけると、少女に声をかけたようだった。


「ロジェ!」


 こちらに気づいて走り寄ってくる少女は散策用の軽装とはいえ足元まで覆うドレスだ。転ばないか心配になって、ロジェも少し早歩きになる。


「お久しぶりです。マリさま」

「相変わらずだなぁ。マリでいいってば」


 あはは、と声を上げて笑った彼女はロジェを眺めて目を細めた。出会った頃は肩より短かった黒髪が肩につくぐらいに伸ばされている。それでも結うには足りないらしく、外を歩くにはドレスに合わせたボンネットを被るのが常のようだった。年頃の女性は競って髪を美しく結うことに情熱を傾けるらしいが、マリの黒い瞳にはそういったことができないことへの劣等感は見えなかった。


「春休みだっけ。いつまで居られるの?」

「三週間です」

「そっか。帰ってきたばっかりだよね。休憩しよ」


 ぽんぽんと話を進めて、マリは管理人へと手を振った。


「じゃあ、バル爺さん。また明日」


 無愛想で評判の管理人はマリにひらりと手を振ると、再び剪定に戻っていく。先々代の時代からの管理人だがロジェはあまり話したことがない。


「彼と何の話を?」

「ブドウの木のこと聞いてるの。面白いよ」


 面白いよね、とマリが問いかけたのは傍らの護衛だ。護衛は困ったように苦笑する。


「あの無口なバルから剪定の方法まで聞き出しているのですよ」


 どうやらマリは毎日のようにブドウ畑に通っては管理人の後をついて歩いているらしい。最初の頃はほとんど無視されていたようだが、毎日かかさず通ってくるマリに管理人の方が折れたらしい。今では訪ねられればワインやブドウのことを教えているという。


「親切なひとなんだよ」


 マリの得意げな顔がどこかおかしくて、ロジェは思わず笑ってしまった。


 城館へ戻ると、休憩もそこそこにマリは寄宿学校でのロジェの話を聞きたがった。料理人がマリと一緒に考えたというリンゴのパイをおやつに、ロジェたちは夕食の時間まで話し続けた。

 ロジェに、寄宿学校へ戻るよう諭したのはマリだ。本来、当主は常に王都か領地に居なければならない。領地の経営は多忙を極めるからだ。けれどマリは、ロジェに寄宿学校を卒業することを提案してきた。

 学校での経験は今しか得られないというのだ。友人を作り、学校行事に参加し、勉強に悩む生活はあとからでは絶対に手に入らない。


「わたしはもう行けないから、ロジェはいっぱい楽しんで」


 元の世界でマリも学校へ行っていたという。この国の学校は戸籍のあることが最低限の入学基準だ。どの国にも戸籍のないマリには入学の条件すら整わないのだ。

 今でこそロジェの婚約者という立場ではあるが、結婚証明を提出しない限りは戸籍は作られない。

 通えるのなら通えるうちに、学校へ行った方がいいというマリの言葉はロジェに復学を決めさせた。


 フェルナンを交えた夕食はロジェの学校の話とフェルナンの学生時代の話で大いに盛り上がり、気が付けば夜半に差し掛かっていた。食堂を追い出されてシガールームでも話し込んで、マリが席を立ったところでフェルナンはひどく満足そうに息をついた。

 酒に強くもないのに赤ワインのボトルを半分も開けた叔父は上機嫌だった。


「学校は楽しいかい? ロジェ」


 もう何度目になるか分からないほどのフェルナンの質問に、ロジェは少しうんざりしながら頷く。


「楽しいかどうか分かりませんが……友人はおかしな奴ばかりです」


 妙な実験をしようとして失敗する者、ロジェに悪い遊びを教えようとする者、お節介にいろいろなことを気遣ってくれる者、四年も通えば様々な友人が出来た。


「そうか。それは良かった」


 フェルナンは笑って、ふと穏やかな顔でロジェを見る。


「私や親父がいくら勧めても、学校を辞めようとしていたとは思えないほど大進歩だ」


 叔父に言われてロジェはうつむく。本当は、マリとの婚約を機に学校は中退しようと考えていた。学校での勉強よりも領地経営を学ぶ方が重要だと思われたからだ。

だが、これにはフェルナン夫婦や祖父が反対していた。


「……おじいさまや叔父上がマリさまに僕を説得するよう頼んだのですか?」


 これは復学してからずっと引っかかっていた。自分に都合の良いところだけ伝えて相手を意のままに操ろうとするのは、基本的な交渉術のひとつだ。

 しかしフェルナンは「いいや」と苦笑する。


「ロジェが学校を辞めたがっていたことは伝えたよ。でも私たちが反対していたことは伝えていない。これは本当に本当」


 フェルナンは赤ワインをグラスに注いでゆっくりと傾けた。

「だから、マリには本当に感謝しているんだ。私たちのロジェに少年時代を取り戻してくれた」


 ワインを舐めてフェルナンは目を細める。


「私はこの婚約には反対だった」


 フェルナンを含め、親族の大半がマリとの婚約には反対だった。味方をしてくれたのは祖父だけだ。


「でも、ロジェをこうやって良い方向へ導いてくれるなら、彼女を迎え入れて良かったと思うよ」


 この軽薄な叔父が本当にロジェを心配していることは知っている。けれど、今までどこかそれを空々しく思えていた。


「……ありがとうございます。叔父上」


 ロジェの言葉にフェルナンは笑いながら赤ワインを飲み干した。




 

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