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 ロジェデリオンは一週間のあいだ城館に滞在するそうだ。というのも彼は現在、寄宿学校の四年生。マリの到着に合わせて学校を休んで帰ってきたらしい。普段は寄宿学校で過ごしていて、領地の経営や王都での執務は主に叔父のフェルナンが代理として務めているようだ。

 小さな侯爵の両親は五年前に事故で亡くなったという。先々代の彼の祖父にあたる人は病気がちで、親族はフェルナンを次の当主に推したが、フェルナン自身が当時五歳だったロジェデリオンに侯爵を継がせて自分は後見人におさまった。反対も多かったようだが、マリ自身が見た限りではフェルナンはロジェデリオンを侯爵としてきちんと立てているように見えた。実際ロジェデリオンはフェルナンと共に毎日執務に励んでいる。


 マリは敷地の中でなら自由に過ごしていいと言われているが、側付きのメイドも行き交う使用人たちもどこかよそよそしい。結局自分であちこちで人を捕まえてはお家の事情というやつを聞き出して回っていた。

 表面上あからさまにマリを敵視するものはいない。でもみな一様にマリを遠巻きにしているのはマリが聖女だったからか、当主に押しつけられた年増の婚約者だからか。きっとどちらも理由だろう。

 今もランドリーメイドから庭への道を聞きだしてそそくさと逃げられたところだ。

 慌てて立ち去るマリと同じ年頃の後ろ姿を見送って少し溜息をつく。


(やっぱり友達にはなれないよねぇ)


 マリが向こうの立場なら、面倒な相手との会話はできるだけ手短に終わらせたい。

 仕方がないことだとおなかにモヤモヤを収めて歩き出したマリを小さな足音が追ってきた。


「聖女さま」


 甲高い声にマリは思わず振り返る。

 初日以来ほとんど話すこともなかった少年が、所在なさげに立っていた。



 侯爵家の庭は広い。

 何日もかけてマリも暇に飽かせて見て回っているが、ロジェデリオンがマリを誘ったのはまだ足を向けたことのない西側の庭だった。


「お足元にお気をつけください」


 先導するロジェデリオンがドレスのマリを気遣ってくれるが、マリは努めて明るく笑い返した。舗装された飛び石のある庭は歩きやすいのだ。


「ありがとうございます。オリヴィエール侯爵」


 ロジェデリオンはマリの様子を確かめるようにして眼鏡の奥からじっと見て、ふいと再び歩き出す。


(嫌われたかな)


 貴族の女性は男性の手を借りることがマナーと言われている。助けを求めない女は端的に言えば可愛くないとされるのだ。


(こういうところ、護衛の騎士さんたちにも笑われてたなぁ)


 貴族の身分も多い騎士たちは、自分で出来ることは自分でやろうとするマリを苦笑していたものだ。それでもマリを許してくれていた、本当にいい人たちだった。

 ロジェデリオンを追って小さな花壇のあいだの小路を縫うと、小さな林へと入る。林は午後の日差しをよく通して明るく、すぐ通り抜けられた。そしてその先には、黄金の裾野が広がっていた。


「わぁ!」


 思わずマリは声を上げてロジェデリオンの隣に並ぶ。そういえば侯爵の館は地図の上では小高い丘の上にあった。


「これは、我が家の敷地内のブドウ畑です」


 見渡す限りの黄金色に色づいた畑がすべてブドウの木で、侯爵家の敷地だという。


「サロト領は広大ですが、大半が森林と山に囲まれた土地です。ほかの領と比べて工業は発達せず、ワインの生産と牧畜で成り立っています」


 ですから、と少年はマリを見上げた。


「我がサロト領はあなたに救われたのです」

「え?」


 表情に乏しいロジェデリオンの瞳は強い光を放っている。


「私たちの土地では、魔物の凶暴化で土地を荒らされることは死活問題です。ですからあなたさまが浄化してくださったおかげで、ようやく魔物に怯える生活から救われたのです」


 農業と牧畜を中心に生活を営んでいるものたちからすれば、魔物の凶暴化はまさしく身近な驚異だったに違いない。

 強い灰色の瞳がマリをまっすぐ捉えていたが、彼はとたんに視線を下げた。


「……私のような子供があなたと婚約など驚かれたことでしょう」


 確かに驚いた。驚いたけれど、彼の誠実な言葉に年齢など問題になるだろうか。

 マリはひざを突いてロジェデリオンの顔を同じ高さで覗き込む。彼はそれに励まされるように少しだけ顔を上げた。


「でも私は……ぼくは、あなたの偉業に少しでも報いたかった」


 手を伸ばして、少年の小さな手をとる。小さな手だ。この手でどれほどの命を支えているのだろう。マリの手より少し小さな右手は冷たくて、両手で包むと少しだけ温かくなった気がした。


「あなたにはきっと他にふさわしい方が現れるでしょう。…ですから、それまではこの領で心穏やかに…」


 少年の言葉が途切れた。

 きっとこの少年にこそふさわしいひとが現れるだろう。同じ年頃の、もっと美しいひとが。


(ああ、良かった)


 正直なところ巡礼など何の意味があるのかとマリ自身、疑問に思ったことが何度もある。貴族たちの権謀術数に巻き込まれて身の危険を感じたことも一度や二度ではない。それでも、マリの旅はこの少年の助けになっていたのだ。

 マリのやってきたことは無駄ではなかった。


「……ありがとうございます、聖女さま。どうか、ぼくたちにお礼をさせてください」


 ならば小さな侯爵さまが素敵な美男子になるまで、マリも彼の優しさに報いよう。


「わたしのことはマリと呼んでください。……もう聖女の力はないので」


 二年の巡礼でマリの聖女の力は完全に消えた。あとに残ったのはわずかな魔力だけだ。


「では、ぼくのこともロジェと。どうぞ、楽にお話ください」


 聖女になって二年。多くの思惑とたくさんのお礼を受けてきた。この小さな侯爵の言葉が、聖女として受け取る最後の感謝の言葉となるだろう。

 すでに何も持たないただのマリへ、彼は自分が出来る最大限の感謝を示してくれたのだ。


「──ありがとう。これからよろしくね、ロジェ」


 せめてこの素敵な侯爵さまが大人になるまでマリは彼の望むまま、婚約者として精一杯努めよう。

 眼下に広がる黄金の裾野を前に、マリは小さな手に堅く誓った。


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